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デジタルハードコア再考 - Coakira(Fujimi Industry Records)インタビュー

パンクのメンタリティをもとにブレイクビーツ・ハードコア~ジャングル~ハードコア・テクノ~インダストリアル~ヒップホップ~ノイズを力技で組み合わせた攻撃的かつ知的なジャンル「デジタルハードコア」の魅力に迫る特集記事を公開。

デジタルハードコアは90年代前半にドイツのRAVEシーンで活躍していたAlec Empireによって生み出されたジャンルであり、1994年に始動したレーベルDigital Hardcore Recordings(以降DHR)に所属していたAlec Empire/Atari Teenage Riot、Ec8or、Shizuo、Bomb20、Sonic Subjunkiesといったアーティストがこのジャンルの象徴的な存在だといえる。

初期DHRはブレイクビーツ・ハードコア~ダークコア~ジャングルからの影響をパンクやインダストリアルとミックスさせた荒々しい高速ブレイクビーツ・ミュージックを展開しており、同時期ヨーロッパで巻き起こっていたテクノとジャングルのムーブメントに対するアンチテーゼを掲げ、暴走機関車のような制御不能の危険なブレイクビーツ・トラックを連発。ポリティカルな姿勢を重要視した彼等の活動はその音楽性と相まって新たなパンクのスタイルを確立させた。

DHRの看板アーティストであったAlec EmpireによるAtari Teenage Riotはシングル「Kids Are United」「Speed」「Sick to Death」に代表されるようなアグレッシブでありつつ耳馴染みが良く、クラウドがシング・アロングできるキャッチーなボーカルメロディによって早い段階でロックのフィールドで受け入れられ、Beastie BoysやThe Jon Spencer Blues Explosionからのサポートもあり、90年代中頃にはオーバーグラウンドでの成功を収める。それにより、Alec Empire/Atari Teenage Riotを通じてデジタルハードコアはアンダーグラウンドのハードコア・ヘッズからロックやミクスチャー系のリスナーまで魅了し、ここ日本でもデジタルハードコアは広く受け入れられていた。

ここ最近、Alec Empireは自身のBandcampにて過去作の復刻や未発表曲をまとめたアルバムを公開し、デジタルハードコアが現代においても通用するタイムレスなものであるのを証明している。DHRに所属していたPatric CataniやChristoph de Babalonも精力的に活動しており、Bomb20も復帰作を発表した。このタイミングでデジタルハードコアを再考するのには意味があるとおもい、デジタルハードコアを長年に渡ってチェックされており実際にクリエイトしているCoakira氏にご協力していただき、インタビュー形式にてデジタルハードコアの魅力を掘り下げてみた。


Coakira (コアキラ)
https://lit.link/coakiradeath

硬核系打込波形切貼音楽製作者
90年代初頭よりテクノ/エレクトロサウンドの製作を開始、90年代半ばよりATARI TEENAGE RIOTをはじめとするDHRの影響によりハードコアサウンドに傾倒する。様々なバンド、ユニットでの活動を経て2013年よりCoakira名義でのソロ活動を開始。Coakira名義ではスピードコア、テラーコア、ガバ、エクストラトーンなど激しく凶悪なハードコアテクノを中心に製作している。

現在ソロ活動以外にも「AKIRADEATH」「CustomMummy」「犬殺-INUKORO-」などのユニットでの活動も多数行っている。
2015年より自主レーベル「Fujimi Industry Records」を発足し、国内外のハードコアテクノ系を中心としたアーティストの作品を多数リリースしている。

Q. Coakiraさんがデジタルハードコアというジャンルを知ったのはいつ頃でしょうか?

A. 既に30年近く経っていて記憶に曖昧な部分もあるのですが出来るだけ思い出してみます。
デジタルハードコアという存在を知ったのは96年頃、当時はプロディジーがもの凄い勢いあって所謂「デジタルロック」というのが流行り始めていた頃だったと思います。自分も当時はプロディジーのファンでブレイクビーツを多用したボーカル(ラップ)とトラックの2人組のテクノユニットをやっていて東京のライブハウスを中心に活動していました。

