「掛けてもいい迷惑」を掛けるには心の支えが要る
今日は公文の面接に行ってきた
感触はいい!
他の候補者の面接が残っているため、返事は月曜か火曜にすると言われた
どうなるかなぁ
公文のシフトは曜日と時間が固定で、これなら他のバイトと掛けられると思う
既に受かっているダイソーを続けてもいいし、辞めて別のところを探してもいいかもしれない
ダイソーはとにかく遠くて嫌になる
朝7時からのシフトの場合、4時半起きになる
ホストファミリーに言われて気づいたんだけど、家から40分くらいのところに別のダイソーがあった
こっちに配置転換してもらえないか??
公文は受かったら確定で行くので、ダイソーは辞めてもいい
不安にならず、ちゃんと自分の希望を伝えよう…
「掛けてもいい迷惑」というものがある
迷惑をかけるのは良くないが、まったくかけないのは無理なので、合意の上で受け入れられている迷惑がある
上の話の「バイトをすぐ辞める」というのはその一例だ
迷惑だが、労働者の権利として認められている
ただ、自分はこの迷惑をかけることすら躊躇してしまう…
申し訳なくなるのだ
この手の迷惑は、実は人間関係のほぼすべてに存在している
これを避けると、受動的なコミュニケーションしか取れなくなる
許容されている迷惑をかける決心をするには、そこで感じる逆風と同じだけの後押しが必要なのではないか
具体的には、家族や友達からの支援だ
自分だけの力で逆風を押しのけて進むことは、自分にはできない
そこに正当性を感じられなくなり、罪悪感が上回る
自分は心の中に「親友」がおり、なんでも話せる人物として心の支えにしているのだが、この存在がいて初めて「許容されている迷惑をかける」決心ができるように感じる
今回も、都合が合わなければ自分はバイトを辞める
リーダーシップにも通じるところがあると思う
人を動かすことは「迷惑をかけること」の一種で、それを実践するには後ろからの支えが必要なのではないか
じゃまたね
読んでくれてありがとう
(なんでも送ってね)
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