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シャ乱Q『上・京・物・語』8cmシングル最高傑作のジャケット

8cmシングルCDの時代

CDのはなしである。

1999年頃に12cmシングル、いわゆるマキシシングル盤が普及するまでの約10年と少し、世の中には8cmシングルなる代物が出回っていたことを知っているだろうか。

ケースの下部はプラスチックの型枠のみ。奇妙なデッドスペース。

横約8cm、縦約16cmというタテ長のデザインで、いわゆる「短冊型」のパッケージだった。

なぜこのような特殊なパッケージになったのか、その理由については諸説あるが、それまでレコードショップの主力だったシングルレコードの棚に、ちょうど良く2枚並べて入れられるサイズだったから、というのがもっとも説得力のある答えだろう。

8cmシングルは1988年2月21日に初めて発売され、2000年前後には急速に12cmのマキシシングル盤に取って代わられ店頭から姿を消したので、わずか10年ほどの寿命しかなかった。
だからまさに90年代、平成前期の産物と言っていい。

そして、90年代は日本で最もCDが売れた時代である。(CDの年間販売数は、1998年の3億291万3000枚がピーク)

それだけに各人には思い入れのある曲も数多くあるはずなのだが、こと「ジャケットデザイン」に関しては、これまで語られる機会があまりなかったように思われる。

8cmシングルの2:1というそれまでにない縦横比は、デザイナーを大いに悩ませたのに違いない。

あの「短冊型」のジャケットの中で、デザイン的に優れたシングルはどれだったのか。
思いつくままに印象に残るジャケットを挙げていこう。

小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」(1991)


シングルCD全盛、90年代の幕開けとも言うべき小田和正「ラブ・ストーリーは突然に」は、2:1の縦長の構図を活かした大胆なものだ。
(「ラブ・ストーリーは突然に」は「Oh! Yeah!」との両A面シングルである。)

つま先立ちで、後ろに大きく反り返った小田和正。
小田のポーズの躍動感からは、誰もが知る「ラブ・ストーリーは突然に」イントロ、佐橋佳幸のギターカッティングが聴こえてくるようだ。

Mr.Children「名もなき詩」(1996)


この時代の覇者と言えるMr.Childrenにも、名ジャケットは多い。

桜井和寿が白いフードを被った「innocent world」も良いが、インパクトでは「名もなき詩」が上か。

セピア調の画面には胸元をはだけた桜井和寿が舌を出し、その舌には「NO NAME」と黒くペイントされている。
小細工なしに、強いメッセージ性を感じさせるジャケットだ。

デザインは、Mr.Childrenだけでなくいわゆる「渋谷系」アーティストのジャケット・アートを数多く手掛けた信藤三雄
90年代を代表する楽曲である「名もなき詩」に負けないインパクトを与えることに成功している。

スピッツ「ロビンソン」(1995)


Mr.Childrenと並び立つJ-ROCKバンドであるスピッツにも、名ジャケットは多い。
スピッツのアルバムは女性モデルが起用されることで知られているが、シングル曲ではしっかりとメンバーの写真が前面に出ている。

各メンバーの横顔が切手になってコラージュされた「チェリー」も良いが、ここではタテ型の構図を生かした「ロビンソン」を挙げたい。

路線バスと思しき車内で、ポータブルのレコードプレーヤーを手に提げた草野マサムネが脚を組んで立ち、後部にはメンバーの姿が見える。
パースの利いた構図が奥行きを感じさせ、タテ型の枠の中に美しく収まっている。そして視線の先、消失点となるべき場所には、ギターの三輪テツヤがどっかりと腰掛けている。

DREAMS COME TRUE「LOVE LOVE LOVE」(1995)


やはりタテ型の2:1ジャケットは構図に難しさがあったとみられ、ヨコ型の構図に差し替えたものも数多い。
確かにこの方が収まりが良く、SMAPやTOKIO、V6などジャニーズ系アーティストやSPEEDなどのダンスグループはこのヨコ型の構図を多用していた。
その中で、個人的に名ジャケットとして印象に残るのは、ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」

白を背景に並んだ3人のフロントフォト。
シンプルな構図ながら、三者三様の表情、バランスの良さと、各々のキャラクターが滲み出ている。
250万枚を売り上げ、ドリカム最大のセールスとなったこの楽曲にふさわしいジャケットだ。

8cmシングルの名ジャケット、ということで4つの楽曲を挙げた。
もちろん、日本で一番CDが売れたCD全盛時代とともにあった8cmシングルなのだから、他にも名ジャケットはあるはずだ。
思いつくままに挙げてみたが、人によって自分はこれだ、と思う名盤があることだろう。

シャ乱Q「上・京・物・語」(1994)


羽田空港第一旅客ターミナルでの撮影


さて、今回の本題はシャ乱Qの「上・京・物・語」である。

当欄ではこのシングルのジャケットを、8cmシングル最高傑作として挙げたい。
早速そのデザインをご覧いただこう。


シャ乱Qのメンバーが家財道具一式を積んだ大八車を引いているという、「上・京・物・語」のストーリーのパロディとなっている。

モノクロの図像の中でつんくを中心として放射状に線が拡がり、それに上部の「上・京・物・語」、下部の「シャ乱Q」の赤い題字に施された派手なパースがいっそうその構図の大胆さに拍車を掛けている。
洗練されてはいないが、その分だけ野放図な迫力と凄みが伝わってくる。

2:1の縦長の構図、8cmシングル盤でなければありえなかった秀逸なジャケットデザインだ。

撮影は羽田空港第一旅客ターミナルの出発ロビーで行われた。
ジャケット裏面や周囲の通行人の状況などからほぼゲリラ的な撮影であったことが伺われるが、天井のパースの構図の正確さからも、十分に吟味された上で撮影ポイントが選ばれていることがわかる。