当時MTVのクラブ系の音楽情報番組で「AMP」というのがあって、その番組でAtari Teenage Riot(以下ATR)の「Kids are united」のミュージックビデオが流れていたのを観たのがデジタルハードコアとの出会いでした。
このMVではギターとドラムとサンプラーのバンド編成に黒人男性と白人女性のツインボーカルの構成だったのでパンクバンドにヒップホップの要素とテクノ、ブレークビーツを加えたミクスチャーバンドだと思っていました。当時この曲がSham 69のサンプリングで出来てることを知らなくて普通にバンドで演奏しているのかと思っていました。

このビデオ(「Kids are united」)を観たときの印象としてはかっこいいとは思ったけど、そこまで刺さらなくてタイトル通り「キッズ向けだな~」というのが率直な感想でした。このビデオ、後々知ったのですがDHRメンバーがよくライブをおこなっていたSuicideClubというところで撮影していて客席で暴れてるオーディエンスにDHRの他のアーティストが結構いるらしいです。モヒカン頭でモッシュしてるのは多分EC8ORのパトリックCですね(笑

それから暫くしてCD屋行ったときに試聴機にATRの1stアルバム「Delete Yourself (1995)」が入っていたので「あ、テレビで観たやつだ」という感じで聴いてみたんですよ。これがもう一曲目からヤバい!ハードコアパンクとガバとジャングルを混ぜこぜにしたようなサウンドと叫び声!スピード感!!気づいたら当時、一ケ月ぐらいずっとこのアルバムを聴いていたような気がします(笑

その後、やはりMTVでライブ映像をみたらMVでみたようなバンド編成ではなくボーカル三人とマシンコントロールが一人の構成で全員が好き勝手にジャンプしたりマイクスタンド振り回したりして暴れ回ってるの観てなんとも言えないエンターテイメント性と中毒性を感じました。男女混合のメンバー構成も新しさを感じましたね。

そこからATRだけでなく中心人物のアレック・エンパイアはDHRというレーベルで「デジタルハードコア」を提唱して他にも色んなアーティストの作品をリリースしているのを知ってCDを買い漁りました。

Q. デジタルハードコアとはどんなジャンルだと思われますか?

A. 普通はテクノとかクラブ系の音楽ってジャンルとかレーベルで音楽性や形式(音色、BPM等)ってかなり限定されてると思うのですが、デジタルハードコアに関してはかなりバラバラで言ってみればオーナーのアレックがDHRでリリースすればデジタルハードコアという括りでいいんじゃないかと。

一般的なイメージとしてはATRやEC8ORに代表されるようにジャングル、ドラムンベース、ガバ、パンク、メタル、ヒップホップをミックスしたようなサウンドにシャウト系のボーカルやラップが入るのが一番わかりやすい「デジタルハードコア」っぽいサウンドだと思います。

ただ、ShizuoやChristoph de Babalon、アレックエンパイアやパトリックCのソロ作品のようにこの定義にまったく収まらないものもDHRから沢山リリースされてたのでやはりDHRから出てたものやそれらに影響を受けたアーティストが「デジタルハードコア」でいいんじゃないかなと僕は思ってます。
所謂ブレイクコアとの違いも自分にはよくわかりません。「デジタルハードコア」の中にブレイクコア、ガバ、IDM、チップチューン、スピードコア、アンビエント等々が内包されていた感じだと思います。
音楽ジャンルというよりはあの時あの場所(DHR)に集まったアーティスト達の総称といった感じじゃないでしょうか?

Q. 90年代、デジタルハードコアは国内でどういった紹介をされていてどのようなタイプのリスナーが反応していましたか?

A. 自分はATRがだいぶ人気でてから知ったので、その頃はプロディジーと同じようにバンドを聴く人にもかなり人気がありましたが、元々はハードコアテクノ/ガバを聴く人から広がっていった印象があります。実際音的にもATRの1st、2ndはガバキックを使っていてハードコアテクノ/ガバの亜種という感じですし。
あとミニストリーやナインインチネイルズなんかのEBM、インダストリアルロックのファンの間でも結構人気があったような気がします。僕の廻りでもそれ系のバンドやってた人達がしきりに「今アタリってのが凄い!」って言ってました。

