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超合筋

日本ウェルター級王座決定戦

記憶の限りでは、後楽園ホールの南側、リングを見下ろす丁度良い位置だった。いかにも創られた筋肉を纏っているに過ぎない(後に努力に裏付けられた鋼の身体である事を知ります。)若い選手が、ウェルター級のタイトルに挑む。
技術の攻防というより、この選手がパンチを振り回して倒して勝つ、そんな展開が容易に想像出来ました。
その選手こそが、超合筋 武田幸三選手です。
当時は、技術より身体つきの印象が強く、あまり好きにはなれないタイプの選手でした。

国際式タイ人選手

武田選手は、30歳後半のケイゾウ松葉選手を退けタイトルを奪取したのですが、その後もKOで勝ち続け、このままの勢いで世界へと突き進むものと思っていました。
そして、プラウェーチューワッタナー選手(ムエタイがベースで、当時国際式の選手だったと思います。)との一戦。今でも、相手選手の名前を覚えているほど印象的な試合でした。
後楽園ホールの東側からの観戦でしたが、トップロープと二番目の隙間から見た光景に、血の気が引いたのを覚えています。2Rまで攻め続け、3R何時倒すのかといった瞬間、明らかに眼がとび、お尻から崩れ落ちる武田選手を目の当たりにしたのです。スローモーションの様でした。
そのまま、立ち上がれず初の負け、しかも、KO決着に、この人も人間なんだ。そんな感情を抱きました。

バルコニーから観戦

この敗戦以降、海外勢をなぎ倒し、元空挺の寺岡選手との日本人対決。試合は一方的でKO勝利目前でしたが、さすがは元空挺、なんと寺岡選手のストレートが武田選手に命中。バルコニーからは、武田選手の顔がのけ反るのが見てとれました。
効いたパンチではなさそうですが、プラウェー選手との一戦が脳裏をよぎりました。なお、その後は、武田選手が攻撃を畳み掛け、寺岡選手はマットに沈みました。
この頃には、武田選手のプロとしての姿勢、男臭さに虜になっていた私は、後の武田選手のキック人生に大きな影響を与えた試合になるとは知るよしもなかったのです。

伊原道場でトレーナーをする男

「武田の今度の相手は強いぞ。」
当時キックを教わっていた人(伊原道場の練習生)から、そう告げられました。これまでタイの選手を観て来ましたが、どちらかというとポイントを取りに来る巧い印象がありました。しかし、パヤックレックユッタキットという選手は「ゴツい」のです。
ゴツくて巧い選手にどう立ち向かうのか、真価が問われる一戦。
試合後、恐かったと語っていた記憶がありますが、本人曰く何も出来ずに完敗。素人ながら、倒されなかったので、そこまで差を感じなかったのですが。
この頃からか、闘い方が変わってきたのを覚えています。相手の攻撃を待ち、パンチとローキックが主体にハイリスクな闘いになっていきました。

ラジャダムナン王者

こうした幾多の激戦を経て、2度目のチャンスでラジャダムナンのチャンピオンになった訳ですが、何百年もの歴史を持つムエタイに、キックボクシング選手が自身の闘い方を貫き、勝ち星を重ね、遂にチャンピオンになった時は、当時、勤務地だった北海道から大いに喜んだものです。

尊敬する人

私の中では、好きではない選手から、尊敬する選手に変わっていきました。
「相手が二重に見える」のを公表したのは、手術時点ではないでしょうか。ラジャのタイトルマッチも、K-1max参戦も、相手が二重に見える状態で闘っていたことになります。
また、家族を大切にし、関係者への感謝の気持ちを持ち続け、言い訳をせず、苦労を表に出さずに努力し続けている、圧倒的存在感のある素晴らしい選手でした。

プロは何事に関してもプロ

昔の事で、正確性に欠けますが、専門誌でのインタビュー記事です。
私は、一キックヲタクなので、そこまでの確たる自信を持ち合わせてはいませんが、こうした武田選手の言動に影響を受けた一人です。


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