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ラームの攻防 −その2−前哨戦

竜の仔の物語 −第五章|二節|−
ラームの攻防
−その2−前哨戦


 ラームの防壁に戦士たちが集まる。いまだ魔兵の軍団は目視できず、ソッソだけが近づく足音だけで数に見当を付ける。

 「うん、やっぱ敵は五千くらいだね。蹄の音も聞こえる。こりゃバオコンだ」

 「ほう。バオコンも従えているのか」ダオラーンが感心する。

 「けど、千匹くらいが、急に街道を逸れたよ」

 「“灰色”の方に向かったんじゃろう」ダバンが予測を立てる。

 「すげぇなあ、音だけでわかるんだ」ルグが素直に感心するも、「あたしを甘くみるな、殺すよ」そんなふうに返され、アルベルドと二人して苦笑いをする。

 「あと、なんだいこれ? 車輪を引く音。それから呻き声、もの凄い数のね」

 「呻き声だと?」アルベルドが眉を寄せる。「捕虜か?」

 「…違うね。これはなんだっけな」ソッソは耳に手を当て神経を集中させる。「ああ!吸血鬼だ、きゃはは、スメアニフどもの呻き声」

 「スメアニフも加わってるんだ」ルグの顔が険しくなる。

 「イミィールがもとは吸血鬼の王ならば、不自然ではなかろう」と、ダオラーン。

 そこでオオタカが舞い降り、初老の魔法使いとなる。

 「援軍とやらは?」早速そう訊ねてくるダバンに、メチアが答える。

 「長く魔法を練る必要がある。それまで持ち堪えられますかな?」

 「そのための結界であろう?」ブブリアが砦の尖塔を指差す。

 「また、メチアの爺さま待ちかよ?」アルベルドが呆れ顔で言う。「狙ってんじゃねえか?」ルグの耳許でそんなことを囁く。

 「メチア殿、早火は?」ダオラーンが訊ねる。

 「すまない。あれは、ひとつ拵えるのにだいぶ手間が要る。沼地に隠遁していた頃ならともかく、今のわたしにそんな時間は取れぬのだ」メチアはそう答え、それから首を傾げて彼の顔をまじまじと見つめる。

 「…はて?」

 「ダオラーンであります!」散々経験してきたこの場面に、彼はすかさず自己紹介を始める。「北方のストライダ!ラームには滅多に戻りませぬ」

 「そ、それはすまない」早口で語る彼に気圧され、メチアが面食らう。「…何か、気に触ったのかな?」

 「あ、いや。その、」申し訳なさそうに頭を掻く。「気にするな沼地の、そやつはどうやら、もの凄く存在感が薄いようじゃ」ダバンそんなことをさらりと言うので、結局彼はしょんぼりと肩を降ろす。

 それから老提督はアルベルドをぎろりと睨む。「それにしても、確かに早火があれば助かったのだがな」誰かさんが、ずいぶん無駄遣いをしたようじゃからな。ブブリアと共にぶつぶつと小言を吐く。

 アルベルドはぎくりと身を震わせはするが、すぐに開き直った顔でルグと肩を組む。「じじいの話はつまらねえな。いこうぜルグ」空々しくルグを抱き寄せる。「おれを巻き込むなよなぁ、」ルグはそうぼやきつつも、二人してじゃれあいながら離れていく。

