見出し画像

「諦めたらそこで試合終了だよ」という言葉で、初めて諦めることができた

『SLAM DUNK』に登場する安西先生の名言である
「諦めたらそこで試合終了だよ」
という言葉を知っている人は多いと思う。
作中ではその一言で主人公達が一念発起するという流れだ。

けれど、僕は違った。
当時中学生だった僕は絶望に暮れていた。
受験をして高校に通う。
また受験して大学に通う。
若しくは就職して会社に出社する。
同じ時間に起き、学校か会社で同じ時間働き、同じ時間に帰宅し、明日同じ時間に起きる為に眠る。
この繰り返しを定年まで何十年も延々と続かなければならない。

その途方もない年月が『普通』とされる現実に耐えられる自信は1ミクロンもなかった。
閉所恐怖症持ちとして、その現実は紛れもなく閉所だった。
そこから外れることは真人間として許されない。
絶望と恐怖を背負ったまま、どれほど辛くとも全うしなければならない。そういうレールの上を進まされているのだから。

けれど安西先生の一言で思考が一変した。
「そうか、諦めればこの人生という試合を終わらせることができるんだ」
レールから脱線して閉所から脱出する方法を初めて知ることができた僕は、高校に進学はしたけれど卒業に必要な最低限の登校だけして、受けたい授業だけ受けて、留年スレスレで卒業した。

FtM(オナベ)にとって学校も会社も商業施設も無理なことばかりだった。
トイレ・更衣室・体育の男女別授業・制服・女性との関わり・女性扱いされること。女性恐怖症なので女性ばかりが居る空間に入ることは拷問だった。
それでも普通ではない自分がいけないのだから耐えなければならないと思っていた。
そして耐えられないことが解っていたから、高校卒業と同時に無職になった。

そう。僕は普通に生きることを諦めたのだ。
諦めたことで本当に試合は終わった。
就職や出世、自分には土台無理な『普通』のレールから外れたことで恐怖のループからの脱出に成功した。

脱出できたからといってその後何かで成功した訳ではないし、事態が好転した訳でもない。
ただ今も辛うじて生きているのはあの時諦めて試合を終了させたからだと思っている。
精神科に通い障害者認定され様々な病気と向き合うことができているのも『普通』を諦めたからだ。

元々『普通』ではなかった僕に『普通』であることを諦めさせてくれた安西先生の言葉に、一般的なそれとは違えども確かに救われた。
どんな人間にも響く言葉こそ間違いなく名言だと今でも信じて疑わない。


よろしければサポートをお願いします。お金は実験や工作に必要な資材の調達に使わせていただきます!