「寛容のパラドックス」に向き合う
「寛容のパラドックス」を直視すべき時が来たようだ
寛容のパラドックスとは、「寛容な社会は、ある種の不寛容に不寛容でなければならない」というものだ
たとえば「表現の自由は保証するが、誹謗中傷は許さない」といったものだ
自分は人権についてよく考える
「すべての人は個人として尊重される」という考え方が好きだが、これは自明な事実ではない
歴史的に、人権の概念は革命から生まれた
貴族に虐げられていた人たちが蜂起し、政権を奪うことに成功して生まれた
仮に革命が起こらなければ、人権の概念も生まれなかったかもしれない
暴力的な手段に訴えることなく、この概念が世界を席巻することはできただろうか
「すべての人は個人として尊重される」という考え方がある一方、現実には性別や年齢による差別がある
この現状を変えるには、やはり不寛容に不寛容であるべきだろうか
自分は人と戦うのが嫌いだ
できることならお互いを理解し、共感し合って生きていきたい
だが「寛容のパラドックス」がある以上、それだけでは理想の生き方はできないのかもしれない
不寛容にいかに向き合うか、これから考えていきたい
じゃまたね
読んでくれてありがとう
(なんでも送ってね)
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