見出し画像

病氣とPOF理論 ③病人という役割

病氣とPOF理論 ①はじめに

病氣とPOF理論 ②思い出


わたしたちは、すべてにおいて、メリットを叶えています。どのようなことでも、それをきっかけにして、大きく背中を押されることがある。

飛び出すエネルギーになることで、自分の本当を生きようとします。自分の役割を生きようとします。それまでは偽りの自分。自分を生きる、その反動をコツコツ膨らませて飛び出すための助走期間を設定しているようにも思うんです。そこで取り組んできたこと、すべてが財産となっているはず。たくさんの体験を重ね、あるとき、その重なりの点がみえるのです。


今現状起きていることに、メリットなどないと思う方も多いかもしれない。それでも、その状態で、叶えられていることはなんだろう?と自問してほしい。すると、脳はその答えを導き出す。そしてその答えを導くために、問いを生じたこの時間を自分で生み出しています。

そこにどんなメリットがあるのか?それは一般的なものと逸脱しているかもしれない。それでも導き出そうとすると、自分のなかで「これかも?」と思うようなものが見えてくるかもしれません。

それは、自分自身の体調不良でも、そして家族の体調不良でも同じです。その経験により、自分はどんな流れを体験することになったのかを紙に書き出してみることが大事。それをきっかけにどんな見えていなかった自分の心と向き合うことになったのか?たくさん出てくるのではないでしょうか?


わたしの場合、子ども3人のアトピー性皮膚炎のケアを8年間24時間不眠不休でやってきたわけですが、【母親役割をきちんとこなす】【よい妻である】【よいナースである】ということに、ものすごく負荷をかけていたように思います。

子どもをずっと抱っこして、3人を両手でさすり、それでもひとりがかゆいとぐずれば足を使ってさすり、わたしのなかでは毎日必死でした。

病棟ナースだったこと、そしてそれが小児科だったこと、そしてそれが重症患児が多かったことから、子どもの不調をかなりの最悪で連想する癖もついていました。

常に不安。常に疑い。病院のドクターすら信じられず、というのも、ドクターも普通の人間だということを知っていたし、自分で調べ納得することを試して、「よりよい人生を子どもに残してあげたい」という今まで観てきた「強い死のイメージの反転した生」をずっと求めていました。



よいと言われることは、試した。生活スタイルも変え、とにかく必死だった。自然療法も深いところで信じられず、そのまま続け、盲目状態になったのち、三男6ヶ月でこれはどうやら、病院に連れて行かなければと思う状態になり、それでもアレルギー検査だけをして、帰ってこようと思っていた。自分で納得できるこじつけをしながら、自分の元勤務先に連れて行った。

「すぐ入院しないと、心停止を起こしかねない。」知っているドクターに言われた。


そこからたくさんのクリアリングを一氣にしてきた。

自分の否定してきたものを受け容れること。

他県にいる両親、義両親のお世話になること。働いていた母の仕事を休ませて、翌日から2週間来てもらい、夫の両親にも1週間お世話になった。義両親に「すみません、大切な子どもをこんなふうにしてしまって」と病室で謝った。ドクターには、皮膚の荒れが菜食しているためだと言われ、わたしの血液検査、母乳の中の栄養素も調べた。皮膚の状態の遺伝子検査もした。すべての時間は、母役割、ナース役割を否定されているように思った。

「こんなにも頑張っているのに」と、どんどん頑張りは強化していった。退院後はさらにさらにがんばった。毎日布団を干し、毎日シーツを交換し、毎日丁寧に拭き掃除をし、毎日ほこりがダニがないように頑張った。一日三回三男をお風呂に入れ、薬を塗り、抱っこをした。それでもへっちゃら。がんばっているということを守り続けた。小さな子ども三人、ほぼほぼひとりでこなした。自分のちょっとした時間も取ることをしなかった。トイレに入るときも、子どもの様子を伺い、お風呂も瞬間で終わらせた。朝から夜から朝まで。「わたしナースだし。」


こころと現実が連動しているという世界を知ったのは、三男を生む前で、そして自然療法的知識も、食養も長男次男で、マスターしていた。だからこそ、何があっても大丈夫と思って生んだのに、それまでで最高に最低な時間を過ごした。

そこから本格的に、こころと現実の連動に取り組んだ。自分の本当の気持ちに寄り添うことになった。


頑張っていないと、役割が認められない。自分の存在価値がない。そんなところから、次々と問題は大きくなった。どんどん不安とその反発の頑張りが自分ではほどけず、どうしてよいのかわからなかった。いつかトンネルを抜けると頑張り続けた。

内観しても変わらない。自分が問題を創っていることはわかる。でもそこからどうしてよいのかわからない。


もう、どうであってもいい。


そうやって、未来を手放した。

母親、ナース、妻、そこへの自分の期待を手放した。子どもの未来を、病氣にならない健康な身体を、それを創るのは自分だというその執着を手放した。


そこから大きな反転が起きた。

変わった瞬間が自分でわかった。


わたしの体験したメリットは、頑張ることによる自分の価値でした。そして頑張れないことの正当な理由でもありました。そしていろいろな無価値観のクリアリングをすることができました。頑張りを脱力するということへ向かっていたことがわかりました。それをやらなくても母親だし、それをやらなくても価値がある。それをやらなくても健康でいられる。それをやらなくても助けを求めることもできる。抵抗していたものを受け取ったからこそ身体でわかったのでした。

氣づいてからそれは、まだまだ長いことレッスンでした。


つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?