 「いずれにしろ、まだ少し時間がありそうじゃ。だが、警戒は怠るなよ」ダバンが念を押し、従事者たちの配列を確かめに向かう。



 ラウはオトネを砦の尖塔に送り届ける。天辺の部屋の中心には人形の守りが輝き、砦全体に加護を授けている。

 「ここで待ってて。護りの力はこのシチリの人形を中心にして、だんだん小さくなっていくってメチアが言ってたから、ここは最後まで安全なはずだ」

 「ねえラウ、マルドゥーラは…、」「マルドゥーラは近づけさせません」オトネの言葉を隣に立つイナグが遮る。

 「必ず、わたしがオトネ様を守ります」真剣な眼差しを向ける。「うん、イナグ、オトネを頼んだよ」ラウも彼を見つめ返す。

 部屋を後にして螺旋階段を降りていると、ラウの左耳に戻ったルーアンが言葉を発する。

 「ラウ、この争いが終わったら…、」

 「わかってるって、ハイドランドだろ?」「うむ。すぐに向かうのだぞ」ルーアンは何度も念を押す。

 「なあ、ルーアン」

 「なんだ?」

 「おれさ、アリアトが言ってた、赤髪の女がおれの母親だと思ってたんだけどさ…、」

 「…う、」ルーアンが言葉を詰まらせる。「と、唐突に何の話だ?」

 「もしかしてリンドヴルムは、おれの親父か何かだったのか?」左耳で揺れるだけの妖精王だが、ラウが大真面目に訊ねていることは分かる。

 「どうしてそう思うのだ?」

 「うーん。いろいろかな。イナグから聞いた話とか、リンドヴルムに会った時の懐かしい感じとか。お伽話の魔女が食べた、卵を持ってた女っていうのがおれの母親なんだろ?んー、最初の巫女?」

 ルーアンは何も答えないが、ラウはなおも続ける。

 「それに、おれ、オトネを守りたいんだ。…その気持ちが、とても強くて、えと、…他のみんなとは違う気がするんだ」ラウの顔が赤くなる。しかし彼にはその感情がどういう類いのものなのかを理解しない。

 「…だから、おれとオトネは、なんていうか、遠い昔にどこかで繫がってるんじゃないかって、そう思うんだ」

 その言葉を受け、ルーアンは考え込む。知っていることと曖昧な記憶が混在している。ラウの真剣な面持ちから、無碍にはぐらかすわけにもいかず、慎重に言葉を選ばなければならない場面でもある。

 「…繋がりがあることは否定せん」

 「じゃ、やっぱり」

 「いや。結論から言うが、お前の予想は間違っている」

 「え、そうなのか?」ラウの声が裏返る。

 「悪いがラウ、ドラゴンに、血縁は無いのだ」

 「え!?」そこでラウが立ち止まる。足音が螺旋の石段に遅れて残る。

 「…だって、おれ、卵から生まれたんだろ?」

 ラウの混乱をルーアンは気の毒に思う。彼に芽生えた自分の出自に関する疑問。それらの主たる問いを、アーミラルダとまみえた今のルーアンには答えることができる。しかしルーアンはそれを躊躇している。剥がれ落ちた記憶を埋めずに知り得ることを話すのが、ラウにとって、いや、ベラゴアルドにとって良いことなの判断が出来ないのだ。

 「すまぬがラウ。この話はハイドランドへ訪れるまで、据え置いてもらえぬか?」そう提案はするのは、その地で抜け落ちた記憶を必ず拾えると確信してのことだ。

 「いいけど…、」ラウにしては曖昧な態度。

 「…すまぬ」「何でルーアンが謝るんだよ」「すまぬな」もう一度謝る。「えー、いいってば」初めて見せるルーアンの畏縮した態度に、ラウが戸惑う。

 「それよりさ、今は戦いのことを考えよう」ラウは気持ちを切り替え、明るい声を出す。「頼んだよ、ルーアン!」元気よく言い、残りの石段を駆け下りていく。



 「さて、急がねばな」

 敵の気配が近づくと、ソレルは銀のダガーを抜き、調合済みの霊薬を取り出す。

 「ふぃい」それを見たミルマも、渋々自分のダガーを握り、首許にあてがう。

 「なんだ、“鮫の肺”は初めてか」レザッドがそんな彼女を一瞥し、ためらいなく喉元を四度ほど細く切り裂く。あふれ出す血を押し込めるように霊薬を塗り込むと、横に裂けた傷がぱくりとエラのように半開きになる。

