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LINDBERG(リンドバーグ) / every little thing every precious thing

阪神タイガース・藤川球児の入場曲「every little thing every precious thing」


今回取り上げるのは1996年発表のLINDBERG(リンドバーグ)の25枚目のシングル、「every little thing every precious thing」です。

この曲は阪神タイガースのリリーフエースだった藤川球児の登場曲として野球ファンに広く知られています。
試合終盤、ブルペンからリリーフカーに乗って藤川がマウンドに上がろうとする時、この曲が甲子園球場をあたたかく包み込みました。

ふだん野球をあまり見ない、球場へ足を運ぶことがないという方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、応援団がラッパや太鼓で演奏する応援歌とは別に、打者や投手には登場曲が設定されています。

中でもアメリカ・メジャーリーグのクローザーには代名詞となる登場曲が付き物で、その選曲によって選手のイメージが決定されるほどです。
652セーブの世界記録を打ち立てたヤンキースのマリアーノ・リベラはメタリカの「エンター・サンドマン」、エリック・ガニエとクレイグ・キンブレルはガンズ・アンド・ローゼズの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」、トレバー・ホフマンはAC/DCの「地獄の鐘の音」。
どれもハードロックの、マウンドに向かうための気合が入るような曲で、曲が流れた途端に球場を支配するようでした。

一方で藤川の登場曲は女性ボーカルのバラード。
やさしさにあふれたような曲で、ハードロックの激しさとは一線を画しています。
では藤川選手は、なぜこの曲を自分の登場曲に選んだのでしょうか。

選曲の理由 妻とのなれ初めから


藤川球児の選曲の理由、それは彼と妻とのなれ初めに秘密が隠されています。

藤川選手は、高知商業高校時代の同級生だった女性と阪神への入団2年目に結婚しています。
そしてリンドバーグの「every little thing every precious thing」は、二人を結びつけた一曲だったのです。

この曲はもともと妻の愛聴曲で、それからしぜんに藤川選手もこの曲を好むようになっていったといいます。
当時から高知商のエースとして活躍していた藤川選手とそれを見守っていた妻。
この曲が発売されたのは1996年。松坂大輔と同じ1980年度生まれの二人は高校生一年生だったことになります。

藤川選手は交際中からの思い出と重なることを踏まえて、「観客やファンにどうしたら自分を表現できるか?」と考えた上で登場曲に採用したといいます。

彼がクローザーとして、セットアッパーとして阪神タイガースにとってなくてはならない存在になっていくうち、甲子園球場では、藤川登板のアナウンスが球場内へ流れるたびに、観衆の阪神ファンがメガホンを左右に振りながらこの曲を歌うようになりました。
「every little thing every precious thing」は、藤川選手の印象とともに野球ファンの印象に深く刻まれることになったのです。

その高い人気を受けて、インペリアルレコードでは、2007年8月1日に再発盤マキシ・シングルを発売。ジャケットは、登板中の藤川選手の写真になっています。

陸上選手 高野進のエピソード


野球選手の藤川球児とかかわりの深い本曲ですが、実はこの「every little thing every precious thing」という曲ができたのも、あるアスリートがきっかけでした。

大ヒットし、バンド最大のヒットとなったセカンドシングル「今すぐkiss me」が発売されたのは1990年。「今すぐkiss me」の印象が強い彼らですが、1990年代を通じてコンスタントにヒット曲を飛ばしていました。
そんな中でリリースした一曲が、今回取り上げる「every little thing every precious thing」でした。


この曲について調べてみると、ボーカルの渡瀬マキがこの曲の詞を書いたのは、陸上競技選手の高野進とその妻のエピソードに感動したことがきっかけだといいます。
高野進は、主に400mを中心に活躍したスプリンターです。
歴代でもトップレベルの選手で、彼の記録した44秒78の日本記録は三十年以上が経った今でも破られていません。
この曲で歌われているのが陸上選手、アスリートとしての高野だったことは、歌詞のところどころに反映されています。

震えるつま先 高鳴る鼓動
何度も何度も 胸に手を当ててみた
見えないハードルに つまづいたとき
あなたの気持が少しでもわかりたくて
スタジタムに 響き渡る 歓声をすいこんで
あなたはゆっくりと立ち上がる

