今後の表現の自由サイドの運動の課題について考えてみた。

  強まる表現規制に対抗するためには、表現の自由サイドはこれまでの運動を見直す必要があるかもしれない。従来のやり方で運動を続けていても、思ったような効果を出せず、さらなる表現規制を許してしまうことになる。

 私が見た感じになりますが、表現の自由サイドの現状から課題をいくつか洗い出してみました。

表現規制勢力は左右両方に存在する。

 最近の表現規制勢力は、思想の左右関係なく存在するようになってます。

 左側には、オタクや非モテ排除を目的として、アニメやゲームなど各種コンテンツの規制を主張する自称フェミニスト(ツイフェミ・アカデミックフェミなど)がいます。最近はコンテンツ潰しに加え、実在女性の服装に文句を付けて嫌がらせすることまで及んでいます。

 一方で右側には、ゲームやネットへの依存を病気扱いして規制を主張する某医療センターを中心とした勢力、「表現の不自由展」の妨害をやっている自称愛国勢力などが存在しています。

 香川県のゲーム規制条例については、条例を通すためにパブコメを捏造した疑惑が出ています。

「表現の不自由展」を妨害する勢力は、会場に不審物を送り付けたり、気に食わない名古屋知事をリコールするために署名の捏造までやる始末。

 それから、国や地方議会の各政党には、表現の自由勢力の議員、表現規制勢力の議員が入り混じって存在しています。

 よって、以前のように、「〇〇党は表現の自由勢力」「△△党は表現規制勢力」みたいに、単純に思想の左右や政党で切り分けることが困難になってます。

 こうなると、表現の自由を目指すにあたって、特定の政党(&その政党の支持者全般)を敵視するのでなく、それぞれの政党に食い込んでいる規制勢力こそ問題にすべきではなかろうか?

 自分が支持していない政党のことをとやかく言うよりも、自分が支持している政党から規制勢力を叩き出したり、表現の自由勢力の議員を送り込んで応援することに力を注いだ方が得策だと思う。

(実在人物に対する)国籍・民族・性別・身体的特徴などを持ち出した嫌がらせを徹底的に禁止する。

 表現の自由サイドには、国籍・民族・性別・身体的特徴などを持ち出してヘイトスピーチの垂れ流しなどの嫌がらせをしている者たちが結構目立ちます。

 表現の自由サイドからのヘイトスピーチ垂れ流しが放置されていると、一般層から「表現の自由サイドはヤバい連中の集まり」と見なされるようになり、一般層からの支持を失うことにつながります。
 
 さらに、表現の自由を守るための活動は、自国だけでやっていても限界があります。規制勢力はすでに国際的な協力関係を作っており、外圧を使って国内のコンテンツ規制を狙ってきています。こうなると、表現の自由サイドも国際的な協力関係を構築して立ち向かうことが避けられない。

 ここで、表現の自由サイドの一部が、国籍・民族などを持ち出したヘイトスピーチの垂れ流しが放置されていたら、国際的な協力関係を作る上の妨げになるのは、誰が見ても明らかだろう。ますます規制勢力に差を付けられて、さらなるコンテンツ規制を招くことに繋がります。

 それから、表現の自由サイドには、女性を性器で呼ぶなど、性別を持ち出して嫌がらせしている者も少なくない。確かに規制勢力の1つである自称フェミニスト(ツイフェミ・アカデミックフェミなど)による乱暴狼藉にカンカンになる気持ちもわかりますが、性別持ち出した嫌がらせでやり返すのはマズイ。

 こちらの方は記事で「奴らは女叩きを見ると二億倍パワーアップします。」と言っています。

 自称フェミニストに対して性別を持ち出して嫌がらせすると、絶好の口実を得たとばかりに自称フェミニストがパワーアップすることに加え、「男女の対立」という自称フェミニストにとって圧倒的に有利な土俵に引き込まれます。こうなると、こちらは圧倒的に不利な状態に追い込まれます。ただでさえ厄介な自称フェミニストをさらに有利にしてあげなくてもいいはず。

 そもそも、自称フェミニストたちは男女両方混じっている以上、性別持ち出して「女叩き」で攻撃するのは不適切なはず。

 それに、男女両方混じっているのは、表現の自由サイドも同様。性別を持ち出して嫌がらせをする者が目立つようになれば、無用な男女の対立を引き起こして、こちら側の活動にも支障が出るようになってくる。

