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「日本昔話再生機構」ものがたり 第1話 ヘルプデスクの多忙 7. 勝 負

『第1話 ヘルプクの多忙 6. 追い詰められるハヤト』からつづく

『第2話 沙知の危機 2. 秘 策』からつづく

『第2話 沙知の危機 3.  勝 負』と同時進行

 私がハヤトとの通信を切ると、すぐ、ピピッ、ピピッと受信音が鳴り出した。沙知だ。急いで回線を切り替える。モニター画面に沙知が見ている機織り場の薄暗い障子が映った。
「もうすぐ陽が昇ります。男が帰ってきます」
沙知が緊張した声で言う。
「用意はできましたか?」
私は沙知に尋ねた。
「用意はできていません」
思いがけない答えが返ってきた。

「え?」
私は驚き声を出してしまった。すると、沙知が慌てた声で
「あっ、ご指示のとおり、布を用意していないという意味です」
と説明した。
「あ、なるほど。はい、布は用意できていなくて良いのです」

 大勝負を前に沙知の口から冗談が飛び出したことに私は驚いたが、驚きはすぐ安堵に変わった。冗談が言えるのは、落ち着いている証拠だ。
「では、手順をもう一度確認します」
私は安心して沙知に語りかけた。
「男はあなたが布を用意していないのを見て怒り、機織り場の障子を開ける。そして、鶴の姿のあなたを見て、驚く」
「男は一瞬、凍り付く。そうですね」
「そうです。その一瞬のすきをついて、あなたは機織り場から飛び出し、家の前の山に逃げ込む」

「あのぅ、『決め台詞』は、どうしますか?」
沙知がややためらいがちに尋ねてきた。
「決め台詞」というのは、「この姿を見られた以上、ここに置いていただくことは出来ません」という、あれだ。
 私は、沙知の救出作戦を練ったときに「決め台詞」のことを失念していたことに、気づいた。私は、一瞬、答えに詰まった。
 しかし、この作戦では、沙知が男に「決め台詞」を投げかけている余裕はないし、ここまできて作戦は変えられない。私は、腹をくくって、きっぱり答えた。
「『決め台詞』は要りません。黙って、一目散に逃げてください」
ところが、沙知からはすぐに返事が返ってこなかった。

 正直な話、私には、「決め台詞」なしで『鶴の恩返し』が成立するかどうか確信がなかった。《虎の巻》が取り上げているケースでは、すべて「決め台詞」が使われていたからだ。
 しかし、沙知が相手にしているのは酒と女に溺れた自堕落な男だ。怒りに任せて何をするかわからない。沙知の安全を確保するには、「決め台詞」より逃げ出すことが先決だ。「決め台詞」が理由で不成立になったら、その責任は間違った指示を出した私が引き受ける。そう腹を決めた。

 沙知から返事がないまま、ザック、ザックと山道を踏みしめる足音が聞こえ始めた。男が戻ってきたのだ。モニター画面に、沙知が見ている彼女自身の身体が映った。地肌がむき出しになった貧相な鶴の身体がそこにあった。
――なんということだ。こんなになるまで、沙知を働かせてしまった。
私は胸にナイフを刺されたような痛みを覚えた。

 足音がすぐ近くに迫り、荒い息の音が聞こえ始めた。足音が止まる。荒い息が怒声に変わった。
「おりゃぁ、布はどぉした、布は!」
男の手が障子にかかる音がする。
「サボって寝てくさったか、このアマ!」
障子が勢いよく開いた。
 無精ひげで覆われた赤ら顔の男が怒りに燃える目でこちらをにらんできた。男が「!」と言葉にならない声を発し、動きを止めた。鶴の姿の沙知を見て、驚いたのだ。
――今だ! 沙知さん、今すぐ飛び立つんだ!

 ところが、羽をばたばたさせれる音が聞こえてくるのに、沙知の目線は前方に移動するだけで、上昇しなかった。男が沙知に手を伸ばし、捕まえようとする。その手を、沙知が右の翼ではたくのが映った。
――沙知は、羽毛を失いすぎて、飛べないのだ!
想定外の事態に、私の全身が凍りつきかけた。
 しかし、沙知は山に向かって走り出した。沙知が見ているままを映すモニター画面の中で山の木々と下草がぐんぐん迫ってくる。
 
 私は時空転移装置を発進させた。時空転移装置は、地球に到達したら沙知の位置を自動的に検知して駆動エネルギーの一部を放出し沙知を周囲の樹木ごとエナジーバブルに包んで開けた野原に空間転移させるよう、プログラムしてある。
 沙知が山の際までたどりついた。
 しかし、すぐ後ろに男の足音が迫っている。
「待て、このアマ、鶴に化けたからって逃がしゃしねぇぞ。俺の布を織れ!」
怒声がスピーカーから飛び出してくる。
 次の瞬間、モニター画面が真っ白になった。時空転移装置が沙知の頭上に到達し、駆動エネルギーの一部を放出したのだ。
 
