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【恋愛】彼氏のC君について最近思うこと

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。
*興味がない方もいらっしゃると思うので、「昔話」と付いている小見出しは適宜読み飛ばしてください。



一言

プリキュアの最新映画、最高でした(笑)


最近の雪林檎と彼氏のC君

最近は記事を書くことが少々ご無沙汰になってしまっておりました。つぶやきに反応をくださった皆さんありがとうございます。大変励みになります。

さて、毎度おなじみ彼氏のC君ですが、最近は半同棲状態でして、雪林檎のお部屋で二人生活しているような状態です。C君の方も、「金銭的負担をかけるからという理由で離れるくらいなら生活費(食費・光熱費)を払う」と言ってくれています。つくづく雪林檎は幸せ者だなと思います。

そんな、C君と生活を半分共にしている雪林檎が、最近思ったこととか幸せを実感したこととか……愚痴とか?笑を放出する回になります。



自分大好きC君

「C君は、結局自分のことが大好きなんだな」と思うことが多々あります。それに対して少しイラっとすることも正直日常茶飯事です(苦笑)C君に対してヤキモチ妬いているとも言えます(笑)

C君が自分を好きだと愛でているときは、雪林檎の方を見てくれていないじゃないですか。それで「む~」ってなるんでしょうね。

あと、「調子乗んな」と言いたくなるのは、やっぱり人間なので許してほしいです(苦笑)人間、「私って可愛い!」と自分で言っている人には「可愛いね」と言いたくなくなるものです。特に日本人はそうかもしれません。謙虚さって、大事だと雪林檎は思っていますよ。自分に自信があることも非常に大切ですけどもね。



自分の「好き」や「憧れ」に忠実なC君

C君は、自分の願望に忠実です。少なくとも、雪林檎はそう感じています。そこに対して「末っ子は」とか「長子は」とか思ってしまう雪林檎の狭量さも嫌になりますが、実際そういう傾向はあると思いますので……。

C君が「かっこいい」とか「憧れる」とか、そういう感情を抱くもの、自分像に正直です。今からじゃ遅いとかできっこないとか言わず、「やってみる」「やってやる」という意思を持つ人間です。そこが、凄いと思いますし、そこに妬ましさも感じます。

「できない」と言ってやらない自分が惨めに思えるのかもしれません。今まで抑圧されたからと言って自分でも抑圧してきた人生はなんだったんだと落胆したくないからかもしれません。やりたいのにできない、なんて思う自分の状況との対照さに辛くなるのかもしれません。
自分がC君みたいになればいいだけの話なのに。

C君を見ていると、(現在も含めて)今まで我慢して生きてきた自分の人生はなんだったんだろうと思ってしまうんです。全部全部自分で選択してきているというのに、ですよね(苦笑)



彼氏のC君の栄光

皆さんは、自分の大切な人のことを心の底から応援できる人でしょうか?雪林檎は、残念ながらそこまで人間出来ていないみたいなんです。C君が同世代ということと、雪林檎が元々負けず嫌いということがあり、対抗心がメラメラしちゃうんですよね(苦笑)

最近C君が一生懸命取り組んでいることがありました。詳細は伏せますが、スキル習得です。そして、その分野は雪林檎も少しだけ興味がある分野でした。そのせいもあるのでしょうか、C君がそこに足を踏み入れることにモヤモヤする雪林檎がいました。
また、C君が始めたその学習コースは、少し前に雪林檎が「やらない」と意思決定したコースでした。要するに、入会して学習スタートする機会を蹴る選択をしたものだったんです。そのせいも、あるのでしょうか。

C君が学習を始めたときに、正直、「いいな」と羨む気持ちがありました。

そのコースのコンテストでC君が見事優勝したときも、「おめでとう」と言った言葉と笑顔とは裏腹に、胸の中がざわざわしていました。そんな自分にも嫌気が差しました。

そんなことが、日常茶飯事なんです。特にC君に対しては一層強くこの現象が起こります。雪林檎と分野が似ているからかもしれません。



以前と今の感情の違い

記事にも書いていたと思うのですが、以前は「C君が遠くに行ってしまったらどうしよう」という気持ちが強くありました。それが理由でC君が新しいことを始めるのが怖かったです。