 男女の対立を招かないためにも、自称フェミニストを相手にする場合は、男女の話は横に置き、「内輪のトンデモに従って暴れているならず者」として扱った方がマシだと思う。

 以上の理由から、表現の自由サイドでは、文書で明確化してでも、「(実在人物への)国籍・民族・性別・身体的特徴などを持ち出した嫌がらせ」の禁止は徹底してもらいたい。これらが野放しになっていると、規制勢力を利することになります。

 常習的に「(実在人物への)国籍・民族・性別・身体的特徴などを持ち出した嫌がらせ」をやっている者については、表現の自由サイドから叩き出して今後一切の関係を遮断するぐらいの毅然とした対応をしてもらいたい。仲間意識で容認していたら、表現の自由サイド全体が足を引っ張られてしまう。

表現規制勢力相手の議論は避け、実態を一般層に周知することに力を入れる。

 表現規制勢力は、左右関係なく、自分たちが所属する集団の独善的な価値観を信仰しているようにしか見えない。このような者たちには、マトモな話は通じない。

 このような表現規制勢力の連中は、コンテンツ規制の実現さえできれば満足で、本人が大損しようが、経済が崩壊しようが無関心なことがほとんど。このため、メリット・デメリットなどを出して利害をすり合わせるようなことは困難だろう。

 こうなると、規制勢力相手に議論して論破するようなことは、コストパフォーマンスから割に合わない。話が通じない規制勢力相手に議論するのでなく、規制勢力のヤバい実態を一般層(個人・企業団体)に向けて周知した方が得策ではなかろうか?

 規制勢力のトンデモ発言・トンデモ行動を地道に記録(できれば法的な証拠能力が認められる形で)し、これらをわかりやすく整理したものを一般層に向けて示していく。規制勢力のトンデモな実態(「女性への暴力を許さない」と主張しながら、気に食わない女性に対して集団で嫌がらせをする自称フェミニストの実態など)を目の前に出されたら、よほど仲間意識とか地域のしがらみでも無い限り、そのような勢力を支持したいとは思わないはず。

 企業団体相手の活動が可能な方であれば、企業団体を回って規制派の実態を見せて回り、安易に規制派の要求に譲歩しないように働きかけていく。最近の表現規制勢力は、あちこちの企業団体を回って言いがかりをつけ、不当な要求を押し付けることをやっているので、そのような動きに対するカウンターでもあります。

 一般層に規制勢力のヤバさを認識させることで、規制勢力の支持拡大に歯止めをかけていくことに加え、規制勢力からのトンデモな要求に対して安易に譲歩を減らすことも見込める。

毒親は規制勢力の主力の1つ。毒親問題に向き合うことも避けられない。

「子どもを自分たちの思い通りに育てたい」教育パパママなど、いわゆる「毒親」たちは、表現規制サイドの主要な勢力の1つ。「(独善的な)子どもの健全育成」を理由に、気に食わないコンテンツを片っ端から規制したがります。自称フェミニストや某医療センターを支持している者の中には、このような毒親たちが少なくない。

 香川県のゲーム規制条例の制定は、「自分たちの思い通りに子どもたちを教育したい」毒親たちの意向によって、選挙権を持たない子どもたちの権利が押しつぶされた一例でもあります。

「毒親」が表現規制サイドの主要な勢力になっている以上、表現の自由サイドとしては、毒親問題に取り組むことが避けられない。毒親によるコンテンツ潰しを食い止めるためにも、毒親たちの性質や動きを把握した上で、適切な対応を取ることが求められて来ます。

「選挙権が無い子どもたちをどのように毒親から守っていくか」。香川県のゲーム規制条例みたいなものが全国に拡大するのを食い止めるためにも待った無しの課題だと思う。

 厄介な規制勢力である毒親たちに備える第一歩として、まずは毒親問題についての勉強会あたりから始めるのはどうだろうか?可能であれば、毒親問題に取り組んでいる他分野の団体(表現規制勢力を除く)と連携して情報の交換・共有をしたり、個別の毒親問題について対応できることも目指していく。

貧困問題にも取り組み、生活困窮者支援も検討していく。

 コンテンツ表現の自由のための活動の一環として、貧困問題への取り組みも重要ではなかろうか?コンテンツ表現の自由と貧困問題は一見つながりが無いように見えますが、次のような理由からかなり密接な関係があると言えます。

