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うららかな春の門出に私は銃声を聞いていない

かつて恩師が「大学に行くとわからないことが増える」と言っていた。その通りだったな、と思う。

高校の国語の教科書に載っていた『クレオール主義』に心を掴まれ、著者が教鞭をとっている大学を選んでから6年が経った。他者の物語を特定の文脈のいち素材として回収すること、語りえぬはずのものを語ること、語りえぬものを語りえぬからと言って切り捨てること、そういうありふれた暴力に目を開こうとしてきたつもりだった。

2年間休学して暮らし、仲間と一緒に会社を立ち上げ、仕事をしてきたミャンマーでは、2ヶ月前に国軍がクーデターを起こした

およそ1ヶ月前に関連記事をまとめて公開したnoteでは、なにひとつ武器をたないデモ隊への発砲と死者の発生、それでもなお歯を食いしばるようにして平和的な手段をつらぬく人々を見て、「すべてがギリギリのところにある」と書いた。

ギリギリの一線は、とうに超えてしまった。

現時点で死者は数えられるだけでも510人、拘束された人は2574人、さらに120人に逮捕状が出されている携帯電話の通信回線は2週間前から完全に遮断されており、Wifiも夜には繋がらなくなる中で、現地から届く情報は激減した。

現地の主要メディア5社のライセンスが剥奪され、カメラを向ければ文字通り実弾で撃たれる危険性がある中で伝えられた数字がこれだ。事実を思うと目眩がする。

「デモの鎮圧激化」と言うが、軍が銃口を向ける相手は平和的に抗議していた20歳の女の子であり、幼い子どもであり、怪我人を治療していた医療従事者であり、ただ地獄のような世界でなんとか日々の生活を手放さずにいただけの一般市民だ。

「軍」、あるいは日本のメディアで「治安部隊」と報道されるこの集団は、27日に国営テレビで「ミャンマーの新世代の若者たちへ」と題した放送をおこない、「銃撃は後頭部と背中を貫通する危険がある」「見るも無残な死に方をした者たちを教訓にしてもらいたい」と自国民を恫喝した。


いつだったか、大学のレポートでアイヒマン裁判を取りあげて「アドルフ・アイヒマンと私たちの間にあるものはガラス一枚のみである」と書いたことがある。600万のユダヤ人を強制収容所に移動させるという「難題」に、専門知識を最大限にいかして「プロフェッショナルとして」対応し、「満足いく結果」を出した彼の中に狂気を見るとき、私たちが本当に見ているのは鏡ではないか、という論旨だった。

当時の自分をぶん殴りたいと思う。何を軽々しくわかったような口を、と思う。

圧倒的な暴力によって、大切な人の命が現実に危険に晒され、精神と身体が傷つけられ、明るかった友人が「もう二度と笑えないような気がする」と言っているまさにその時、暴力をふるう側の人間を「元凶」として自らの対極に置かないようにするには、とてつもない意志と忍耐力がいる

およそ想像しうる最悪を軽々と超えていく残虐な行為に対して、「理解できない」「人間ではない」と言わないようにすることが、これほどまでに力のいることだと知らなかった。背景を知ることも、歴史に学ぶことも、すべて投げ出してしまいたくなる。

それでも。


今から10年前、東日本大震災について佐々木中が重い口を開いた時、かれは次のように語った。

実に難しいことです。「語れ」という圧力に屈せず、死者や被災者を「利用」することなく、しかし真摯にこの事態について、それでも何かを語らなければならないとすれば。これは殆ど綱渡りに近い何かといっていい。
(中略)
ジョナサン・トーゴヴニクという写真家のルワンダ虐殺事件を扱った写真集を取り上げました。その時、「誠実な絶句」ということを言った。彼の写真集は、ぎりぎりのところでルワンダの、凄絶と言うもおろかな虐殺に遭遇して苦境にある女性たちを「利用」してはいないと私には思える。彼女たちを「理解」することもできず、彼女たちを「代弁」するなどということもできないときに、われわれには「いかに誠実に絶句するか」「その絶句自体をどのような試行錯誤において人々に伝えるか」という課題が遺されている。

※強調筆者
佐々木中『仝: selected lectures 2009-2014』125-127頁。河出文庫 (2015)

いまも、友人が銃声に怯えている。全土に広がる市民不服従運動がノーベル平和賞にノミネートされるなか、ストライキで機能麻痺した病院で知人が死んだ。友人の恋人は、抗議活動に参加したまま拘束され、今も帰ってきていない。英雄視される連邦軍に徴兵されるのは、そうでない未来がありえた若者たちだ。コロナとクーデターで、学校は丸一年完全に閉鎖されている。引き金を引く以外の道を知りえなかった人がいる。弱い者から順に飢える。ミャンマーだけの話をしているつもりはない。

桜の下で卒業する私は、さしあたっては、そのどれについても当事者ではない。どれだけ心を痛めようと、壮絶な現実に右往左往しようと、「いつだって当事者になりうる」ことと、「今まさに当事者である」ことには絶対的な隔たりがある。

それでも、この暖かい春の日に、誠実な絶句を試みることはできるのだと信じたい。

しかもトーゴヴニクは実践として彼女たちのために基金を設けて働いている訳ですね。彼の写真集を買えば、具体的に救われる人がいる。ここまでしてようやく、「なんとか(当事者を利用することを)免れている」と言えるのだとしたら、やはり気楽にものは言えない。
※括弧内補足筆者、出典同上

自分に何ができるのか、これから何をしていくべきなのかもまだわからないけれど、せめて、学位記に恥じないだけの想像と実践を努めていきたいと思います。

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6年間、数えきれないほどたくさんの人に支えていただきました。とくに、惜しみない機会を与えてくれた両親、言葉を教えてくれた恩師、信頼してくれた所属先各社の皆さん、一瞬でも同じ景色を見たことのある大切な友人たちに、心から感謝します。

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