「every little thing every precious thing」

日本を代表する陸上競技(短距離走)の選手だった高野進は、東京都の国立競技場で開催された1991年世界陸上選手権の男子400mに出場すると、日本人選手として世界規模の陸上競技大会の同種目で初めて決勝へ進出します。

そして決勝のレースを7位で終えた直後の高野に対して、妻が「私が彼に金メダルをあげたい」と言葉を掛けました。
メダルには手が届かなかったものの、歴史的な快挙を成し遂げた夫に対して、最高のねぎらいの言葉でした。
ボーカルの渡瀬マキがそのやり取りを収めた映像に感動したことがきっかけで、楽曲の誕生に至ったといいます。

中井美穂『スポーツの妻たち』


前述のように、高野進が東京で開催された世界陸上で7位に入ったのが1991年。そしてバルセロナ五輪で8位となったのが翌1992年です。
ですから、1996年発表の「every little thing every precious thing」とは数年のタイムラグがあることになります。

この時間差の正体とは何でしょうか。渡瀬マキは、何をきっかけにしてこのエピソードを知ったのでしょうか?

調べてみると、高野進とその妻のエピソードについて詳しく書かれている本がありました。
それが中井美穂の『スポーツの妻たち』(1996年発行・マガジンハウス)です。

中井美穂は当時フジテレビのアナウンサーで、1995年にヤクルトスワローズの古田敦也と結婚しています。
インタビュー集である『スポーツの妻たち』はもともと雑誌『Tarzan』に連載されていたもので、男性アスリートの妻たちを取材し、夫との馴れ初めや、普段どのようにして勝負に挑む夫を支えているのか、ということを中心にインタビューしています。

さすが「プロ野球ニュース」のキャスターを務め、男社会のプロ野球界に斬り込んでいった才媛、中井美穂。この本を読むと単なるインタビュー集にとどまらず、しっかりとアスリートの妻たちの人間性まで踏み込もうとする姿勢が伝わってきます。

取材を受けたアスリート夫妻の競技の内訳は、

野球…4 
サッカー、モータースポーツ、競輪、ボクシング…2 
相撲、柔道、陸上、体操、バレー、ヨット、アメフト、プロレス、テニス、ゴルフ、競馬、スキー、バスケット…1

というように、やはり野球選手が多いものの、メジャースポーツからマイナースポーツまで、さまざまな競技のアスリートに取材されていることがわかります。
有名どころでは、野村克也(つまり野村沙知代)、大沢啓二、辰吉丈一郎、藤波辰爾、片山右京、中野浩一らの名前が並んでいます。

『Tarzan』にこの記事が連載されていたのが1995年前後。
中井美穂は当時現役のフジテレビアナウンサーです。おそらく、この連載に関連した番組が放映されたのではないでしょうか。

他の資料によると渡瀬マキは「映像」を見て高野進のエピソードを知ったということなので、彼女はフジテレビ系列で放送された中井美穂の番組を見て、このエピソードを知ったのだと推察されます。


ところで、当該の高野進夫人の項です。
自宅を訪れた中井を夫人が迎えます。170cmの長身で、スラリとした体型。いかにもアスリートの妻といったような爽やかな印象が伝わってきました。
通されたリビングには、カメラが趣味の夫人が撮影した競技中の高野選手の大きなパネルが飾られていました。
インタビュアーの中井に、夫人は高野との出会いから話し始めます。
彼女は高野選手とは東海大学時代の同級生で、バスケットボール部に所属していました。

同窓の友人としての出会いから、それほど気にも留めていなかった高野選手への印象がガラリと変わったのは、彼の競技中の姿を目にしたときだったといいます。

「とにかく顔がみんなといるときとは全然違う。えっ、このひと同一人物なのって。スタートの時の顔があまりにも研ぎ澄まされていて、ほんとに”えっ”って感じでしたね。そのとき初めて、スポーツをやっている人の顔がステキだなと思ったような記憶がありますね」