 1つめ理由は、貧困の拡大によりエンタメコンテンツにお金が落ちなくなり、業界の縮小につながること。

 エンタメコンテンツは、暮らしに余裕があってこそ消費される商品やサービス。可処分所得の減少により暮らしに余裕が無くなると、最低限の衣食住を確保するために、各種エンタメコンテンツ(アニメ、ゲーム、実写アイドルなど)がかなりの優先度で削られます。

 そうなると、このようなエンタメコンテンツの制作・開発・流通などに携わっている各種企業の売上が大きく減少、倒産や廃業に追い込まれる企業も続出します。最終的にはエンタメコンテンツの市場そのものの縮小につながります。

 コンテンツ企業が倒産・廃業で消滅したり、コンテンツ業界が縮小すれば、これまで多くの方に愛されてきたコンテンツも存続できなくなります。一度消滅したコンテンツを復活させることは容易なことではない コンテンツという文化的産物の消失は、オタクたちだけでなく、社会にとっても大きな損失のはず。

 2つ目の理由は、生活困窮者支援界隈への自称フェミその他の規制勢力の食い込みを止める目的になります。

 最近は、自称フェミニストなどの規制勢力が、生活困窮者支援の活動に食い込んでいます。生活困窮者支援の団体には、自称フェミニストが主要なメンバーになっている団体も見かけます。

 有名な福祉活動家の1人が性風俗業を差別用語で呼称しながら執拗に叩くようになってますが、そのことも性風俗業を敵視する自称フェミニストたちが生活困窮者支援活動に食い込んできた影響と無関係とはいえないだろう。

 その一方で、表現の自由サイドは、生活困窮者支援にあまり関心があったようには見えない。中には「貧困は自己責任」などと堂々と主張する者までいます。この結果、生活困窮者支援界隈への規制勢力の食い込みを許してしまった。

 生活困窮者支援界隈への規制勢力の食い込みをこのまま放置していたら、生活困窮者支援を通じて規制勢力の支持拡大につながります。こうなると、規制勢力の主張がますます社会的に通りやすくなり、多くのコンテンツの規制につながってきます。

 これはかなりヤバい。表現の自由サイドとしては、これ以上の規制勢力の支持拡大を許さないためにも、生活困窮者支援界隈への規制派の食い込みに歯止めをかけたい。
 
 以上の2点から、表現の自由サイドも貧困問題に取り組み、生活困窮者支援の活動を始めることが必要に思えてきます。

 表現の自由サイドが貧困問題に取り組み、生活困窮者支援などの活動をすることによって、活動を通じて表現の自由についての支持拡大に繋げるとともに、規制勢力の食い込みを牽制することにつながります


 生活困窮者支援により生活困窮から脱して暮らしに余裕が出てきた方は、何らかのエンタメコンテンツにもお金を回せるようになってきます。そのような方が増えることは、エンタメコンテンツ業界の縮小を食い止め、コンテンツが失われるのを防ぐことにもつながります。

 逆に、表現の自由サイドが貧困を自己責任と切り捨てていたら、そのことがコンテンツ企業の倒産・廃業や業界の縮小によって貴重なコンテンツが失われたり、生活困窮者支援を通じた規制派の勢力拡大などの形として跳ね返ってきます。表現の自由サイドで、この辺がわかっていない者が少なくないから始末が悪い。

情報発信力の強化が待った無し。

 規制勢力は社会のあちこちに食い込んでいることもあり、各種メディアを使って主張を垂れ流し、世論を規制支持に誘導することが頻繁に行われています。

 それに対して、表現の自由サイドの情報発信力は、かなり遅れていると言わざるを得ない。ほとんどがバラバラに情報を発信していることに加え、情報の流れが個人的な関係に依存しているため、情報が仲間内で回ってばかりで、なかなか外部に伝わらない。

 こうなると外部の一般層の方々は、規制勢力の主張ばかり目にすることになり、世論が規制容認に傾いていくことになる。

 それに、せっかく規制勢力のトンデモな証拠を押さえることができても、外部の一般層にそのことを伝えられなければ、これまでの努力が無駄になってしまう。

 表現の自由サイドが主張を一般層に届けるためにも、情報発信力の強化をどうするか取り組みたいところ。ネットでの情報発信はもちろんですが、リアルに向けた情報発信についても何とかしたいところ。

 こんな感じで表現の自由活動についての課題を洗い出してみました。表現規制の動きは待った無しで進むので、少しでも早く対応してもらいたいところです。

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