97年の1回目のフジロックに出た前後からロックファンの間でもかなり人気でたんじゃないかと思います。クイックジャパンでインタビューが載ってたのをみたのが普通の雑誌でみたのは最初だったような気がします。ロッキンオン等の音楽雑誌でも結構紹介されてましたね。タワレコなんかでもコーナーができてたので当時は相当人気あったんじゃないでしょうか。(大概プロディジー、ケミカルブラザーズ、エイフェックスツインなんかと同じコーナーで宣伝されてたので当時の人気の度合いがわかりますよね)
そういえば下北沢の映画館でDHRのミュージックビデオを上映してたことありました。皆静かに座ってデジタルハードコアを聴いてるのがなんか可笑しかったです(笑

Q. CoakiraさんにとってAlec Empireの存在はどのようなものでしょうか?

A. 最初はATRのアレックしか知らなかったので「力技で一直線に攻めるイカれた人(アレックごめん)」って印象だったんですが、ソロ作品を聴いて様々なサウンドを作っているのを知って、この人はかなり冷静で頭の良い人でATRもある種計算の上でやっていて過激な発言も戦略というか、今で言うところのバズらせるためのパフォーマンスの部分もあったんじゃないかと思ってます。
アレックの行動原理が初めに政治主張ありきで音楽は主張を訴えるための武器だったのか、その逆で音楽を広めるために主張を展開していたのかはわかりませんが、いずれにしても僕はアレックの政治思想的な部分や発言もあくまでエンターテイメントの一つとして楽しんでいました。(こうゆうこと言うとガチなファンの方々からは怒られるかもしれませんが)

ただアレックの音楽家としての評価はもっとされてもいいんじゃないかと思ってます。ATRだけでなくソロ、リミックス、コラボ、最近だと映画のサントラとかもやってたみたいですが、音楽性はかなり広くて深い人だと思います。どうしてもATRのイメージが強いですが同時期に出していたソロの「Low On Ice」や「Genelation Star Wars」なんかもホント素晴らしいので聴いたことない人はサブスクやBandcampに入ってるので是非聴いてみて欲しいなと思ってます。

アレックだけじゃなくDHRのアーティスト全般ですが、あの音響にはかなり影響受けましたね。それまでサンプリングするときはなるべく良い音で録音するのが普通だったんですが、DHR以降はボリューム超過して赤出てからが本番!みたいな感じでピーク無視したサンプリングが基本になりました。元々いい機材使ってた訳じゃないのでDHRのサウンドには本当に勇気付けられました。

Q.Coakiraさんがデジタルハードコアを作り始めたのはいつ頃からですか?
過去に日本でもデジタルハードコアをクリエイトしていたアーティストはいるのでしょうか?

A. DHRを色々聞き始めた96~7年ぐらいに影響受けすぎて、それまでやってたテクノユニットをわざわざ解散してデジタルハードコアのユニット結成してました(笑
自分はトラック作って他にボーカルとベースがいるユニットでサウンド的には完全にATRの1st,2ndソックリな曲作ってました。ほどなくこのユニットも解散して2000年頃からCustomMummyというユニットで活動して、このユニットでも初期はデジタルハードコアっぽいサウンドでやってましたが、ボーカルがいないインストバンドだったのでそこまでデジタルハードコア度は高くなかったです。

当時日本でデジタルハードコアをクリエイトしていたアーティストとなるとTHE MAD CAPSULE MARKETS(以下マッド)の存在が一番大きかったと思います。
既にメジャーシーンで有名バンドだったマッドがアーメンブレイクやガバキックを使ったことで「デジタルハードコア」の存在を知った人も多かったと思います。

それからどれくらいの知名度があったのかはわかりませんが、トモコDEATHという女性アーティストが民族音楽とデジタルハードコアをミックスしたサウンドで活動していました。

インディーズシーンでは2000年頃ですが大阪のpeachというバンドがガバキックを使って男女ツインボーカルでちょっとATRっぽい音をだしてた時期があって僕はかなり好きでしたね。

東京だとdie!!die!!color!!!がやはり男女ボーカルでATRをわかりやすくしたようなデジタルハードコアをやっててかっこよかったですね。

デジタルハードコアではありませんが、海外でハードコアテクノの作品を数多くリリースしていたナヲトスズキさんはEC8ORやShizuo、Bomb20と親交があったみたいです。ナヲトさんの主宰していた「帝国レコーズ」のコンピ「Off The Track To Hardcore」にはパトリックとナヲトさんの共作やBomb20のトラックも入っていて、中でもMEGADRIVEという日本のアーティストの曲とナヲトさんのユニットSmily Slayersの曲が僕が求めるデジタルハードコア的なサウンドで素晴らしかったです。