『スポーツの妻たち』77頁

それからまもなく交際に発展し、結婚した二人。
日本トップレベルの陸上選手の妻として、夫人にはやはり気苦労が絶えませんでしたが、同じくスポーツに身を投じていた経験があったこともあり、度重なる苦難もなんとか乗り越えようとします。
真剣勝負に挑むアスリートで、競技会直前になるとナーバスになる夫に、あるときは寄り添い、またあるときには一定の距離をとって、なるべくプレッシャーをかけず、ベストの状態でスタートラインに立てるように気を配ります。

その甲斐あって、東京で開催された世界陸上では、7位という快挙を成し遂げます。
そして、バルセロナ・オリンピック。
この年、高野選手は31歳になっていました。陸上選手としては、引退を考えるような年齢です。
しかも、その時高野選手はアキレス腱を痛めて最悪の体調でオリンピックを迎えることになります。
そんななかで夫人がしてあげられることは、とにかく「普通にしている」こと。それが夫への最大のフォローになったといいます。
そして本番の日を迎え、今日が最後だろう、最後の走りを見ておこうとスタジアムに連日通いつめた夫人の前で、高野選手はみごと日本の短距離選手としては60年ぶりに決勝進出を決めることになります。

そして世界のトップ8人が顔を合わせた決勝では、高野は8位でした。

この快挙は、当時アナウンサーとして戦況を伝えたNHKの工藤三郎アナの
「高野・・・高野・・・高野は世界の8位か!」
という名実況によっても知られています。
8位というのは、決勝では最下位です。
しかし、世界の8位。
それだけ、陸上の短距離種目において日本選手がオリンピック決勝の舞台に立って走り切ったことには意義があるのだと、工藤アナの実況は伝えてみせたのです。

それを見つめていた夫人の目には、とめどない涙があふれていました。

every little thing
かけがえのないあなたのことを
ここで見ていたい
every precious thing
止まらない時の中の1秒に きざみつづけていつまでも

「every little thing every precious thing」

スタンドから夫の姿を見つめる妻の視点と、100分の1秒を争うアスリートの緊張感が伝わってきます。

おわりに 一つの曲がつないだアスリートの奇跡


藤川球児の夫人はもちろん一般人です。
メディアに登場したこともありません。

アスリートの妻には、フィールドで闘う夫のことを誰よりも強く想っていても、直接試合に参加することは出来ず、遠くから見守っていることしかできないもどかしさがあります。

「every little thing every precious thing」で描かれたアスリートとそれを応援する妻の姿に自分を重ね合わせることが、高校野球からドラフト1位で阪神に入団した藤川選手のことを見守る彼女の支えになったはずです。


every little thing
あなたがずっと 追いかけた夢を一緒に見たい
every precious thing
奇跡のゴール信じて 今大地を踏み出した

「every little thing every precious thing」

そしてこの曲をきっかけにして藤川選手と渡瀬マキにもつながりが生まれ、テレビ番組で対面し、2020年の藤川選手の引退試合には瀬川マキも出席しグラウンド上で花束を送って22年間のプロ野球生活をねぎらいました。


リンドバーグというバンドにさして詳しいわけではない私が、今回この曲を紹介しようと思い立ったのはただ一つの理由によります。
それはあるアーティストがアスリートの姿に心打たれて創られた曲が、また次世代のアスリートを感動させた、という奇跡のようなストーリーをどうしても自分の手で追ってみたかったからです。

そこから、こう思います。
人の言葉は、人に届く、と。

思いを紡いだ言葉がメロディーに乗って歌となり、聴いた誰かに伝わる。
時とすれば聴き流されがちな歌詞も、しっかりと思いを乗せて、その曲を耳にしたの誰かを揺り動かす力となっているのです。

この記事ではアスリートの夫とその妻、という組み合わせになりましたが、これは特に男女の違いはなく、女性アスリートとその夫(パートナー)とのあいだにも起こりうることです。途方もない才能をもったパートナーを得たとき、それをどのように支え、ともに歩いていくか。そんなことも、この挿話から考えてみたいテーマです。

※本記事で言及した夫人と高野進は、その後離婚している。高野は再婚し、現夫人との間に子もいる。だがその事実は特にこの話の価値を左右するものではないと考える。補足情報にて。

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