NOT TOO LATE #5: Vinca Petersen: NO SYSTEM
文:Jumpei Sakairi
VINCA PETERSEN: NO SYSTEM
Title designed by Shingo Yamada
イギリスの写真家兼アーティストであるヴィンカ・ピーターセンによる写真集。
10代後半から20代にかけて仲間たちと共にヨーロッパ中を回り、違法なフリーレイヴやフェスティバルに参加した1990年代の様子が記録されている。
この写真集におけるレイヴシーンは、年代などを考慮するとおそらく「スパイラル・トライブ」というテクノサウンドシステムを持ったクルーが生んだものだろう。彼らはフェスやパーティーを全てオーガナイズするというよりも、彼らの思想や方法に共感した人々が次々に広めていったというのがこのシーンの特徴だ。
このスパイラル・トライブが生まれた背景や信念が写真集にも反映されているように感じる。それらを写真と照らし合わせながら説明していきたい。
80年代後半に起きた、セカンド・サマー・オブ・ラブの後、レイヴシーンは大規模になったことで商業化が進んだ。
(※セカンド・サマー・オブ・ラブ : 80年代後半にイギリスで起こった若者を中心とするムーヴメント。空き家や倉庫などを不法に使用してハウスミュージックを流すというパーティーが大流行した。60年代後半にアメリカを中心に起きたヒッピーの主導する社会的運動「サマー・オブ・ラブ」に由来する。)
セカンド・サマー・オブ・ラブは、サッチャーの新自由主義的な政策により、多くの若者たちが失業して行き場がなかったという背景が発端となっている。ただ、60年代のサマー・オブ・ラブと比較すると、社会的な運動の盛り上がりというよりも、快楽主義的な側面が強く一種の現実逃避に近かった。これはエクスタシーなどの多幸系ドラッグを使用していたことも関係しているだろう。こうした背景の違いもあってかレイヴシーンの商業化は進んでいった。
しかし、こうした流れに意を唱え行動を起こす若者も現れる。それが「スパイラル・トライブ」だ。彼らは、とにかくノンストップでテクノを流し続け一心不乱に踊り続ける。そして限界を迎えるころにLSDというドラッグを使用して限界を超越しようというある意味ストイックな方法でレイヴを行った。
彼らは自分たちの流す音楽について「新たな民族音楽、文化的に阻害された者たちの声が代弁されるもの(※引用)」だと信じており、レイヴは一種の儀式に近いものだったという。
こうしたスピリチュアルな面を持つレイヴには自然への回帰という壮大な目的も含んでいたようだ。そうした意識がヴィンカにもあったことがテキストや写真から窺える。
肌着のみを着用した男女が、丘から森を見下ろす様子が写されている。しかも、ヴィンカは外に適当に置いて寝ていたベッドの上から寝起きのままその様子を撮影したという。大地そのものが家だと思えるような写真だ。また、川に飛び込む姿が捉えられている写真はまさに自然に回帰する瞬間を象徴しているようだ。
このように自然への回帰、調和というのが大きなテーマとしてあったのではないかと伝わってくる。
また、彼らはチケット代を取ることは金銭によって人々を差別化することにつながると考えており、規模が大きくなっても無料でパーティーを行うことを徹底した。これは何もかもに金銭的価値を定めて優劣をつけるという政府が作ったシステムからの脱却を意味していた。タイトルの『no system』が表すように、まさに「社会システムからの脱却」を体現しようとしていた。
さらに、裏表紙のテキストには「自分達のルールに基づいた自分達だけの社会を作る自由が欲しい」とある。写真から伝わってくる、全員が家族にすらみえる仲間たちとの距離感や旅をしながら子供たちを育てていることなどから、社会システムからの脱却に留まらず自分達でシステムを構築していこうとする姿勢さえも感じられる。
こうしたやり方に賛同する人々はあっという間に増え、警察から執拗なマークを受けることになり、拠点をイギリスからヨーロッパ本土へと移していった。
1993年には、これまでの「フェスティバル」は終わったものとして、新たに「テクニヴァル」を開催した。これはもちろん、彼らの音楽であるテクノに由来する。この動きはヨーロッパ全土に瞬く間に広まり、写真からも見受けられるようにものすごい数のバスや車が集まるほどの規模になっていった。
まさに、ヨーロッパで起きるこれらの様子を1人の当事者として写真で捉えたのが本作品だ。
この写真集に記録されたシーンやその流れは、犯罪やドラッグとは切っても切り離せないものであり、全てを肯定することは難しい。しかし高すぎた失業率などの社会的背景を考慮すると、鬱屈とした気持ちやエネルギーを爆発させ、これほどの規模や形にしている様子には美しさすら覚える。
また、レイヴの激しさが捉えられている一方で、生活を共にする仲間や自然の様子からは非常に穏やかな印象を受ける。ヴィンカにとっては、社会システムの内側での生活よりもそこから外に飛び出したこの生活の方が居心地がよく、心が穏やかでいられたのかもしれない。
ヴィンカは当時こうした生活を送る一方でモデルとしての契約もしていた。
そうしたシステム内の活動も含め、より彼女自身のことにフォーカスした『Future Fantasy』という、日記をスクラップして制作した作品も発売されている。
また、『Deuce and a Quarter』という作品では、彼女の友人たちとテキサスを旅した様子が記録されている。レイヴでヨーロッパを回ったものとはまた違った魅力があるだろう。
システム外で生きたいと願った彼女が、現実世界で何をどのように捉えるのか。
そういったことにも興味が湧いてくる。
ヴィンカの他作品も併せてチェックすると面白いかもしれない。
[※引用]
『レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語』
マシュー・コリン : 著
坂本 麻里子 : 訳
ele-king books : 刊
p.292
[参照]
『レイヴ・カルチャー──エクスタシー文化とアシッド・ハウスの物語』
テクニヴァル フランス 2000年の様子
新自由主義とは
執筆者
Jumpei Sakairi
早稲田大学法学部卒
フリーライター
写真、ファッションについて。
編集の仕事がしたいです。
Contact: nomosjp@gmail.com
https://www.flotsambooks.com/SHOP/PH04980.html
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