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「推し」てみたら世を去りたくなった


久々に推しができた。
推しなんて最近出てきた言葉だし、私としてはファンという言葉の方が馴染みある。
でも、今回のこの熱量は「推し」に近い。

時間があればYouTubeで動画を探し、
過去記事を探し、ブログなどを探し、
画像検索して保存して、それを眺めて、
夜はそんな調子で時間が過ぎていくから寝不足で。

しんどいなぁ。
調べれば調べるだけ、
本人の言葉を読めば読むだけ、遠い存在だって気付かされる。

別に所詮ただの推しだし、
世界線も違うってわかってるから何も起こらないけど、

自分の人生と推しとの人生の熱量と乖離にやられそうになった。

推しの人生を知ろうとすれば知るほど、自分の人生を客観的に感じるようになる。

あの推しより優れてもいない、才能もない、根性もない、強さもない、ないないないない…。

こんな調子でどんどん推しを神格化して上を見上げている。
あの推しが本当に神ならどれだけいいのか。
崇拝してその神のために命を賭して俗世を捨てて生きられるのに。

「推し」とはこの危険性を孕んでいる。

この言葉はなんと重いことだろう。

「ファン」はちゃんと客観視して自分を保てる余裕のある言葉だった。

推しはまた1つステージが重い。

今日もまた俗世を去りたくなった。

推しの最大の幸福と繁栄を祈ります。






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