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新聞白旗9号:暮れなずんでいる

自分のやってきた仕事が機械で代用可能だ、と言われているかのように感じるシーンが、ここ数年で増えてきました。

翻訳・通訳の仕事に携わって30年以上になるけれど、AI文字起こしやAI翻訳の精度が年々上がってきているのも実感する。本当にそのうち機械が私のかわりにこの仕事をするようになるんだろうなあ、と感じます。

ただ、日本語・英語間の通訳・翻訳については(それ以外の言語については明るくないので何とも言えないのだけれど)、機械翻訳の精度は向上したとはいってもまだ実用レベルには至ってない部分も見受けられます。

以前通訳を依頼された国際会議が、昨年はAI文字起こし+AI翻訳で対応するため通訳者は不要ということになったので、普通に会議に参加して見守っていたのだけれど、AIによる同時翻訳(字幕表示されるもの)は、目で読んで追いつけるスピードではなく、しかも一度表示されてから修正され続けて目まぐるしく変わるので、まともに読むことも難しかった。自動字幕翻訳を頼りに会議にリアルタイムで参加できる感じではありませんでした。

(人の手による字幕翻訳では、それぞれの字幕が表示される秒数を計測し、その秒数内で人が自然に読める文字数にまで削り落とすべく内容の枝葉をはしょっていく作業をしますが、AIには今のところそれはまだできないようで、まるっと全部を訳して字幕として表示しようとしていたようでした)。

でも、機械による同時字幕翻訳によって普通に会議が成立する未来を描いて、技術者の人たちも開発を進めているのだろうし、未来にそうした技術が実現したら、各地の人、特に非英語圏の人がそれぞれもっと自由に声を上げたり発信できたりするんだろうし、そこには希望を感じる。

明るい未来像。なのにそこはもう自分の働きが不要になっている世界だと思うと、手放しで喜べないところがあります。

これまで心血注いでやってきた仕事だからこそ、簡単に「要らない」と言われるのは正直、傷つくみたいです。言葉の違う人同士のあいだで、微細なニュアンスまでがほんとうに伝わり合う関係が成立するよう、文字通り心を砕いてやってきてしまったので。

未来像の前で、暮れなずんでいる。夕日を見るように、”手翻訳の時代”の終わりを眺めているようなふうです。

これまでも、通訳者・翻訳者は常に「黒子」と自覚してきたし、自分の存在が目立っていないとき、すなわち話し手が「通訳を介していないかのような感覚」で話しができていたり、読み手が「翻訳文ではないかのような感覚」で読めているときほど「いい仕事」ができている証拠と思ってきたので、話し手や聞き手、書き手や読み手の人たちに自分の存在までもがスルーされる場面で寂しさは覚えても、暮れなずんだりはしませんでした。

でも、最近は、暮れなずんでいる。私個人の事情(もあるのは当然だけど)とは別に、すでに機械に取って替わられているジャンルの翻訳者の方々のことを感じ取っているのかもしれない気もしています。もしかするとさらにもっと、翻訳・通訳以外の業種で機械に取って替わられている仕事をしてきた人たちのことを感じ取っているのかもしれない。

たとえば、駅前のクスノキの大木の下にある自転車置き場は、長年、係りのおじさんたちが料金回収や自転車の詰め具合の整理をしてくださっていて、「おはようございます、よろしくお願いします」「はい、いってらっしゃい」と声をかけあうのがちょっとした楽しみでした。クスノキの葉っぱの落ちる季節は、おじさんたちがお掃除もしてくださっていた。ぱんぱんに自転車が停まっているときに、融通をきかせてスリムタイプの私の自転車分だけ場所を開けてくださって大助かりしたこともあった。

そこも数年前にはオール機械化されて、駐輪スペースはマス目に区切られて固定され、料金はゲートで機械に払うようになりました。

あのおじさんたちは今はどうしているのかな。機械ができる仕事を機械にしてもらえたら、人は手があいて、時間も労力も節約できてもっと自由になれる、もっとやりたかった何かに取り組めるようになる、というのが機械化を語るときの「希望的未来図」なのだと思う。だけど実際のところ、どうなんだろう。

■昔、手仕事がたどった変遷も

翻訳・通訳業をしつつ、グリーンウッドワークという手道具で未乾燥の木を削る特殊な木工に魅せられて、9年程前から学び始め、3年程前からこれを「分かち合う活動」も始めています。(「ぐり と グリーンウッドワーク」という屋号で南関東で活動しています)。

これは翻訳・通訳業の行く末を感じ取っていたから、というよりも、木削りへの、内側からのわけのわからない強い衝動があったからでした。

長屋のような賃貸の家で、庭を共有しているお隣の家に、ある日越してきた木工教室さんが使う機械の音が自分には激しすぎて、日中は翻訳仕事ができなくなるほどで、ノイローゼ気味になり友人に相談したところ、その友人から後日、大きな封筒に入って資料一式が送られてきたのが、グリーンウッドワークとの出会いでした。

