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【恋愛】彼氏のC君がいないと色が抜ける日常

雪林檎です。
今日も今日とて軽く恋バナしましょう。



一言

昨日PS4の「デスストランディング(通称:「デススト」)」をやりました。


前書き

ちょっと少しだけ書きたいことがあるので「前書き」なんてコーナーを設置しました。

どうして恋愛以外の人間関係には全然固執できないのか、ということ。
タイトルを「彼氏のC君がいると色付く日々」の方がまぁ明るい印象だなとは思うこと。

あ、それくらいです(笑)



最近のちょっとした悩み

最近のちょっとした悩みは、彼氏のC君がいないと日常の色が抜け落ちることです。先日C君が

気力が湧かなくて、表情と元気が抜け落ちて、といった感じです。
やることは淡々とやっているだけマシだとは思っているのですが(苦笑)

失恋及び片思い期間は、何も手につかなかった記憶があるので、それに比べたら随分マシです。付き合っていられている効果は絶大です。物理的に不在でも、ちゃんと「一緒にいる」と思えている証拠だと思っています。

ただ、裏を返せば、本来なら元気がないような日々を、C君が一緒にいてくれていることによって精力的に活動できているということでもあるのではないでしょうか!?(暴論)
そんなことも考えています。



それじゃ駄目ですか?

以後ちょっと暗い話に向かいます。ご注意下さい。

幼い頃から母に「自分で立てるようになりなさい」と育てられましたし、今でも「彼氏さんに依存しないようにね」と口を酸っぱくして言われています。

けれども、現時点で雪林檎は「依存していない」とはとても言えないと考えています。とても母には言えませんが(苦笑)

でも、経済面はともかくとして、「一人で立てない」ということとは別だと思っています。それは、できていると思っています。それは、C君がいてくれている現状だから言えるのでしょうか。いざいなくなってしまったら、突然立てなくなってしまうのでしょうか。その可能性も十分あるとは思っていますが。

C君がいない日常は、たしかに色がなくて、気力も元気も笑顔も湧いてこなくて、率直に言って全然楽しくないです。それをC君が重いと思ったらごめんなさいという話ですが、こればっかりはどうしようもありませんし、どうにかしたいとも正直思っていません。これでいいと思っています。

でも、それでも、やるべきことには淡々と取り組んでいますし、日々の生活は送っているわけです。食べて、寝て、起きて、息をして、足を使って歩いています。

だから、なんていうか……それでいいじゃないですかって。依存してたっていいじゃないですかって。だって、恋愛こそが雪林檎の生き甲斐で、人生の楽しみなんですもん。C君が生きる意味でもいいじゃないですか。それは絶対に悪いことではないはずです。事実ですしね。

正確には、「C君が生きる意味の一つでも」といったところでしょうか。正直なところ、「生きる意味」なんて大義名分持ち合わせていませんし、「死ぬのは怖いから・痛そうだから・苦しそうだから・現実的じゃないから」程度で、C君がいることの代替にはとてもならないと思います。
でも、実際は代替になっているのでしょう。もしくは根底に強く強くあるのでしょう。

だから、こういう理由で人生をやめることはきっとないので、C君に依存していても別に良いと思っています。説明がとっても難しいですが。



ありがとうございます

今日はこれくらいにしましょうか。
それでは、またお会いできればと思います。

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