でも、最近は少し違います。もちろん遠くに感じて寂しい気持ちもあるのですが、それと同時に羨む気持ちを強く感じるようになりました。



昔話:我慢

ここから少し自分語り昔話を始めます。

自分勝手でヒロインぶったことを言っている自覚はありますが、「雪林檎はずっと我慢をしてきた」という感覚で生きてきました。言い訳をすれば母親によって抑制されている感覚で、色んなものを諦めさせられてきた、という思いがあります。お母さん本当にごめんなさい。こんなに自由に育ててもらってもそう思ってしまうんですから、子どもとは本当に勝手なものです。子のこういうところが嫌いなんですよね……。

雪林檎は昔から創作が好きでした。小説を書くことも絵を描くことも好きでした。でも、それらに対して母は良い顔をしなかった印象があります。もしかしたら、本当のところはそうじゃなかったのかもしれません。でも、昔の私は、お母さんが私の趣味を快く思っていないと感じていました。今でもそうです。

母は、昔も今もとても心配症で、子どものことを、雪林檎のことを思うが故に安定した道を進んでほしいと願う人です。その気持ちは十二分に伝わっていますし、ありがたいと思っています。それは本心です。
でも、幼少期、もっと好きなことを伸ばせたのではないか、とどうしても思ってしまうんです。もっと、専門的なところや、本職でなくても仕事にできるくらいま行けたのではないか、と。子供の頃の吸収力は凄いものです。そして膨大な自由な時間があります。その時間を、もっともっと趣味に充てられていたら……自分の好きなことを夢にしようと本気で思える人生であったなら……そう思う気持ちがあります。これが心残りというやつかもしれません。
雪林檎は、「仕事は仕事。好きなことを仕事にできるわけがない」というマインドで生きてきたので、そう育てられてきたので、「自分の好きや得意を仕事にする」という選択肢がそもそもなかったんです。それが、最近C君を目の前で見ていて、「そうじゃないかもしれない」「そうじゃないかもしれなかった」と今更ながらに思えてしまって、正直辛いところもあります。
大きくなって、自分で色んな事を選択・実行できることを体験して、今になって、「どれだけ自分の道を狭めて生きてきたんだろう」と思って苦しい側面があります。

もちろんまだまだ人生これからで、まだまだ吸収力もあって、「何を言っているんだ」と思う方が沢山いることでしょう。でも、仕事にするくらいのスキルというものは、一朝一夕には身に尽きませんし、これからスタートすると思うと正直心が折れそうですし、気が遠くなります。そこまでの熱量がないと言われればそこまでですが……。

反面、完全に恨めしく思っているわけでもないです。勉強という分野において、真面目に取り組んできたお陰で今があるわけですし、努力もした結果も、努力した姿勢も無駄ではないと確信しているからです。趣味への道を削った分だけ得たものがあります。それはちゃんと感じています。



余談:今、自分にあるもの

このnoteというサイトを活用している方々ですから、文章力においても自負・プライドがある方が多いかもしれません。そんな中でこんなことを言うのは、良く思わない人も大勢いらっしゃるかもしれませんが、今、雪林檎が多少の自信を持って「持っている」と言えるものは、この文書力・表現力です。そして様々な複雑な思考を図式化してその後に言語化する能力です。
自分に自信がない以上、多少自信がなくてもここを「持っている」と言い切らなくてはいけないような気がしています。

この能力は、生かし方が山ほどあると思っています。

あと、このnoteでもそうですが、継続力、これも多少なりとも武器だと思おうと思っています。粘り強さも人並み以上の継続力でもないですが、現に日記や手帳づくりやnoteの投稿が続いているように、そしてそれがC君はやっていないことを鑑みるに、これは胸を張っても大丈夫なのかもしれないと思えてきました。長期間続けて糸が切れたようにぱったりやめるということもあるのですが、それもそれで雪林檎の個性ですし、そのとき雪林檎がそれを必要としていないのであれば問題はないわけですからね。



手放してはいけない人

C君と一緒にいて、ざわざわすることは正直沢山あります。でも、C君のことは「絶対に手放してはいけない人」という認識なので、この先も雪林檎から手を放すことは絶対にしない、と自分に強く言い聞かせています。

