シータカナーニ

florist/1971年生まれ 元・総合建材卸売企業営業サラリーマン。 2004年花…

シータカナーニ

florist/1971年生まれ 元・総合建材卸売企業営業サラリーマン。 2004年花屋開業/戸塚駅商業ビル店舗10年を経て 2022年12月神奈川県二宮町に移転しアトリエOPEN✿ ちょ田舎暮らし始めました。 https://a-ecru.com/

最近の記事

元リーマン…断念します。

それからは 茨木と話し合いを重に重ね…… 飲食店を『一緒にやる』というコトを 断念しました。 もし一緒にやるにせよ 『今』では無いのかもと。。。 お互いを認め合っているからこそ… なぁなぁで始めたくないし ボクの中で『イケる!』という気持ちが この時は低くなっていたというコトも 影響していました。 気づきを教えてくれた 日本喫茶学院には 今でも感謝しております。 因みに…余談ですが 二宮町に移転して かみさんの実家を 『スケルトンリフォーム』という形で 建て直したのです

    • オシャレなcafeの学校と思いきや…

      日本喫茶学院という レトロでモダンな 喫茶店推しの学校へ入学しました。

      ¥100
      • ボクが辞める ちょい前…

        かみさんから 『会ってもらいたい人が居るんだけど 時間作れる?』って。 ん?何だ? いきなり『この人と…』とかやめてよぉ?笑 彼女はボクと結婚してから花屋さんに勤め その後、ウェディング専門会社に 就職した…というのは以前お伝えましたが そこは今でこそ普通ですが レストランウェディングのはしりの所でして。 そこでパティシエをしてた玉田さんていう方を ボクに紹介してくれてね。 聞けばその時点で飲食専門で10年やってるヒト。 『飲食業は甘くないよ〜!』って 会って初っ端、

        • 『飲食一緒にやりません?』からのボクらは打合せを重ねに重ねました。

          何時どのタイミングで会社を辞めるか?を 話し合っていました。 今思うと… 辞める理由がボクには 欲しかったのかとも思います。 そんな時、あの恩人の木内さんの先輩 畑山さんから『木内、お花で成功し始めてるよ!』って同行中聞いたんです。 木内さんの奥さまがfloristさんで独立されて 木内さんもメーカーさんを辞めて 奥さんと一緒に花事業をする会社を作り そこでスクールとウェディングの仕事を軸にして ホテルにウェディングの営業をして 取りまくっていると。 営業センスが素晴

          ¥100

        元リーマン…断念します。

          そんなボクらにとって『理不尽なコト』が続いたある日…

          『男・茨木』と呼んでる後輩から 『ニーナさん?もう辞めません?』て 突然言われて。 この茨木。 一個下だけど、入社当初から 妙に落ち着いていて、 会社の慰安旅行やら行事を ことごとく行かない男だった。 『それは強制ですか?』 『仕事なんですか?』 平成のあの時代に… 令和で当たり前になる様なコトを 言ってのけてた男。

          ¥100

          そんなボクらにとって『理不尽なコト』が続いたある日…

          ¥100

          時は経ち…

          ボクは営業主任になり 横浜営業所のトップセールスマンに なっていたのが27歳後半。 『トップセールスマン』て書くと なんかちょっと…偉そうですよねぇ〜。 当時のボクの売上ノルマ『6000万』でした。 ひと月ですよひと月。 売上目標が横浜営業所の中で1番高いから 売上高も1番高い…って言うだけなんですけどね。 言っても…ルート営業なので 決まったお客さまに毎月売るワケなんですけども。 『毎月ノルマ達成!』するほど 営業は簡単ではなく。。。 そんな時 所長がですね…代わり

          ¥100

          時は経ち…

          ¥100

          『同行営業』のお話。

          もう少しだけ。 ボクら問屋の営業マンは 『同行営業』という メーカーさんの営業マンと一緒に 自分のお客さまの所へ 営業に行くスタイルがあります。 と言うのは#3でもお伝えしました。 水廻りメーカーだったら TOTOさん、クリナップさん、 タカラスタンダードさん、ノーリツさん、 当時のトステムさん、INAXさん等々。。。 ボクも後輩の茨木も この同行営業をよくメーカーさんから 頼まれておりました。 『ニーナさん?今度同行お願いします!』 メーカーさんの営業マンの年齢は

          『同行営業』のお話。

          ボクは高卒だもんで。

          かといって高卒に劣等感を持っている… ワケでもないです。 とんねるずもダウンタウンも高卒だったし。 ただ…大卒と高卒というのは 『そりゃ差があるのは当たり前!』 というのが社会の掟。 入社当初から『営業マン』ではなく。 『倉庫マン』として 倉庫の商品の管理・配送の組立やら フォークリフトに乗って トラックから荷下ろし トラックへの積出し等をする仕事をし 商品を覚えからの内勤になり お客さまからの電話応対する期間を数年経て 営業マンになりました。 今思えばこの時 社会人と

          ¥100

          ボクは高卒だもんで。

          ¥100

          何故花屋になったのか?

          何故、花屋で働く事になったのか? それはリーマン時代の話をしないといけません。。。 ん? 必要か? …… 必要だ。 ボクは高卒でして。 商業高校の進路相談の先生に 『この会社は離職率が低いからイイんじゃないかな?』という… 至極、適当な『それだけで?』の理由で 勧められた会社に入社しました。 先生も先生ならボクもボク。 昭和世代万歳🙌です。 その会社は総合建材卸売事業の会社でした。 『総合建材卸売事業』って何やねん? ですよねー? 総合建材卸売事業とは、メーカ

          何故花屋になったのか?

          『ねぇねぇ?聞いた?ニーナが花屋始めるってよ!』

          ボクの友達 サラリーマン時代のボクを知ってる上司や先輩後輩 そして身内や家族 その他諸々の面々… ボクを昔から知ってるヒトたち みんながみんな 『何で?』と。 『え?花好きなの?』 『何かあったの?』 『嘘だろ?』 『何?冗談はやめよーよ』 『モテたい?』 『やめた方がイイよ!』 『ニーナちゃんは花屋って顔ぢゃない』 今、思い出しても 笑ってしまう。 酷い言われようだったね…ホント。 そんなにも 花とボクは『=』では無かった。 でもね 無縁…では無いのよ。 何を隠

          『ねぇねぇ?聞いた?ニーナが花屋始めるってよ!』

          はじめまして。

          今年の10月で花屋開業20年を迎えます シータカナーニと申します。 2年ほど前に横浜市戸塚区から 小田原のちょい手前… 大磯ロングビーチのある大磯町のすぐ隣の町 『二宮町』に移転しまして。 始めてお会いする方々 事ある毎に 『何で花屋さんになったんですか?』 『昔から花屋さんだったんですか?』 『二宮に来てから花屋さん始めたんですか?』 etc…。 自己紹介をするコトが増えに増えまして。 だったら… 皆さんに知ってもらう為にも ボクが歩んできた『花屋道』も知ってもらう

          はじめまして。