あとは大阪のLINDAさんもDHRの影響は受けてないみたいですが、サウンド的にはガバキック、ギター、シャウト系のボーカルが入ってデジタルハードコアと近いもの感じましたね。

Q. デジタルハードコアの作品で特にお気に入りのTOP3を教えてください。

V.A. - Harder Than The Rest
3つ選ぶのは中々大変なので、ちょっとズルいですがコンピレーションです。
このコンピでATR以外のDHR勢を初めて聴いたのでインパクト大でした。
なんせATRでも音質いい方というローファイなサウンドには衝撃うけましたね。特にShizuoとEC8ORはヤバかったです。
あとこのコンピでしか聴いたことなかったKillout Trashもかなり良かったですね。近年自分がだしたアルバムタイトルにKillout Trashにあやかって「Kill Out Slash」って付けたぐらい好きですね(笑
この頃のDHRはインストでジャングル、ドラムンベース系のサウンドが主流で当時ブレイクコアという呼称があったかどうか知りませんが、今でいうブレイクコアっぽい曲が多かったですね。ボーカル入ってるのとガバキック使ってるのはATRとEC8ORぐらいでした。
とにかく音質、アートワーク、テロリスト然としたDHRメンバーのアー写の面構え、どれをとってもアンダーグランドなムードが漂っててシビれました!

ATR - The Future of War
1stももちろん好きなんですがこっちのほうが更に音的に突き詰めてて今聴いてもお勧めですね。「Fuck All」や「Heatwave」のガバキック全開でBPM速いスピードコアっぽい曲とか超名曲です!!
個人的にはATRはこのアルバムの頃が最高潮だったんじゃないかと思ってます。

EC8OR「World Beaters」
EC8ORも1stと迷ったんですが完成度考えるとやっぱりこのアルバムかなと思いました。1stはまだジーナのボーカルが未熟な感じなんですが、このアルバムはキレッキレでかなりいいです!
トラックもスピードコアからダウナーなヒップポップまでをAMIGAのもの凄いローファイな音で作られてて耳障りが気持ちいいです(一般人には騒音)
このアルバムが出たころにプロディジーと一緒に日本でライブやったんですよね。どういう経緯でプロディジーと一緒になったのか不明ですが、今考えると貴重なブッキングでした(幕張メッセのデカい会場の後ろで観てたので生ではほとんど見えませんでしたが)
あとこのアルバムには入ってないんですが「I Don't Wanna Be A Part Of This」はトラック単位ではDHRの中で1番好きな曲です。
パトリックがDHR以前に所属していたShockwaveをディスったっ歌詞ですが、曲調はあえてなのかShockwave時代のE-De-Cologne名義の作品と近いガバ(今でいえばテラーコア?)でスピード感、破壊力とも最高です!自分がたまにDJやるとき今でも使ってますね。

Christoph de Babalonの「If You're Into It, I'm Out Of It」とアレックの「Genelation Srtar Wars」もかなり好きなんですが、所謂デジタルハードコアっぽくはないので今回は選びませんでした。

Q. DHR全盛期には所属アーティストが頻繁に日本でライブやDJをしにきていましたが、Coakiraさんが見た中で特に印象に残っているアーティストは?

A. 新宿ロフトでやったEC8ORとShizuoのライブは凄かったですね。そんなに広くない場所でギュウギュウでモッシュ、ダイヴするオーディエンスがいて完全にテクノ・クラブ系のノリではなくパンクのライブって感じで楽しかった!
ATRが赤坂ブリッツでやったときはなぜか一番前で観れて感動しました。ただダイヴする客が大量に降ってくるので受け止めるのが大変で後日むち打ちになりました(笑

