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お祭りさわぎ

8月下旬あたりから、「なんだか不調」が始まり
お盆の仕事けっこうハードだったから疲れたかなとか思ってるうちに
なんとなくお休みの日にぎっしり娘の学校行事が入ったりして
全然満足に身体を休めることができず
そして9月に入ってまるで祭りのようにダウンした。

わっしょいわっしょい、よいさよいさと不調が押し寄せる。
全然起きれない、しんどすぎる。

それでもなんとなく、だましだまし生活してたら
ある晴れた日、右目の痛みをセルフキネシで解放した時に
すぽんと栓を抜いたみたいに、

いや違うな

むしろ玉手箱の蓋をあけたらぼわんと出てきたみたいな感じで
ぼわんどころか、

ごぉおぅぅぅぅ

と、とどろきとともに、生まれてこのかたため込んできた
絶望が淵から這い上がってきた。

私が絶望の淵から這い上がるなら、よろしい。
問題は絶望に這い上がられて前も後ろも
目も鼻も口も、ぴっちりと塞がれたことである。

嵐を過ぎるのを必死で待ちながら
思いつく限りのことをした。
海や神社に行ったり、
食欲ないけどおいしいものを無理矢理食べてみたり、
もちろんセルフワークもセルフカウンセリングも沢山したけども
自分のこととなるともはや歯がたたなくて
お薬ものんだし、ずいぶんと友人も頼った。
みんな惜しげも無く助けてくれた。

ヒプノカウンセリング(催眠療法)を勉強中なので
周りにたくさんの見習いカウンセラーがいる。
すごいなと思うのが、みんな得意分野が違うのだ。

癒やされるところも、
インナーチャイルドだったり身体の症状だったり
なんとなく「重い」とか「空っぽ」とかのパーツ達だったり、まちまち。

ささ、あれもこれも、お土産に持ってお帰りなさい
とばかりに沢山のものを分けてくれる。

そして今までちょっと「こんなことで」とか思ってしまって
お願いできなかった先生にもカウンセリングをお願いした。

神 業

と思った。
これを経験できたことは私の財産かも、とも。

不調って何にせよ、とにかくものすごく辛い。
でも何かが放出されるタイミングなのだ。

分かっててもつらいものはつらいし、
全然太刀打ちもできないけども
そのタイミングを迎えるだけ成長したということでもあるし
乗り越えるだけの体力がついた、ということでもあるんだと
なんかもう、息も絶え絶えになりましたけども
心からそう思います。

そして次は、こんな瀕死になることなく
さらっと解放できるようになりたいです。
学びはとかく、多かった。膨大なほどに。

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