作詞:まこと 作曲:はたけ


ここからはジャケットではなくて、曲の中身について。

「上・京・物・語」はシャ乱Qの4枚目のシングルである。

デビューから1年半経過するもなかなか売れず、レコード会社・所属事務所から契約を打ち切られるか否かの瀬戸際に打ち出したシングルだった。
それまでの3枚のシングルはすべて作詞:つんくであったが、「上・京・物・語」ではドラマーのまことが歌詞を担当している

苦心の末にリリースされた「上・京・物・語」はオリコン週間チャートでは最高47位にとどまったが、テレビ東京「浅草橋ヤング洋品店」のタイアップが付いたこともあって12万枚のスマッシュヒットとなった。
このこともあってシャ乱Qはクビがつながり、同年の「シングルベッド」、そして翌年の「ズルい女」でのブレイクへと至った。

つまりは「上・京・物・語」がなければ、その後のシャ乱Qの活躍もなかったことになる。
そしてこの曲、ジャケットの弾け具合と同様、中身もなかなかにぶっ飛んだ曲なのである。

恋人同士の二人。
大阪から東京へ旅立つ男を、女が見送る。

「上・京・物・語」はそんなストーリーだ。

歌い出しは、次のようにして始まる。

ラン ララララランランラン
そんなメロディーを
涙声のまま 歌う君は
聞こえているのに 聞こえないように
消そうとしてるの「サヨナラ」

一聴して、「なんだこれは!?」と思わずにはいられない。
歌い出しが「ラン ララララランランラン」
別れようとする彼女は、一体何を歌っていたのだろうか。

全体として見ればありふれた別れをうたった歌なのだが、この歌い出しのインパクトと、イントロでぶち込んでくる旋回するようなシンセサイザーの特徴的な音色に、一気にこの曲の世界に引きずり込まれてしまう。
そしてはたけの奏でるディレイの効いたギターの音色は、どこか焦燥感を掻き立てるように歌の背後で鳴り続けている。

ところで、You TubeのSony Music公式チャンネルの『上・京・物・語』には、次のような興味深いコメントがついている。

このコメントには、閲覧時点で「いいね」が82もついている。
この反応はおそらく「いや、ワケわかんなくないだろ」というコメント投稿者への同意だと思われる。

ただ、私には若い世代の女の子に文句を言われた投稿者の戸惑いもわかるし、そして「ワケわかんない歌」と言い放ったバイトの女の子の気持ちも、どことなくわかるのである。

もしかしたらバイトの若い女の子は、「シャ乱Q」というバンド名さえ知らないような世代だったのかもしれない。
それに加えて、「ランララララランランラン」。カラオケの画面にこの歌詞が映し出されたら、「ワケわかんない歌」と思ってしまうのも必定だろう。

しかし、一度この歌い出しについて考えてみると、妄想が止まらない。
「ランララララランランラン」と彼女が口ずさむそのメロディは、いったい何の曲なのか?

無論、こんな曲は存在しない。
まさかこの歌詞は、「上・京・物・語」の作中人物が「上・京・物・語」のメロディを歌うという高度にメタ的な設定なのだろうか!?

世の中のどんな歌でもなく、「ランララララランランラン」という固有の楽曲を口ずさむ彼女。
東京へ旅立つ彼氏を前に別れの言葉さえ口にすることができず、ただ何かを、気持ちを紛らわせたくて歌うメロディー。
この彼女は、「上・京・物・語」のストーリーの中にしかいない。

つまりこの歌出しこそが、ただの別れの曲から、「上・京・物・語」を固有のストーリー性をもつ楽曲へと昇華させているのである。

そして物語は、2番では次のように続く。

ラン ラララが涙で
歌えなくなって
「ずっと待ってる」と つぶやく君
本当は抱きしめ 慰めたいけど
素直になれない ぼくは…
どこまでもついて来て欲しかった
その言葉いえず

ついに別れの時が近づき、「ラン ラララ」と口にして感情を抑えつけていた彼女が、ついに絞り出した「ずっと待ってる」という言葉。

けれど「ぼく」は、それに何も言えず、応えることができず、彼女を抱き締める事もできずにいた。

言いたいけど言えない。

言いたかったけど、言葉にできず、相手に伝えられなかった。

そうして世間に埋もれていった無数の想いを、歌に乗せて送り出す。

そんな使命を、はやりうたは帯びている。

PVの撮影地は大阪と東京。
大阪のシンボルとして通天閣、東京のシンボルとして東京タワーを背にしてつんくが歌う。
街中の川端を走ったり、空港近くの埋立地から飛行機を見上げるメンバーの5人の姿はなんとも微笑ましい。

So いつの日か「東京」で夢かなえ
ぼくは君のことを迎えにゆく
So 離れない 離さない 今度こそ
どこまでもついて
来いと言えるだろう 心から…

おわりに


現在確認できる情報によると、8cmシングルが初めて発売されたのは1988年(昭和63年)。そして12cmのマキシシングルが登場し、急速に入れ替わっていったのが1999年ということである。

つまり8cmシングルは平成時代の前半の10年と少し、時代を特徴づけるものとして音楽界を彩ってきた。

CDを収納する簡素なプラスチックの型枠と、それに糊付けされただけの紙製の外装。
風が吹けばパタパタと捲れ、水濡れすれば一発でアウトになってしまう8cmシングルの構造は、あまりにもか弱い。

だけれど、そんな安っぽいシングルCDをみんな1000円札を握りしめて買い求めていたのである。
それだけの価値が、どの楽曲にもあった。
だからみんな一曲一曲を大切にして、カップリング曲も何度も何度も聴いていた。
それが平成初期の時代であった。
なんとも愛おしい話ではないか。

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