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キック界のカリスマ

キックボクシング戦績100戦目を迎えた選手がいる。
その選手を、皆「キック界のカリスマ」と呼ぶ。

キックボクシングとの出会い

遡ること27年ほど前、私がキックボクシングをはじめたきっかけは、身近に教えてくれる方がいて、健康のためにやってみようかなといった単純な動機でした。直後に試合を観る機会があり、キックボクシングがどの様なルールなのかを知る事になりました。
初観戦は、日本キックボクシング連盟という団体。
60年、70年代にキックボクシングが大ブームを起こし、90年代には、キックボクサーが人気コミックの実写版で映画主演を務めたこともあり、存在自体は知っていたものの、後楽園ホールで初めて試合を観戦した衝撃は言葉では表せないものでした。
当時の日本キックボクシング連盟は、閉鎖的で幾分ギスギスした雰囲気が漂っており、倒し倒されの試合をテーマとしていました。
素人の私は、興奮している中、命を削る格闘技ゆえ、こういうものかといった印象を感じたのを覚えています。

数ヶ月を経て、キックボクシングに惹かれつつある中において、「月と太陽」と題する専門誌が目に飛び込んできました。カラーで飾る紙面には、記者会見で二人の選手が並んでいます。一人は凛とした出で立ちで拳を握り、一方、もう一人は伏し目がちに、不服そうに立っています。
キックボクシングが世間に認知され、複数の団体が存在することを知り、それぞれの団体で選手の個性が光り、華やかさを備えていることを知った時(主観です)、キックボクシングを追求する感情が芽生えたのです。

カリスマの存在

前出のもう一人こそが90年代、00年代のキックボクシングを牽引した「キック界のカリスマ」立嶋篤史選手だったのです。
黒いハチマキに、ご自身のイラストが入ったポンチョを羽織い、刀を持って入場。「たてしまぁ!」、「アッシー!」といった声が立て続けにホールに響き渡ります。
立嶋選手がコールされると、リングの中央に歩みより、対戦相手を刀で斬るポーズ。「エイッ!」という発声は客席からも聞こえてきました。
全日本キックボクシング連盟の興行において、後楽園ホールのバルコニーから観戦した私は、立嶋選手から放たれるオーラにのみ込まれ、魅了されたのでした。

後に、立嶋選手のことは、ご自身の著書である「ざまぁみろ!僕はまだ生きている」や「死にぞこない」、あるいはVHS「立嶋篤史という生き方」で存分に知ることとなりますが、知るにつれ、立嶋選手の生き様や存在感が私の心を射て、気持ちが高揚するばかりでした。

カリスマの影響

中学生でキックボクシングの道を志し、高校生キックボクサーと話題になった以降も、肘あり首相撲あり3分5Rのキックボクシングでフェザー級を貫き、子を育て、怪我を負い、空き巣の犯人を捕えたことなど、波瀾に満ちた人生といえますが、そこには簡単に言葉では片付けられず我々も知ることができない領域の真実があり、生き様として立嶋選手の言動に現れていると思うのです。そして、その生き様に影響を受け、助けられている者もいるのです。

100戦闘ってもなお、ご自身が納得されるまで走り続けるのでしょう。
その間、私は立嶋選手を追い続け、影響を受け続けます。

*拙文ですが、悪しからず。

#キック界のカリスマ #立嶋篤史 選手 #キックボクシング




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