 同じようにするソレルを、ミルマはぞっとした顔で見つめ、今だあてがった刃を引けずにいる。

 「動脈に触れるなよ、」ソレルが刃の位置を定めてあげる。覚悟を決めて喉を引き裂くミルマに、彼は素早く霊薬を塗る。

 「これで数刻は水中で息が出来、短ければ会話もできる」彼の声は裂けた喉から少しだけ息が漏れ、いつもと多少違って聞こえる。

 「へへ、変な声」ミルマも自分の声に照れる。「けど、どんな仕組みなんだろう」「霊薬は、魔法のようなものだ」あまり考えても仕方あるまい。ソレルが肩をすくめる。

 ミルマは手弓を握り、弦の張りを確かめる。腰の箙にはラームから持って来たマリクリアのありったけの矢が収まっているが、無論、敵の全てを射抜けるほどの数ではない。

 レザッドは弓を背負ったままに、両の拳に赤銅色の手甲を装備する。その様を見たソレルがにやりと口角を引き上げる。

 「九頭星(くずぼし)か、久しく見ていなかったな」

 「使う機会がなかっただけだ」レザッドが両拳を打ち付ける。それは銀とアリアルゴで加工された彼専用の超近接武器だ。

 「え?レザッドさん、弓ではないの?」ミルマが驚く。

 「もちろん弓も使う、だろう?」黙るレザッドの代わりにソレルが答える。「だが、今回は敵の数からして矢が足りん。ストライダはその場に応じた戦いをする」いつもの調子で説明しつつ、彼も銀の長剣を抜刀する。

 「お前こそ、鎧はどうした?そんな骨董品の輪っかで身を守るつもりか?」レザッドがソレルの首と四肢に装着した輪を睨みつける。彼はアルデラルの装備品を今ひとつ信用してはいない。

 「いま言った通りだ」

 「…ストライダはその場に応じた戦いをする。」ミルマが師匠の口まねで続け、レザッドを見上げてにししと歯を見せる。

 そこで遠くの藪から鳥が飛び立ち、続けて半身に千切れたウォー・オルグが空中に大きく投げ出される。それを機に、魔兵の雄叫びが聞こえ、辺りが急に騒がしくなる。

 「マンテコラスが魔兵を引っ掛けたか」

 藪から次々に魔兵が上空に投げ出される。踊るような白い髭が方々から伸び、それに手足を絡め取られた魔兵が空中でもがいている。

 「あのままマンテコラスが、」全滅させてくれないかなぁ。そうぼやこうとしたミルマがまず反応し、素早く矢を射る。矢は藪に消え、同時に飛び出して来た魔兵の首は、すでに千切れ飛んでいる。



 「ふん!」

 レザッドの拳が魔兵の頭蓋を砕く。次に突き出された刃を半身でかわし、腕を絡めて関節を砕き、アリアルゴの手刀が首筋にめり込む。

 さらに方々から魔兵が飛び出して来る。しかし藪を抜け、突然開けた視界に待ち構える三人のストライダに、一瞬ためらいの色を見せる。そのひと呼吸の間が命取りとなる。遠くの敵には矢が、近くでは拳が、中距離を銀の長剣が臨機応変な動きで斬り伏せていく。

 敵は潜んでいたマンテコラスに明らかに混乱している様子。オルグ特有の叫び声で合図を送り合ってはいるが、視界を阻む藪と、魔獣の髭から逃れ辿り着いた場所では、申し分ない連携で三人のストライダが待ち構えている。

 初動はまずまず。ソレルは考える。藪から視界が開け、三人が十分に立ち回れる空間。崖で背後を気にすることもない。レザッドでなければ、短期間にこれほど最適な場所は見つけることはできまい。マンテコラスがいたことは今のところ僥倖といえよう。敵は魔獣にかまけて隊列も成さず、方々から偶発的にここに飛び出して来ているに過ぎない。

 …だが。

 「…数が少ない」裏拳で魔兵を沈めたレザッドが言う。

 「ああ、こいつらは、隊からはぐれた者どもだろう」敵を両断しながらソレルが答える。そうして二人が前触れなく首を傾げると、その空いた空間を矢が切り裂き、飛び出して来た敵の頭を飛ばす。

