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追々更新していきます。。。

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最近の記事

令和の修斗伝承者

過去 2019年の出来事です。 「格闘技観戦があるけど、観にいかない?」 当時、某情報通信会社のコールセンターで働く、40年来の友人からの連絡でした。 「修斗」です。90年代後半は、立ち技重量級の選手を差し置き、専門誌の表紙を飾るほどの人気を誇っていたので、当然「修斗」の存在は知っています。 ただ、格闘技の中でも、キックボクシング専門のヲタクとしては、家族の理解が得られない(これは事実です。)と体よく断ったものの、MMAの世界は、ルールも選手も知らないため、脚を運ぶほどの魅

    • 超合筋

      日本ウェルター級王座決定戦 記憶の限りでは、後楽園ホールの南側、リングを見下ろす丁度良い位置だった。いかにも創られた筋肉を纏っているに過ぎない(後に努力に裏付けられた鋼の身体である事を知ります。)若い選手が、ウェルター級のタイトルに挑む。 技術の攻防というより、この選手がパンチを振り回して倒して勝つ、そんな展開が容易に想像出来ました。 その選手こそが、超合筋 武田幸三選手です。 当時は、技術より身体つきの印象が強く、あまり好きにはなれないタイプの選手でした。 国際式タイ人

      • キックの赤い薔薇

        可憐に咲く薔薇には棘がある。 甘いマスクに隠された優れた身体能力は、鋭い棘で相手を凌駕し、観客を魅了する。 目黒ジム 時の野口修氏が打倒ムエタイを掲げて設立したキックボクシング。修氏が運営する野口プロモーションのお膝元、目黒の権之助坂や目黒雅叙園の近傍に所在する目黒ジムは、かつて故沢村忠氏、故藤本勲氏、富山勝治氏、伊原信一会長など、名だたる選手を世に輩出した名門中の名門です。 私がMA日本キックボクシング連盟や日本キックボクシング協会(何れも当時。目黒ジム所属団体。)を知

        • キック界のカリスマ

          キックボクシング戦績100戦目を迎えた選手がいる。 その選手を、皆「キック界のカリスマ」と呼ぶ。 キックボクシングとの出会い 遡ること27年ほど前、私がキックボクシングをはじめたきっかけは、身近に教えてくれる方がいて、健康のためにやってみようかなといった単純な動機でした。直後に試合を観る機会があり、キックボクシングがどの様なルールなのかを知る事になりました。 初観戦は、日本キックボクシング連盟という団体。 60年、70年代にキックボクシングが大ブームを起こし、90年代には

        令和の修斗伝承者

          本日、一番の耀き🪶

          新体操 幼稚園の課外活動に参加したのは、年中の時でした。参加の意思を本人から伝えられたのかは、今となっては覚えていませんが、既に参加していた姉の影響もあったでしょうか。 ただ、徐々に技や手具の扱いを覚え、出来たことの悦びを、出来なかったことへの悔しさを聞くたびに、あるいは、我が家で柔軟さや技をアピールする姿に、彼女が充実していたことが伺えます。 小学校に進学してからは、大会で思うような結果が出せず、悔しさを顕にしたこともありましたが、様々な技が上達していく様は、目を見張る

          本日、一番の耀き🪶