あとEC8ORが新宿のリキッドルームでやったときは宣伝が足りてなかったのか、お客さんガラガラでびっくりしました。しかもEC8ORで宣伝してたけど実際はパトリック一人で来日しててジーナは電話(インターネット?)で参加という色々びっくりするライブでした(笑
でも本人は楽しそうでCandy Hankの曲とかもやってくれて、あれはあれで貴重なライブでした。そういえばそのときパトリック本人が物販やってました。(どう見ても手作りのTシャツとか靴下も売ってました!)
映像のイメージでイカツい人かと思ったら滅茶苦茶フレンドリーなイケメンで凄くイイ人でした。DIYな感じが素晴らしいな~と思いましたね。

Q. 90年代後半から2000年頭まで日本でデジタルハードコア/DHRの作品は非常に大きな人気を得ていました。なぜ、あの時期にデジタルハードコアが日本であれだけの人気を得られたと思いますか?また、2000年代に入ってからその勢いが失速してしまったとのはなぜだと思われますか?

A. これを言ったら身も蓋もない話ですが、日本盤を出していたBEATINKの営業が相当頑張ったんじゃないでしょうかね?時代的にプロディジーやケミカルブラザーズ、アンダーワールドなんかが凄い人気でビッグビートやデジタルロックと言われてロックとテクノの両方のファンから支持されてブームになっていた頃にデジタルハードコアも日本に紹介されたのが大きかったと思います。ATRやEC8ORのメンバーのキャラクターやルックスもロックスター的なカリスマ性があって人気に火が付いたんじゃないかと思います。

失速の原因はわかりませんがEC8ORとBomb20がDHRを離脱してカールクラックが亡くなりATRが事実上解散したのが大きかったと思います。
その後、アレックエンパイアがソロでボーカル取るようになってからも一定の人気は保っていましたがDHRのムーブメントは失われてしまったと思っています。

個人的には99年にATRの3rdアルバム「60 Second Wipe Out」を聴いたときに期待が大きかっただけにちょっとがっかりしたのを覚えています。リズムトラックからガバキックが消えてストレートなパンクっぽいサウンドになって重さやスピード感が失われてしまった気がしました。好きになろうと思って一生懸命聴いてましたが、自分の中で2ndを超えることはなかったです。
なので自分的にはこの辺を境にDHRの求心力が失われていった気がしています。(これはあくまでも僕個人の見解です)

Q. AKIRA DEATHの結成について教えてください。このユニットはどのようにして始まったのでしょうか?

A. 名前なのですがAKIRA DEATHではなくってスペースなしのAKIRADEATHなんですよ。1stアルバムの頃はスペース入ってたんですが、プロデューサーのDJチャッキーさんに「スペース無いほうが検索で引っ掛かりやすいよ」ってアドバイスもらって2nd以降はAKIRADEATHになってます。

ユニットの構成は僕がトラック作って神崎晃君がボーカルで作詞、一部作曲もしてました。2000年代初頭に僕がCustomMummyをやってたときに神崎君がSpiky(後に鯔背組に改名)というデジタルハードコアのユニットをやっていてdie!!die!!color!!!なんかと一緒に東京のライブハウスでデジタルハードコア系のイベントやってた頃に出会いました。それから数年して神崎君の鯔背組が解散して、僕もCustomMummyではデジタルハードコアをやらなくなってたので「二人でいかにもデジタルハードコアなユニットやろうか」ってことで結成したのが2006年でした。

2006年当時デジタルハードコアはちょっと廃れ気味だったんですが、二人の共通点は名前が同じ「晃」なのとデジタルハードコアが好きなことぐらいだったので敢えてデジタルハードコアを全面に押し出して活動開始しました(笑
結成当初は結構軽くサイドプロジェクトみたいな気持ちで始めたんですが、その後マデストチキンダムからリリースさせてもらったり、エクストリームハードにレギュラーで出演させてもらったりしてるうちにメインのユニットになっていった感じです。

Q. AKIRADEATHの楽曲はどのようにして作られていたのでしょうか?

A. 基本的に僕が作ったトラックに神崎君が歌を乗っける感じでそれぞれの作業にはあまり口出ししない感じでしたね。
楽曲制作のプロセスとしては、初期の頃はPCを使用せずトラックはローランドのS-760というラック型のサンプラーとカワイのQ-80という単体のシーケンサーで全部作っていて、とりあえずTR-909のキックを歪ませたガバキック(実機ではなくサンプル)とアーメンブレイクでリズムトラックを作ってギターのフレーズと叫び声なんかをどっかからサンプリングしたらトラックは大体完成で後は神崎君が自宅で歌を録音して最終的に僕がミックスダウンするという感じでした。ミックスはヤマハのMDデータを使用した8トラックのMTRでやってました。音質もかなりローファイでそれこそがデジタルハードコアだって当時は思ってましたね。