 「見てっ!」次の矢をつがいながらミルマが叫ぶ。

 奥の藪から煙が立ち込める。やがて火が上がり、枯れ草を焼きはじめる。

 「魔獣の弱点を知っているか」「どうだかな。単に藪を嫌がっただけかも知れん」

 今度は燃え広がる藪とは相反し、魔兵がまるで飛び出して来なくなる。強い風が吹き、藪を通り抜ける音だけで、ストライダたちは敵のおおよその位置を予測する。

 そこでレザッドが本格的な構えを取る。

 「イギーニアの亡霊が来るぞ」彼の言葉に他の二人の瞳が輝く。

 敵の気配も声も止む。ぱちぱちと草が弾ける音と、黒い煙が一塊になり立ち昇る。風に巻かれゆっくりと煙が移動する。どんよりと湿った、煙で隠されていた鈍色の空が顕わになる。

 三人はその空間を注視する。

 そうして予測通り、そこから夥しい数の黒点が降って来る。

 ミルマが鞭に切りかえ、矢を撃ち落とす。しかし降り注ぐ矢が、次々に足許で弾け、鉄片を散らす。「きゃあ!」ブーツに鉄片が突き刺さり、彼女は飛び退き、崖まで下がる。

 「むうっ!」剣で矢を防ぐソレルも、弾けた鉛に頬や腕が細かくえぐれる。

 「炸裂矢だ、鏃には触れるな!」レザッドが“眼”を使い、降ってくる矢を掴み取り、手本を見せる。それは到底ストライダでなければ出来ない芸当だ。すかさず他の二人はそれにならい、その場に留まり、間合いに入った矢だけを見定め、拍子を合わせて素手で掴んでいく。

 もの凄い数の炸裂矢が地面で弾け、大地をえぐり土を散らす。ぬかるむ沼地に雹が弾けるようにして、乾燥した硬い大地が波立つ。

 そうして、その一郭の異変にソレルが気付く。

 「ミルマ!そこから離れろ!」

 その声に素早く彼女が反応する。同時に地面からの気配。飛び出した長細い指をすんでの所でかわし、飛び上がる姿勢で鞭をしならせ、姿を現したウロイドの半身にマリクリアの尾を向ける。

 ウロイドはそれを掴み取ろうとするが、ゲヲオルグとなった今でも冴え渡る戦いの勘で、鞭の先端を警戒し、蛇のような身体をねじらせて攻撃を避ける。土飛沫を上げ、飛び出したかと思えば、そのまま頭から土に飛び込み、またしても地中に逃げていく。

 「ガァッァァ!」叫びを上げて、今度は二体のツノ付きが燃える藪から飛び出す。レザッドはまず突き刺しにきた長剣を手甲で逸らし、もう一体が振りかざすダガーを突き上げた拳で弾く。そのまま長剣の懐に入るも、素早い連続後方回転で逃れられる。

 それを機に、一斉に魔兵どもの軍団が飛び出す。そこにはソレルが援護に回る。背筋を伸ばして振り下ろす動作から、流れるように踏み込み、しゃくり上げる銀の刃。半歩引き水平に構えてからの横薙ぎの両断。無駄のない動作で着実に前へ進み、魔兵を打ち倒しつつ進む。

 彼は背後には構わない。取り囲もうと横に流れた魔兵の顔面は、ミルマが放つ炸裂矢にことごとく破壊されていく。彼女は咄嗟の判断で、掴み取った矢を再利用し、マリクリアの矢を節約している。

 燃える藪からは次々に敵が来る。複数の敵と対応しながらもソレルが現状を確認する。たった三人ではいつまでも魔兵に対応することは出来ない。火が消えればこの辺りは焼け野原となり、開けた視界は不利になる。ウロイドの気配はもうないが、地中で奇襲の機会を覗っているに違いない。

 この場もそろそろ潮時といったところか。

 「レザッド!」

 「待て」レザッドは今だ二体のゲヲオルグと対峙している。両脇を絞め、右拳を腰に、左は肘を立て顔の近くで拳を握る。

 敵も慎重に間合いを取る。立ち姿と装備で、レザッドにはそのゲヲオルグが誰だったのかが分かっている。細い長剣がムマム、逆手に構えたダガーがカイナー。二人とも戦闘技術だけならば、ストライダとしての資質を十分に持っていたイギーニアの者たちだ。

 まずカイナーが来る。その素早い攻撃は撹乱のみ、気を取られたところでムマムが来る。

 しかし彼は一歩も動かない。飛び上がるカイナーのダガーも避けはせず、続けてくる長剣の突きも気にしない。腰を落とし根を張ったように不動のままに、渾身の突きを繰り出す。

 ボッ!

