見出し画像

【恋愛】未だに思う不安について

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。



一言

最近納豆を食べています。


道のり

毎度おなじみ彼氏のC君とは、出会ってから1年、付き合ってからは1年半以上の付き合いになりました。当然ですが、色んなことがありました。その中には山もあれば谷もあって、嬉しいことも悲しいこともありました。

そんなこんなで一緒に歩いてきたわけなのですが、散々ホッとした今でも不安に思うことはあります。今日はそんな根深い不安について書いていこうと思います。



暗雲期

低迷期、と言えばいいのでしょうか。いえ、わざわざ命名する程のものでもないのですが、C君と付き合う前は、当たり前のように不安だらけでした。片思いの経験がある方なら頷いていただけると思うのですが、あの時期は本当にきつかったです。これは、C君が悪い云々うんぬんの話ではなく、片思いの宿命だったと思っています。

何をすれば功を奏するのか、何が爆弾になってしまうのか、どうすれば一歩先の関係に進展できるのか、そもそもどうにもならないから撤退した方がいい道なのか。考えてもわからないことを、当のC君ですらわからないことを考えてしまって、考えるしかなくて、どうしようもできないけど「どうしたい」だけが増えて。暗中模索もいいところです。
これも再三行っていますが、本当誰ですか「片思いのときが一番楽しい」なんて言った人は!

起承転結×3くらいあった末に、雪林檎とC君は晴れて付き合うことになって……のですが、まぁ所謂いわゆる「カップル」のようになれたのは付き合って1年が経つかどうかくらいのタイミングだったことは、今まで散々書いてきた通りです。

そういう紆余曲折があって今に至るわけですが、ここまで来ても消えない不安というものが雪林檎にはあります。



消えない不安

前提として書いておくと、暗雲期当時や付き合う前、付き合った直後程のものではありません。あの時に比べたら微々たるもので、振り払える程度のものです。

でも、ずっと思っていることがあります。
この先もずっと、C君と一緒にいられるかということです。

考えてもしょうがないこと、そうなるかどうかではなく、そうなる努力をするしかないこと、C君のことをもっと信じるべきであること、諸々わかっているつもりですし、わかっているから振り払えます。
それでもふと思ったり、遠くを眺める感じで薄っすらと考えたりします。こういう経験のある方もいらっしゃるのではないでしょうか。



薄っすらとしたもの

上手くは言えないのですが、本当に薄っすらとしたものです。気にならないくらいのものです。だから、C君にもこんなこと気にしてほしくないです。

雪林檎が思うのは、例えば先程述べたようなずっと一緒にいられるのかであったり、一緒にいる過程でどういう苦難が起こりそうかであったり、この困難が将来に響いてくるのかなであったり、本当に計画通り・思い描く通りに事が進むことなんてあるのかなであったり、そういう杞憂です。

今のところ、雪林檎とC君の両親さえOKしてくれたなら、雪林檎が望むルートに進むことはできそうです。でも、それがかえって不安という、そんな性分です(苦笑)
物事がうまく運びそうだと、ちょっと怖くなります。



余談:その説は本当か

よく「本当に望んだものはなかなか手に入らない」という言葉を聞きますしが、本当にそうなのだろうかといつも考えます。

嘆きたいとき、都合のいい言葉を猛進したくなることはあります。先ほど書いたように、物事がうまく進んでいるときほど用心深くなってしまいます。

でも、本当に「良いもの」を手に入れることは難しいのかと考えます。たしかに、「良いもの」ほど高価であり、入手困難であると言えます。でも、値段のついていない「良いもの」も沢山あると思うんです。

私事になりますが、例えばC君と付き合えたことがあります。これは切に願っていた「良いもの」です。「手に入った」と言うと語弊がありますが、「C君との穏やかな日常」は現時点で間違いなく雪林檎の傍にあります。
これが将来そうでなくなるとしても、一度は「手に入った」認定をすることも大切だと思います。また、長期的に見たら「手に入った」ということも、その逆も、往々にしてあると思うんですよね。

これについては色々と議論の余地がありますが、「綺麗な言葉」をむやみに引用したくなったり、不安のせいで嫌なことを考えそうになるときはいつも、こういうメタ認知をします。

要するに、良いものも手に入るときは手に入るし、悪いものも手に入るときは入るだろう、ということが言いたいです。長ったらしくてすみません(苦笑)

で、つまりはそういうことなので、悲観せずに持続させる努力を続けていきたいなという趣旨です(笑)



「持っている」と感じるからこその不安

今現在、C君と一緒にいられているからこその不安もあります。

例えば一緒に生活している分、良くない部分を見せているのではないかとか、気の緩みから良くない言動をしてしまっているのではないかとか、最初はそれほど気にならないままでいられたことが、そのうち徐々に嫌になられるのではないかとか。そういうことに対する不安もあります。そのうち呆れられるのではないか、という不安があります。……この「呆れられる」についてなのですが、皆さんは感じることが少ないでしょうか。雪林檎は以前から呆れられることに不安があります。しかしそれを友人に話すと「親しい人に対して呆れるという感覚がわからない」という返答が返ってきました。「嫌われる」不安はあっても「呆れられる」不安はないものなのでしょうか……。

今は「全然いいよ」と言ってくれているけれど、(何年も一緒にいられるとして)数年後には「大嫌い」になっているのではないか、のように。
雪林檎自身が家族との間でそういうことが実際にあっただけに不安が強いのかもしれません。

ただ、これについては、距離があれば解消される問題だとも思っています。そういうこともあって、次に引っ越すときには、個人の空間を持てる部屋にしなければいけないなと考えています。現在は雪林檎の一人暮らし用の家に一緒にいるので、必然的に狭かったり小さかったりするんです。



理想

思い切り理想を語るのなら、このままC君と
お互いの基本性格が大きく変わることもなく、日常に天変地異が起こることもなく、

起こってほしいと強く願った上で何かしらの行動を起こさないと変化なんて起こらないという説を採用しておこうと思います。そういえばそんな話もありましたね。平凡で刺激のない日々に飽き飽きする人がいるということは、そういう現象は実在するということの反証ですよね。そう思うと少し気が楽です。



ありがとうございます

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?