人生経験が豊富な人に言ったら、「そんなことないよ笑」と笑われてしまうかもしれませんが、雪林檎は今のところ「C君ほどの彼はこの先いない」と確信しているので。
ここまで愛情深くて、雪林檎の汚いところも醜いところも受け入れてくれてというか意に介さないでくれて、適度にリードしてくれて、面倒くさいところにも付き合ってくれるような人には、そうそう出会えないと思っているので。世界のどこかにいても、雪林檎が出逢えなかったら意味ないですからね。



余談:昨日の夜、踏切の前で

C君は、雪林檎の大仰な言葉に返してくれる人です。
「大好きだよ」のようなものをはじめとして、「本当に大切な人だよ」とか「出会えてよかった」とか、そういう大仰な言葉を面倒くさく思う人もいるじゃないですか。普段思っていても、そういう言葉を高頻度で貰うのは胸やけしたり重かったりするじゃないですか。雪林檎は、そういう言葉を高頻度で相手に向けてしまう人種なんです。毎日だって、小さな幸せのありがたさを噛みしめる人種なんです。「明日相手が死ぬかもしれない」ということを常に思ってしまうような人種なんです。人によっては非常に重いと思います。だから、この感覚が合う人、わかってくれる人、そして受け取って返してくれる=付き合ってくれる人は、そういないと思っているんです。

「好きだよ」と言えば「好きだよ」を返してくれて。
「C君と出会えて良かった」と言ったら「俺も雪林檎と出会えて良かった」と言ってくれて。「雪林檎と出会って間違いなく人生変わったからなぁ」と言ってくれて。
「自分には縁がないものだと諦めてたことがどんどん現実になってさ」「自分がこんな人生送るなんて思ってなかった」と言ってくれて。
いつもいつも「支えてくれてありがとう」とくれて。

雪林檎が、重くて面倒くさいことを言っても、やっても、受け止めて受け入れてくれるC君は、間違いなく手放してはいけない人だと確信しています。



余談:プリキュア

大人が子供に向けて発信する物語には、何かしらの意図があります。メッセージがあります。「プリキュア」も、その最たる例の一つだと思っています。

最近またプリキュアを見ており、特に今期のプリキュア「ひろがるスカイ!プリキュア」は最高に大好きです。プリキュアを見ながら、大人の意図を考えるのは昔からの癖です。綺麗事ももちろん多くありますが、綺麗事を言うのを辞めた世界は絶望が今以上に横行するだろうと思うと、今は綺麗事も大切だと思えるようになりました

プリキュアのそんな綺麗事やまっさらな言動を前にすると、今は、不思議と前向きな気持ちを貰えます。雪林檎自身驚いているんですけどね。
中学生の頃、一時プリキュアが大嫌いな記事がありました。今思うと、その時期はやりたいこともできなくて、趣味も抑制されて、鬱憤が一番爆発していた時期だったのかもしれません。高校生になると、もう諦めることが板についてきてしまっていたんだろうと思います。悲しいことですが。

話を戻しますが、最近はプリキュアに元気を貰っています。アニメに勇気を貰う人の気持ちが、今は少しだけわかります。なので、言い訳や恨み事ばかり言わず、C君をただ羨むだけではなく、雪林檎も強く生きることを頑張ってみようと思います。

そして、もっとシンプルに生きようと、教訓にしようと思えます。

疲れたから休む。眠いから眠る。
寒いから着る。熱いから脱ぐ。
病気だから薬を飲む、薬を塗る。
自分じゃ処置ができないから病院へ行く。
お金に余裕があるから買う。お金に余裕がないから買わない。
欲しいから買う。欲しくないから買わない。
必要だから買う。必要ないから買わない。
お腹が空いたから食べる。お腹がいっぱいだから食べない。
できないから練習する。
できなければ、どうすればできるかを考える。
知らないから調べる。知っているから教える。
わからないから調べる・訊く。
嫌だからそれはやめる。好きだからそっちに進む。
間違ったら正す。
誤ったら謝る。
受け取ったらお礼を言う。
会いたいから会う。

何気に、それが「頑張る」ということで、「頑張って生きる」ということかもしれませんね。当たり前を当たり前にできること、それはたしかに大切なことですね。

まずは、少し頭の中と心の中を整理するところからリスタートしてみようと思います。何が好きでどうなりたくて、何に向かって走り「たい」のか、考えてから、コースを練ってから、走っみようと思います。計画図を立ててから走るのが、雪林檎のスタイルなので!



ありがとうございます

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

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