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台風19号の中、唯一営業中だった「富士そば」について(前編)

こんにちは。hana です。
先日の台風19号の威力は凄まじかったですね。

都内在住の私は、メディアの報道は完全無視、当日まで何の事前準備もせずに仕事に没頭してしまっていました。
その結果、気づいた頃には、周辺のお店は全て臨時休業で閉店。
家には備蓄していた食料も何もなかったため、完全に食糧難に陥りかけました。台風を舐めてはいけませんね。

それにしても、そんな私とは比べものにならないほど、大きな被害に遭われた方々もたくさんいらっしゃると思います。心よりお見舞い申し上げます。
また、1日でも早い復興をお祈りしております。

さて、今日はそんな台風19号の最中、
私が感動したことについて、書きたいと思います。

臨時閉店が相次ぐ中、唯一の光だった、「富士そば」

10月12日、都内ではちょうど台風が上空を通過中の時間に、
私は朝から何も食べていなかったことを悔いていました。
前述の通り、台風が近づいていると知ってはいたものの、何も買い溜めておくこともなく、集中して仕事に取り組んでいたのです。

「お腹空いたなぁ・・・」
こういう時の空腹感は、より一層心細く感じるものです。

私は、同居人の彼と「完全に近くにコンビニもスーパーもあるからと油断してたね。。。」と反省会を開きながらも、
「いや、もしかしたらちょっと歩けばどこか開いてるんじゃない?!」と外に出ることを決意。
雨は小降りでしたが暴風が吹き荒れていたため、傘は持たずに濡れるのを覚悟でいざ出陣しました。

20分ほど最寄りのJR駅周辺を歩いてみましたが、当然ながら、どこも開いていません。
小振りだったはずの雨も、次第に雨足が強まってきて、濡れた身体に少しひんやりとした空気が余計に寒く感じられてきました。
もう帰ろうか、と帰路に向かって歩き出した瞬間、目に飛び込んできたのが、「富士そば」の明かりだったのです。

「富士そば」店員さんのプロ意識に触れて

通常時、外の券売機で食券を購入して店内に入るスタイルですが、
この日ばかりは事前に店主が仕込んだらしい、ビニールで覆われて使えない状態でした。
しかし、店内に入ると数名のお客さんが美味しそうにおそばをすすっており、中の券売機では全てのおそばが注文可能な状態で、私たちは泣きそうになるくらい感動しました。

傘もささずにビショビショになってしまっていたので、
「大分濡れてますが、入って大丈夫ですか?」とご年配の店員さんに聞くと、チラッと私たちの全身を厨房から眺めながらも、「大丈夫ですよ」とにやっと笑ってくださいました。

とにかく空腹で、身体は冷え切っている状態です。
券売機で一番に目に入った温かいおそばとかき揚げ丼のセット(560円)を注文し、店内で席を確保しました。待つこと数分で注文が出来上がり、席に座って食べ始めました。
その時の、一口目のおそばのつゆの味と言ったら、これまで生きてきた中で一番美味しかったと言っても過言ではありません。
冷えた体に、おそばの温かさが染み渡り、一瞬で生き返るような気持ちでした。

一気に食べ終わり、食後のそば湯まで堪能したあとに、
「帰ろうか」と2人で席を立とうとした頃には、既に店内にはお客さんは誰もいなくなっていました。

「今、台風はちょうど上空を通過中らしいですよ。気をつけて」
と厨房から声をかけてくださる店員さん。

「有難うございます。店員さんは大丈夫なんですか?!」
と、思わず逆に質問を返してしまいました。

「さぁ。まぁ大丈夫でしょう。」
またしてもニヤッと笑う店員さん。
その時の店員さんの目を見て感じたことは、「この人は、この悪天候の中でお店を開け続けると決めているんだな」ということでした。

私たちのように、家に食べるものがなく困っていたり、
近隣の会社(周辺はオフィス街です)で帰宅困難となっている方々に向けて、そばを提供し続けよう。そんな強い意志とプロ意識を感じました。

その方が店長さんだったのか、ただの一店員さんだったのかは今はもう分かりません。
ただ、この日午後から空腹でひもじい思いをしながら夜を明かす予定だった私たちの心に、本当に暖かい光を灯してくれたのは、この富士そばをたった1人で切り盛りされていた、店員さんだったのです。

それまで、あまり富士そばを利用したことがなかった私ですが、
「次に自宅付近でお蕎麦が食べたくなったら、絶対にまたこの富士そばに来よう」と心に強く決めることとなりました。

受けた恩は、必ず返すのが鉄則!

さて、ここからは私のこだわりであり、
社会人になってから教わった大切な価値観の部分なのですが、自分が辛い時に受けた恩は、必ず返すことが大切だと思っています。

例えば、私が過去お世話になり、このご恩は一生忘れないと心に決めているのが、
部活で辛い想いをして泣いていた時に、心配して声をかけてくれた先輩、
極貧の大学生時代に寮に備え付けの大浴場(170円/回)に入るお金さえなくて困っていた時に、快く貸してくれた親友、
営業になって初めて契約をしてくれた飲食店のお客様など。
(もちろん、まだまだいます)

私の心理状態に負荷がかかっていた時に、優しさや愛情を感じる対応をしてくれた人のことは、絶対に忘れられません。

人の本質は、本当に辛い時、極限状態の時に現れると言います。
辛い状況なのにも関わらず、優しくしてくれた方、支えてくれた方へのご恩は、私は一生かけて返していきたいと思っています。

同時に、私がそのような極限状態に陥ったとしても、
人に何かを与えられる余裕を持ち、思いやりを持ち続ける人でありたいとも思っています。
そう、ちょうど今回、富士そばの店員さんが私にしてくれたように。

今回の恩返しの第一歩として、
今後ことあるごとに、私はあの富士そばに通い続けることでしょう。

また、この記事を何かのきっかけで読んでくださっている方にも、富士そばの魅力が伝わったら嬉しいです。
そして、これを機に、富士そばに足を運ぶことが増えることを願っています。

富士そばの創業者とは

さて、ここまで富士そばへの恩義が強くなると、
気になるのが「そもそも、富士そばってどんな人が創業したんだろう?」ということです。

これは、私が社会人になり、いろんな人との出会いや読書を通して身につけた習慣ですが、素敵なお店や会社を知ると、その創業者がどんな人なのか知りたくなるのです。
どんなお店や会社も、結局は人がつくったものですからね。
今回も、その例に漏れず、調べてみました。
その結果、わかったことは・・・・?!

後編に続きます!


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