「この木工は機械を使わないから、うるさくないよ。だからお隣の木工教室さんにこれを薦めてみては?」というのが友人の趣旨だったのですが、資料を見て「これ、手道具だけでできるんだ。未乾燥の木は柔らかいから、女性の手にも子どもの手にもやさしいんだ……。むしろ私がやりたいぞ」となりました。若いときから定期的に、木をどこかで拾ってきては彫刻刀で彫ったりしていたので、その衝動ともリンクしたようでした。

(もちろんお隣の木工教室さんにお薦めもしました。が、すでに機械を各種揃えてしまったから、機械を使わないことはちょっと考えられない、と丁寧にお断りされました。木工教室さんはその後、一番音の大きかった機械の置き場所を遠くに変えてくださったり、さまざまにご配慮くださって、すっかり大丈夫になりました)。

グリーンウッドワークにハマっていくうちに、日本に古くからあった生木(未乾燥の木)からのものづくりの伝統についても知り、世界的にも産業革命前までは普通に行われてきた木工だったこと、工業化していない文化圏では今も行われていることを知りました。

木工の世界においても、手仕事から機械導入という流れがあった。それまでは手作業で、手道具で、やってきたことが、機械でできるようになった。そうした歴史の転換点を、木工界が通過したのはだいぶん前です。

でもって、機械化がここまで発達した現在の私が、グリーンウッドワークを激しく求めている……。グリーンウッドワークでものづくりをすると、その作業スピードの遅さや成果物の不揃いさが愉快です。自分はグリーンウッドワークしか知らないから、このゆっくりさ、不揃いさは、当たり前でしかないけれど、機械を使う木工に馴染んできた方にとってはもしかしたら耐えにくいかもしれない。趣味でやるならいいけど、仕事としてグリーンウッドワークでものづくりをしていくのは到底成り立たない、と思うかもしれないです。実際、自分もグリーンウッドワークを翻訳・通訳業と並ぶ仕事の1つにしようとしているけれど、まだ軌道に乗せるところまでは遠く……。機械化・AI化の進んだこの世界で、手道具で、手作業でやっていく仕事は、作家や芸術家でもない限り成り立たないのかもしれません。

そんなわけでグリーンウッドワークにおいても、機械という存在に対してアンビバレントな気持ちを持つことになっています。機械がやってくれると時間も体力もセーブできてすごく便利だし助かる。だけど手仕事の存在理由が簡単に消されることにもなる。手仕事が、ただの「趣味」に成り下がることになる。時間やお金にゆとりのある人たちが愉しむだけのものになっていく……。

歴史を通じて、機械に仕事を取って替わられたものづくりの人たちのことを、感じ取っている部分もあるのかもわかりません。自分のやっていることは「趣味」なんかではなく、生きるための「仕事」だった、と感じる部分があるのかも……。でも実利を考えれば、機械の恩恵は計り知れないし、いつまでも手仕事にこだわるのは妙なロマンチシズムでしかなかったろう、とも思います。「生きる」=「糧を得る」ならば、作業効率向上は恩恵でしかなかったはず。

そうだったとしたら、「糧を得る」以外の部分の「生きる」は、どうなったのかな。

結局、翻訳・通訳においても、有機的な訳文、原文に限りなく近い色合いの訳文を生み出すことは創造的な「手仕事」的取り組みで、画一的に「この言葉にはこの訳語」という方程式を嵌めればいいというものではまったくないのと同じように、グリーンウッドワークでも、原木の木目に限りなく寄り添ったものづくりをすることは創造的な取り組みで、原木を画一サイズに切り出して使ったりしないことに、私は救いを見出しているみたいです。

画一的になっていく世界のなかで、そうならずにいられるものを求めているみたい。

どこの国に行ってもマクドナルドやシェラトンホテルがあるなかで、その土地のままでいられている場所を求めるみたいに。

悪あがき、なんだろなあ。この件だけは、なかなか白旗を上げにくい案件です。

ただ翻訳・通訳業に関しては、もうだいぶん白旗を上げる準備ができてきました……。グリーンウッドワークの木削りによるものづくりに関しては、なんとかもう少し模索したい気持ち。

最近セカンドキャリアとして保育と介護に気持ちが向いているのですけれど、これも考えてみたら、機械化できない仕事の最たるものだからかもしれません。今から勉強してやれるようになることなのか、体力面で間に合うのか、などなどいろいろ迷いがあるのですが、もう少し元気が出てきたら前向きに考えられるかな……。

諸々、もう疲れた、という気持ちも大きくて、元気が戻るのかは定かではないところもあり、いましばらくは様子を見るしかないのですが。

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