 布袋を叩いた様な音とともにカイナーの胴に大穴が開く。しかしその開いた穴を利用して長剣の突きが来る。前に出たレザッドが左腕手でそれを逸らし、右手で刃を掴み取る。軸足を切り返し、背後に投げつける。

 「ゴアァァ!」そこでレザッドを狙い、ウロイドが土から飛び出す。彼は投げ付けたムマムを盾にし、その“指”に心臓を抜き取らせる。

 ウロイドはしゃあとヘビの様な息を吐き出し、憎らしげな顔で掴んだ心臓を握り潰してレザッドを睨むも、すぐに地中へと帰っていく。

 「撤退だ」そこで彼の背中が告げる。それを合図に崖の縁に立つミルマがまず飛び込む。ソレルが後に続き、彼を待ってから、二人で崖から飛び降りる。



 海面を打ち、ミルマが水底に沈んでいく。塩辛さと喉を通る海水に彼女は一瞬だけ取り乱すが、すぐに喉の切れ目から海水が濾過され肺に酸素が行き渡ると、すぐに持ち直し、辺りを見渡す。

 彼女を見つけた海処女(うみがじょ)、エギドナが迫ってくる。上半身は痩せた女の姿のその魔物は、水中でも響く歌声とともに、エイに似た下半身で滑空するように水を切る。

 矢をつがい、ぎりぎりまで待つ。眼前まで来ると、エギドナの人形のように美しい顔が口を開け、そのまま顎から乳房まで縦に裂け、左右にびっしりと連なった牙を剥く。ミルマはその胸元、喉の奥を狙い至近距離で矢を食い込ませる。そうして沈んでいく魔物から矢を抜き取り、もう一度弦にあてがう。

 上から旋回しながら、次の海処女が来る。彼女は落ち着いている。“水の試練”により、この戦い方は経験済みだからだ。

 彼女は沈む身体を水に任せ、冷静に状況を見る。敵は試練の時よりもずっと多い。けれど、今は試練と違って息も出来るし、ストライダの“眼”で周りもよく見える。弓は水の中ではぐっと威力が下がるけれど、敵をぎりぎりまで引きつけ打ち倒せば、矢を回収する手間も省け、節約にもなる。

 彼女は襲いかかるエギドナを撃ち落としつつ、緩慢に降下し、ふわりと海底に脚を付く。見上げればソレルとレザッドが降って来て、さらに海面が泡立ち、無数の魔兵が飛び込み、追いかけて来るのがみえる。

 二人はエギドナの攻撃を避けてはいるが、無闇に殺そうとはしない。海処女は用心深い魔物だ。集団で来ても、一匹が殺されると逃げだし、慎重に間合いを取る。二人は怯んだり背後に回り込むエギドナを見つけては、器用にヒレや肩を蹴り込み、それを推進力としてぐんぐんこちらへ向かってくる。 

 エギドナが水を切り潜水する。しかし後続から次々と飛び込み、海面を賑わす魔兵どもが撒き餌代わりになる。エギドナはその音を聞くと、ヒレを切り返し、標的を変えて上昇していく。

 「うまく釣られたな」ソレルが隣に立ち口を開く。こぽこぽと喉から空気が漏れて少し聞き取りにくい。

 三人は水底を歩き、巌棚の窪みに身を潜め、エギドナと魔兵がやり合う様子をしばらく観察する。

 「やはりウロイドは飛び込んでこないようだな。」ソレルが言う。「ピフもいない」

 「どこかで、見張ってた?」

 「ピフは間違いなく、この場所に隠れた我々の姿も捕らえているはずだ」レザッドはそう言い、海面からは影となる巌棚沿いを進んで行く。

 予想通り、ウォー・オルグも海底での運動能力は著しく低下するようだ。背後からのエギドナには対応できず、その巨大に広がった顎で丸呑みにされていく。しかし、大半のエギドナは、痛みを感じない奴ら魔兵に内部から刃で腹を引き裂かれ、相打ちとなる。