 3秒ほどして、真っ白だったモニター画面が真っ黒に変わった。まずい!沙知が気を失い目を閉じているのだ。私は、
「沙知さん、沙知さん」
と呼びかけた。返事はない。私は
「沙知さん、目を開けて」
と、叫んだ。
 モニター画面に青々とした草の連なりが現れた。時空転移装置は、プログラムどおり、沙知を野原に移動させたのだ。
「沙知さん、もうひと頑張りです。時空転移装置に乗り込んでください」
私は、沙知を励ますように声をかけた。

 モニター画面に銀色に輝く時空転移装置が映り、つづいてハッチが映った。ハッチは開いている
「大型の転移装置を送りました。鶴のままで大丈夫ですから、早く乗り込んでください」
私が指示すると、モニター画面に転移装置の内部が映った。沙知が転移装置に飛び込んだのだ。時空転移装置が地球を発進した信号が送られてきた。

 私は、沙知を乗せた時空転移装置が転移装置の到着ポッドに着くのを待たずに、エル・スリナリ産業医とのホットラインを起動させた。
「スリナリです。緊急事態ですか?」
まだ若そうな、歯切れの良い声が答えた。
「A01到着ポッドに極度の疲労状態にあるクローン・キャストが到着します。『鶴の恩返し』で鶴を演じていたM1878、愛称『沙知』さんです。至急健康状態のチェックをお願いします」
「わかりました。よく連絡をくださいました。すぐにA01ポッドに向かいます」

 スリナリ医師との通話を切った私は、ホッと胸をなでおろした。スリナリ医師が後輩のクローン・キャストたちから聞いていた通りの人物だったからだ。
 ラムネ星人の幹部職員がクローン・キャストを消耗品としか見ないなかで、スリナリ医師だけはクローン・キャストの命を大切に考えてくれる。まだ現役で昔話再生に従事している後輩たちがそのように語っているのを、私は職員食堂などで耳にしていたのだ。

 これで、私が審査される案件が2つになった。一つはハイパーエナジーバブル転移を使ったこと。もう一つは、今、スリナリ医師に援助を求めたことだ。
 昔話再生から戻ったクローン・キャストはクローン・キャスト育成部で終業時点検を受ける。産業医の健康チェックを受けるのは、終業時点検で目立った健康上のトラブルが見つかった場合だけだ。 
 しかし、終業時点検のキャパは常に不足しており、2日待ちがざらだ。沙知を2日も放置しておいたら、命を落としてしまう。だから、私は終業時点検を飛ばして直接産業医の診察を仰いだのだ。
 
 ヘルプデスクから産業医へのホットラインはスリナリ医師の強い要望で昨年開設されたものだが、このホットラインをプロジェクト管理部長もクローン・キャスト育成部長も快く思っていない。
 実際にホットラインを使うと、それが必要不可欠であったかが審査され、これまでの例ではすべてのケースについて不要だったと判定され、使用したヘルプデスク担当は減俸、停職などの処分を受けていた。
 
 私の場合、ハイパーエナジーバブル転移と産業医とのホットライン使用のどちらも不要だったと判定されるはずだ。それだけではない。私は、2回もプロジェクト管理部長を電話で呼び出そうとした。
 ラムネ星人の幹部たちが嫌がることをこれだけやったら、減俸や停職では済まないだろう。残っているわずかの変身能力を封印された上でラムネリウム採掘鉱山での強制労働に送られる可能性が高かった。
 
 だが、それがどうだと言うのだ。プロジェクト管理部長の私利私欲と奴と癒着した「昔話成立審査会」の不当な判定のせいで仲間のクローン・キャストが潰されるのを手をこまねいて見ているくらいなら、強制労働に服す方がマシだ。
 などと偉そうに息巻いているが、私がこんな風に思えるのは、私がすでに42歳で活動停止まで10年を切っているからだということを、私は知っている。
 10年前、まだ現役で昔話再生をしていたころの私は、こんな風には考えられなかった。いや、昔話再生中の負傷が原因でヘルプデスクに回された36歳の私にだって、こんな考え方はできなかった。
 ヘルプデスクに配属されて6年間、現場で苦闘する仲間たちを一歩引いた場所から見てきて、そして、自分の終わりの日が近づいてきて初めて、身を捨ててでも正しいことをしたいと思うようになったのだ。

 クローン・キャスト人生の晩年にこういう心境になれたことを、私はクローン・キャスト、ラムネ星人、地球人、そのいずれをも超えた「ある、大きな存在」に感謝したい気持ちだった。そのような存在がいると、私は信じていた。

 私の右手でビビッ、ビビッ、ビビッと、神経を逆なでするような着信音がが鳴り出し、私を現実に引き戻した。また、別のクローン・キャストが私の助けを求めていた。

〈『第1話 ヘルプデスクの多忙 8. 屁こき嫁』につづく