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愛とは、変えないということ

愛とは何か。
この問いを、世界中の人々が長い時間をかけて考えています。

わたしたちが愛と聞くとき、おそらく浮かぶのは親子愛や恋人同士の愛であるけれど、それだけではまだ足りません。足りないというのは、わかっていないということ。抽象的すぎるのです。

親子愛や異性間の愛。
このどちらもきっと、相手を想って言葉を発したり、行動をすることだと思います。それ以外にないだろうと、あなたは思うかもしれません。
しかし、まだ足りないのです。言葉や行動が何を指しているのかを、わたしたちはもっと細分化して考えないといけません。

そんなに細かく一つの言葉を分解する必要があるのか、疑問に思う人もいるでしょう。その答えは、イエスです。常に、イエス。言葉を曖昧にすることは、ときに人の心を酔わせますが、それは美しい音楽や美術品に出会ったとき、もしくはあなたの欲望を掻き立てる人との時間にのみ効果的に使われると良いとわたしは思います。
その他の場面では、言葉は曖昧にせず、少なくとも言葉を発する側のあなたの中では曖昧さを許すことなくその場に立つ態度こそが、あなたの人生をより明るいものにしていくのです。

では、愛とは何か。
愛とは、変えないということです。
変えないとは、その言葉の通り、その言葉を発するあなた、その行動をとるあなたを変えないということ。

去年末、出版社のイベント中にこのような質問がありました。

「私は障害者です。障害も個性だと人は言うけれど、とてもそうは思えません。どのような心持ちでいたら良いのでしょうか」

わたしはその場でこう答えました。

「障害があることは変わらない。そして、その障害によってあなたに出来ないことがあったとしてもそれは仕方がないこと。あなたはその出来ないことよりも、出来ることに目を向け、味わい、自分という人間を堪能するべきです」

これも一つの答えであったと思います。
しかし、今ここでわたしがもう一つ加えてお伝えしたいのは
「障害があることを受け入れられない自分を変えてはいけません」ということです。

愛とは、変えないということです。
障害があることを変えないということではありません。そのままにしておけばいいという意味でもありません。
少しでも障害が取り除かれる可能性があるのなら、その努力はすべきでしょう。快適に過ごせる方法があるのなら、西へ東へ走り回るのが正解でしょう。わたしならそうします。

ここで言う「変えない」とは、「あなた」を変えてはいけないということです。目の前の現実はどうでもいいのです。人にかける言葉や、とる行動、変えないという対象はそれらではなく、常に「あなた」自身に対して使われるものです。

発達障害を持つ子ども、不登校の子ども、そうした子を持つ親からの質問にも、いつも同じように答えます。変えてはいけません。子どもを変えないのではなく、あなたを変えないのです。
変えないことが愛と言われた。では、このまま子どもの好きなようにさせておこう。好きなだけ暴れさせて、思う存分学校を休ませよう。そうしたら、きっと子どもは普通になってくれる。だって、私は子どもを変えないのだから。そうではないのです。

愛とは、変えないということ。
あなたのその感情を、思考を、態度を、体感を変えてはいけないのです。
「なんで」
そう思うのなら、そのままにするのです。
「私ばっかりつらい」
そう思うのなら、そのままにしてください。
震える呼吸を、止まらない拍動を、そのままにするのです。
それをなかったことにするから、いつまで経っても「今」に立つことができないのです。

人生には「今」しかありません。
あなたの人生は「今」の連続です。
どっしりと、力強く「今」に立つ。そっと、ではいけません。そんな弱々しさでは風が吹けば倒れてしまう。もっと、はっきりと、力強く。私は「こう」なのだと、そのままの自分をそこに刻むのです。

まずはそこなのです。忘れてはいけません。


2024年5月20日 ドバイの自宅にて
須王フローラ



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