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『守護神 山科アオイ』25. 因縁の再会

 処置が終わったコータローはICUに移された。ICUではベッドの傍らに付き添うことはできない。
 世津奈は救急外来の外廊下で警察の到着を待つことにした。所轄警察署の強行犯係から刑事が2人来るだろう。
 
 刑事たちに事実を話してしまうと、「〈顧みられない熱帯病〉と闘う会」に警察の捜査が入る。それはまずい。コータローが筋弛緩剤を注射されたのは大型商業施設の中だから、通り魔的な犯行だと刑事たちに思い込ませたい。世津奈はふっと強く息を吐いて、自分に喝を入れる。

 足音が近づき、はっとして目を上げると病院の事務職員だった。
「警察の方が来られて会議室を用意しろと言われました。急に言われても空いている会議室などありません。当直医の休憩室にお通ししてあります」
事務職員の顔と声が、とんだ迷惑だと言っている。彼女の気持ちはもっともだ。それに、刑事の事情聴取としても、ちょっと珍しいパターンだ。
 
 ほとんどの刑事は、事件関係者と会うときは、それが重要参考人でない限り、周りの目も構わず立ち話で事情聴取する。少年院を出て更生中の若者が、前科があるというだけで刑事に職場に押しかけられ、そのせいで周りから白い目で見られ仕事を辞めてしまう。そんなことが現実に起こる。そういう不運な目に遭った子が世間を居づらく感じ、反社会的勢力に取り込まれていくことも珍しくない。

 事件関係者をのっけから会議室に呼び出そうという刑事は変わっている。それとも、私は、重要参考人扱いなのかと思いながら事務員についていく。事務員が小さな薄汚れたドアの前で立ち止まり、ノックした。
「どうぞ」
中から男性の声が答える。事務員がドアを開けて身を引き、世津奈を室内に通す。
「宝生警部補、久しぶりだな」
丸テーブルの向こうから聞き覚えのある声によびかけられた。声の主の顔を見た世津奈は、思わず
「えっ」
と声を漏らしていた。

「昼間から幽霊でも見たような反応だな」
相手が彫りの深い日本人離れした顔に小さな笑みを浮かべる。
「佐伯警視は警察庁に戻られたと聞いていました。どうして、このようなところに?」
相手は、世津奈が警視庁生活安全課で産業スパイを追っていたころの上司、佐伯勝彦だ。部下は連れていないようだ。少なくとも、この部屋にはいない。
「今は、警察庁生活安全局で理事官をしている。それから、1年前に警視正になった」
「これは失礼しました。で、警察庁の警視正殿が、なぜ、ここにいらっしゃるのですか?」
「貴様が懐かしくて会いに来た」
世津奈が佐伯を見返した目が「嘘つけ」と言っていたに違いない。佐伯がすぐに顔の前で手を振り、
「なわけは、ない。貴様がまた私の仕事の邪魔をしているようだから、止めにきた」

「警視正殿のお仕事の邪魔? どういうことか、さっぱり分かりません」
佐伯が険しい目を向けてくる。
「和倉修一のことだ」
「それは誰ですか?」
出来るだけ表情を殺して落ち着いて答えたつもりだったが、佐伯は
「とぼけても無駄だ。貴様は、和倉修一を連れてこの街の大規模商業施設に来た。そこで何者かに和倉を連れ去られ、貴様の相棒がそいつらから筋弛緩剤を注射された。相棒の命が助かって、良かったな」
と言い、高い鼻を得意げにうごめかす。

 世津奈は佐伯がなぜそんなことを知っているのかと驚く。しかし、その驚きより、佐伯の成長のなさに呆れる思いの方が、強かった。佐伯は名門の中高一貫校から東大法学部を経て警察庁のキャリア官僚になった。世津奈の上司だったころの佐伯には、中学受験塾でテスト結果を仲間に自慢する秀才小僧の面影が色濃く残っていたが、あれから3年が経ち警視正に出世した今も、そこがまるで変っていない。
 そんなことを思っているうちに、佐伯の話に驚く必要などないと気付いた。佐伯の話は事実と合致していない。和倉は連れ去られたのではなく、自分から敵側に寝返った。コータローに筋弛緩剤を注射したのは和倉だ。さらに、佐伯の話には現場から立ち去った慧子の話がまったく出てこない。
 世津奈が大型商業施設にいたこと、そこでコータローが筋弛緩剤を注射されたこと、コータローが命をとりとめたこと――これらは、この病院で警察手帳をチラつかせれば得られる情報だ。佐伯は、そこに和倉修一を付け加えてストーリーを作っているに過ぎない。
 
 では、なぜ和倉修一が佐伯にとって重要なのだ? どうして、私が和倉と関わっていると推測しているのだ? ここは、もう少しはぐらかして、佐伯の腹を探ってやろう。
「なんのお話だか、さっぱり分かりません。私は、和倉などという人物は知りません。相棒と私が商業施設を歩いていたら、相棒が突然息を詰まらせて倒れ、救急車を呼んだ。それだけです」
「私にそんなウソが通用すると思っているのか?」
佐伯が声にドスを効かせる。いや、効かせているつもりなのだろうが、佐伯の声は男性にしては高く、しかも妙に少年っぽいので、威圧感はほとんどない。

「私の話のどこがウソだとおっしゃるのですか? 教えてください」
「商業施設の防犯カメラに貴様と相棒が和倉を連れて歩いている姿が映っている」
「その和倉とかいう人が、たまたま私たちのそばを歩いていただけでしょう」
「貴様の相棒が倒れていて貴様が救急車を呼ぶ姿も映っている」
世津奈はほくそ笑みそうになるのを、抑えた。実際に急車を呼んだのは、世津奈ではなく慧子だ。
「それはおかしいですね。私は相棒の救命措置で手いっぱいでした。救急車は、通りがかりの方が呼んでくださったのです」
佐伯の表情が揺れる。佐伯はポーカーフェイスが下手だった。それも変わっていないようだ。

 佐伯が、突然、話をまるで別の方向に振ってきた。
「しかし、医者というのは、だらしない人種だな。この部屋を見てみろ。ごみ箱には食べ終わったコンビニ弁当の容器や空のペットボトルが詰め込まれている。この丸テーブルには埃が積もっている」
「当直医は忙しくて部屋の整理整頓に気を遣う余裕などないのでしょう」
「忙しいことは、整理整頓を怠る言い訳にはならない」
佐伯は、職場の片づけにうるさかった。世津奈は、よく叱られたものだ。

「ここは暑い。喉が渇いた」
佐伯が懐から財布を取り出す。万札が束になって入っている。佐伯がそこから1枚を抜き取り、丸テーブルの上に置く。
「飲み物を買って来い。冷たいものだ。ただし、」
「炭酸以外……ですね」
佐伯が少し意外そうな顔を見せてから付け足す。
「そうだ。貴様の分も買っていいぞ」
「ありがとうございます」
自販機を探しながら、このあと佐伯をどのようにあしらおうかと考えをめぐらす世津奈だった。

〈「26. 佐伯の恫喝」につづく〉