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ひとくちぼれ

あ、すごいと、ただそう思った。

千載一遇の、試食というものの機会にあずかった。
コース料理のうちの数品をほんのひとくちずつ頂いた時に、ただただ驚いた。

おいしいとか味の濃さがどうとか、鮮度がどうのとかいうより、うまく言えないんですけれども全然、エネルギーのアウトプットがこんな形になり得るのかと、そんな風に新しい世界を垣間見た。

LEDの懐中電灯って光が直線に伸びるから、正面からまともにみるとすごく光が強くて眩しいのだと聞いたことがある。そんなかんじ。

料理というものに焦点をあてて、脇目も振らずエネルギーつぎ込んでるんだなと感じた。そして漠然と、きっとシェフは共感覚で世界の彩りに味を感じてるんだろうなと、そう思った。

共感覚。

高く青い空や、お陽様が輝く海の水面や、とんびの声や花びらの柔らかさや、風のにおいや光の強さを、きっと味覚でとらえてるんだなと、なんとなく思った。へーーー、こんな世界があるんだと心底驚いた。

という話を人にした時に、じゃぁきっとあなたにも、何らかの共感覚があるからそんな風に感じるんですよ、と言われたことも素敵だと思った。
そんな風なコミュニケーションを、私は最近はじめて知ったのだった。

言葉ってずっと、おもちゃだと思ってた。

子供の頃に遊んだしりとりだとか早口言葉だとか、ずっとあんな遊びの延長にあった。学校で外国語を勉強してみて、おもしろくてたまらなかった。こんな発音があるなんて、こんな並び方の文法があり得るなんて、こんな画数の多い漢字まであるなんてと。

35歳くらいで初めて、どうやらこれは皆さん専ら伝えるためのツールとして使っているらしいと気づき、それならばと心あらたに言葉の選び方だとか声の使い分けとかにも取り組んでみて、それも大変におもしろかった。なんだもう、ツールならツールって教えてくれよ誰かと思ったりもしながら。

そして今NLPを勉強しながら、ヒプノとか現代催眠と呼ばれるものの世界をのぞいてみて、「あたかもただの日常会話」が人々にどんどん可能性を生み出していくという作用を目の当たりにして、圧倒的にすごいなぁと感じています。

冒頭のシェフは、料理を作っている時には小さな子供がどろんこ遊びしているような、そんな様子の、そんなエネルギーの使い方なのである。

そしてなんていうか、
私なんてダメだとかどうせムリだとかそんなことにうつつを抜かしてる場合じゃないんだと思った。

そんな料理のそんな世界のそんな可能性。


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