 「矢を放たずに魔を討つ、か」それを見たソレルが『アルデラルの勲』の一節を口にする。

 水の重さと視界の悪さには、流石のガンガァクスの魔兵も分が悪すぎる。青黒い血が煙り、海底がどんどん汚れていく。血の臭いに小型のマルマーンや他の海の魔物やサメが集まり、小魚が群がり、海の饗宴がはじまる。後から海中に飛び込んだ追っ手は、次々と海女どもの餌食になる。 

 「こっちだ」頃合いをみて彼らは岩棚を昇りはじめる。群れからはぐれたエギドナが彼らを見つけ襲いかかるが、しんがりのミルマはそれを丁寧に撃ち落としていく。

 海面近くまで進むと、レザッドが停止し、弓を構える。彼は鏃のない鋼の矢をつがう。イギーニア特製の高速矢だ。

 “眼”使えば、海面が揺らぎ、岩礁の先に多くの魔兵が待ち構えているのが分かる。高速矢が水を切り裂き海面へと飛び出し、その揺らぎのひとつがばたりと倒れ込む。

 すぐに敵の矢が応酬してくるも、水に食い込めば威力を無くし、こちらまでは届かない。目の前で気泡が散り、鼻先丁度で矢が沈んでいく。今度はその矢をレザッドは再利用する。丸太の様な腕が弦を引けば、がきりとリムが一段階軋む。彼の射る矢は水中でも衰えを知らない。水面の影が揺らめいては、次々に倒れていくのが見える。

 やがて水面から敵の姿が消える。ここまでの戦いで減らせた敵の数は予想よりも少ない。ピフとウロイドが的確な指示を送っていることは明らかだ。

 そうして、“鮫の肺”の効果が薄れていく。彼らは息を止め、手ぶりで合図を送りながら、慎重な足取りで岩礁の坂道を進み、輝く水面に近づいていく。


 

 まずレザッドが水面に目玉だけを出す。崖下とは違いこの場の波は穏やかだ。水底の彼の手が指示を送ると、二人が構えを崩さずにゆっくりと進み、海面へ顔を出す。

 岩礁はしんと静まりかえっている。東の海からは雨雲が迫るのが見え、嵐の前の静けさといった所。引き潮の時間ではあるが、そんな気候なので方々の潮溜りの数は少ない。岩礁を抜けた先には砂浜が見え、さらにその先には冬でも葉を茂らすハマタイロが自生する松林が見える。

 地形を一見するだけで、魔兵どもが松林で待ち構えていることは、簡単に予測できる。

 「どうする?」しかしソレルは敢えて訊ねてみる。

 「浜は危険です。さっきみたいにその、」「ああ、砂浜こそがウロイドの領域だ」ミルマの言葉をレザッドが補足する。

 しばし様子を見る。「ねえ、あれっ!」するとミルマが松林を指差す。彼女の示す先、背の高さまであるハマタイロの藪がさざめく。その太い茎がかき分けられ、山羊のツノを頭上に抱いた、青髪の女が飛び出してくる。

 「この間のサテュロスだ!」彼女が一歩前に出る。サテュロスは三人を見つけると、何やら鬼気迫る声で叫びながら浜辺に向かって走り寄ってくる。

 「来ちゃだめ!」叫ぶミルマにも構わず、何かを恐れるふうに背後を何度も振り向きながら、駆け寄ってくる。

 「放っておけ。つまらぬ罠だ」レザッドが冷淡に言う。

 「放っておくなら、そこで援護していろ」ソレルが剣を抜くのを合図に、ミルマが先行して走り出す。

 「…むう」レザッドは息を漏らす。一層サテュロスを射貫いてしまおうかと弓を構えるが、彼は忌々しげに舌打ちを鳴らし、二人に遅れて走り出す。


−その3へ続く−



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