エクストリームハードに出演するようになってからはコンピに参加させてもらったりするとウチの曲だけ著しく音質が悪くて音圧ないのが気になって、作曲にCUBASEを使うようになって段々曲調もm1dyさんの影響もあってスピードコア寄りになっていきましたね。ギターもサンプリングじゃなくてソフトシンセを使うようになり音質や音圧、ミックス、マスタリングなんかも気にするようになりました。

Q. AKIRADEATHにはポリティカルなメッセージも込められていたと思いますが、デジタルハードコアというジャンルにおいて政治的な要素は必要不可欠だと思われますか?

A. 作詞やバンドのコンセプトも含めてAKIRADEATHの戦闘的なビジュアルイメージやメッセージ性は神崎君が作ってたもので僕自身には政治的な要素って皆無なんですよ。(いわゆるノンポリ)
なのでデジタルハードコアに政治的メッセージが不可欠と僕は全然思っていないのですが、AKIRADEATHというユニットとして見れば必要不可欠なものなんじゃないかと思います。そこがCoakira名義のソロ作品とAKIRADEATHとの大きな違いにもなっています。

Q. AKIRADETAHとして発表した作品で特に気に入っているものは?

A. 1stアルバム「殺し屋稼業」はやっぱり初めてのプレスCDだったので思い出深いですね。DHR的なデジタルハードコアって意味でもこの作品が一番それっぽいと思います。

あとは2012年に出した「The Future of Japanese Digital Hardcore!!!!」は集大成的なアルバムでスピードコアやテラーコアも取り入れた自分たち独自のデジタルハードコアが完成した感じだったので今でも気に入ってます。
このアルバムにはパトリックカターニのリミックスも入ってるので「遂に元祖デジタルハードコアのあのEC8ORのパトリックにリミックスしてもらった」というのは非常に感慨深かったですね。

※AKIRADEATHの楽曲は今現在Spotify等のサブスクやBandcamp等でのデジタル販売をしてないのですが、近々開始する予定なので聴いたこのない方はこの機会に是非聴いてみてください!

Q. 現在、デジタルハードコアをクリエイトするアーティストで注目しているのは?

A. 有名どころではなんといってもTHE MAD CAPSULE MARKETSのベーシスト上田剛士さんのプロジェクト「AA=」ですね。
BABYMETALやBiSに提供したトラックもマッド直系のデジタルハードコアを強く感じさせるトラックで日本において一般層にもデジタルハードコアを浸透させた偉大な方ですね。

最近だとアニメ「チェンソーマン」のエンディングに使われたマキシマムザホルモンの「刃渡り2億センチ」という曲の中でアーメンとノイズのデジタルハードコアなパートがあってちょっと嬉しかったですね。

海外の有名どころだとデジタルハードコアを謳っているわけではないのですがベラルーシの「Ambassador21」や南アフリカの「DIE ANTWOORD」、ロシアの「IC3PEAK」などは男女デュオで政治的メッセージが強いところやヴィジュアルのかっこよさなどATRやEC8ORを想起させるものがあります。

日本のインディーズシーンで僕の知る限りで純粋にデジタルハードコアをやってる人はほとんどいないと思うのですが、近い雰囲気の作品を作ってる人だとTohLPeaks君はかなりデジタルハードコア的なサウンドですね。風貌やステージングも含めて彼には当時のDHR的な雰囲気を感じます。

デジタルハードコアではなく「デジタルグラインドコア」を提唱しているOZIGIRI君はグラインドコアにスピードコアのマシン的な速さをミックスして狂暴なのに結構聴きやすさもあるという中毒性のあるサウンドでATRのもっていたハードなだけでなく人々を引き寄せる大衆性みたいなものを感じますね。

QURELESS君はAKIRADEATHやm1dyさんの影響を受けたスピードコア寄りのデジタルハードコアで我々AKIRADEATHの直系の子孫という感じですね。

この3人はシャウト/スクリーム系のボーカルが入っていてステージングがバンドのライブ的なのも他のハードコアテクノをやってる人達と違ってデジタルハードコアを強く感じさせるところですね。

撲殺少女工房さんはスピードコアとチップチューンの二刀流でスピードコアの方のトラックがATRの2ndのころの雰囲気がありますね。ハードコアとチップチューンを作ってるところもDHR全盛期に架空のゲームサウンドトラック「The Horrible Plans Of Flex Busterman」をだしたパトリックCや「Nintendo Teenagi Robots」というゲームミュージックのアルバムだしたアレックに通じるものがあります。

DHRの影響は受けてないと思うのですが、大阪で活躍しているUTEROZZZAAAさんはサウンド的にも政治的メッセージを全面的に押し出している姿勢等も全盛期のDHR的なものを感じますね。

ノイズアーティストの黒電話666さんもDHR的なもの感じましたね。DHRのMIXCD作ってたり実際DHRお好きみたいですし。音だけでなくアートワークやご本人のビジュアル的にもDHR味を感じました。

ブレイクコア系だとCDRさんがが企画してた「クソイコア」というイベントで出会ったHAIZAI AUDIOさんやsato shinさんはホントの意味でブレイク(ぶっ壊れた)コアって感じがしてパフォーマンス的にも音的にもDHRを感じさせますね。

あと手前味噌になってしまうのですが、臨界モスキー党のNp犬田彦さんと私Coakiraで組んでいる「犬殺-INUKORO-」というユニットはスピードコアパンクを謳っていてDHR的なハードコアテクノとナゴムレコードやザ・スターリンなどの日本のパンク・ニューウェーヴを融合したような世界観を作っています。

余り詳しくはないんですが海外だとカナダのD-TRASH Recordsはデジタルハードコアのレーベルでは老舗ですね。Bomb20がコンピに参加してたり、DHRのコンピに参加してたSchizoidやThe Shizitもリリースしていますね。

南米にもデジタルハードコアやってる人多いですね。やはり情勢不安な所の方がデジタルハードコアは育ちやすいのかもしれないですね。今は活動してないみたいですがコロンビアのnina terroristaというバンドはドラムンベース系のデジタルハードコアでかなりかっこよっかったです。

チリのorgonbeatsというアーティストはかなりジャンクなデジタルハードコア系でCieliro Diystroとうノイズ寄りのデジタルハードコアのレーベルもやっています。

僕のやってるレーベル「Fujimi Industry Record」から日本版CDをリリースしたこともあるMYCIAAというフランスのエレクトロパンクバンドもDHRの影響を強く受けていると言ってました。ATRがフランスでライブやったときにオープニングアクトを務めたこともあったそうです。彼らはストレートエッジでヴィーガンなのでそう言った政治的主張も含めてATRと近しいものを感じます。

Q. DHRの功績とはなんだったと思われますか?

A. マニアックなテクノ系のファンだけでなく普通の音楽ファン(ロックファンやJ-POPファンなど)に対するハードコアテクノやブレイクコアへの呼び水になってたんじゃないですかね。一般層にハードコアテクノのアーティスト名って殆ど浸透していないと思うんですが、アタリティーンエイジライオットの名前は今でも結構知ってるひと多いですし。

今第一線で活躍しているクリエーターで昔DHR聴いてたって話をよく聞いたりするのでやはり各方面に影響は与えてたんじゃないでしょうかね。
現在でもハードコアテクノやブレイクコアを作ってるアーティストやミクスチャー系のバンドには直接的にも間接的にも少なからず影響与えてるのではと思います。

Q. Coakiraさんはデジタルハードコアを長年に渡ってクリエイトし、このジャンルを広め続けています。Coakiraさんにとってデジタルハードコアとは?

A. 自分は本当にただの一ファンに過ぎないのですが「デジタルハードコア」はやっぱり自分の芯になってるものですね。
今現在自分が作ってる曲はデジタルハードコアかって言うとそうでもないんですが、作曲に行き詰まってくるとやっぱり最終的にアーメン(オリジナルではなくATRからサンプリングした速いやつ)と909のガバキックに行きつくんですよね。これはもう性なのではと思います(笑

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