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「日本昔話再生機構」ものがたり 第1話 ヘルプデスクの多忙 12.奇妙な依頼


『第1話 ヘルプデスクの多忙 11. 謝 罪』からつづく

『第3話 産業医の闘い 7. 魔の時間』からつづく


 沙知がスリナリ産業医に答えた。
「先生、もう大丈夫です。それより、こちらの方に御礼を言いたくて。あのぅ、ヘルプデスクの……」
沙知が口ごもった。私の名前を覚えていないのだろう。当たり前だ。あんな状況では、ヘルプスク担当の名前など覚えていられない。

 私は沙知に微笑みかけた。
「ヘルプデスクを担当したM1901、コーイチです。沙知さん、大変な目に遭われましたね。でも、最後まで、本当によく頑張った。『鶴の恩返し』が成立したと聞きました。頑張った甲斐がありましたね」
「全部、コーイチさんのおかげです。ストーリーの抜け穴を見つけてくださり、離れ業を使って回収してくださいました」
沙知の青白い顔にかすかに色がさした。

 そのとき、私は彼女が非常に整った顔立ちをしていることに気づいた。端正で、淋しくはかなげな容貌。『鶴の恩返し』の鶴役にピッタリだ。私は、元気な姿の彼女を見てみたかったと思った。同時に、彼女をここまで消耗させた悪党どもへの憤りがよみがえってきた。それなのに、私は彼女に
「あなたに、二度とこのようなことが起こらないことを祈ります」
と言うことしかできなかった。
「ありがとうございます」
沙知が目を伏せた。

 私の隣でスリナリ産業医が小さく咳ばらいをし、私は彼の顔を見た。
「コーイチさん、あの、折り入ってお願いがあるのですが」
と切り出され、私は腰を抜かしそうになった。スリナリ産業医から敬語を使われただけでも驚愕の体験だったのに、その上「お願いされる」だなんて。
「お、お願いって、いったい」
私はしどろもどろに問い返した。
「あなたと沙知さんの交信記録をコピーさせてもらいたいのです」

「お願い」の内容のとんでもなさに、私は3歩後ずさりした。ヘルプデスク担当は脳内の生体チップに当直5回分の交信記録を保存している。当直中の判断を後日審査される場合に備え、証拠として保存しておくのだ。したがって、それは審査会の場でしか開示を許されていない。5回分を超えた記録は自動消去されるので、審査会は記録が消える前に開かれることになっている。
 私は即答を避け、別の入手経路を提案した。
「ヘルプデスクと現場のキャストの交信は『日本昔話再生支援機構』のデータベースにも記録され、10年間保存されます。そちらにアクセスされては、いかがですか?」
 
 スリナリ産業医の表情が曇った。
「それが、私にはその記録へのアクセス権がないのです」
私は驚いた。私の驚きを、横で私たちの会話を聞いていたハヤトが代弁した。
「それ、本当ですか? ボクは変身が解けて身体を壊したかもしれない所だった。そぉいう記録を、ボクらの健康を管理する産業医が見れないなんて、おかしいじゃないですか?」
まったく、ハヤトの言うとおりだ。
 スリナリ産業医がぎくっとしたようにハヤトを見た。
「あ、ハヤト君、まだいたのか」
声が尻すぼみになる。どうやら、スリナリ産業医は、この場に私と沙知しかいないと思っていたらしい
 どうも、変だ。何かが匂う。

「スリナリ先生、私の脳内記録をコピーして何にお使いになるのですか?」
私はスリナリ産業に尋ねた。
「そ、それは、その……」
スリナリ産業医が口ごもった。
 私はスリナリ産業医に対する疑念を深めたが、同時に、あることを思い出した。審査にかけられたヘルプデスクの同僚と話していたとき、彼が、審査会が脳内記録が自動消去されたあとに開かれたと聞こえるようなことを言いだしたのだ。私が「君の脳内証拠を使わずに審査が行われたということ?」と確認しようとすると、彼は言葉を濁し「同じ記録が『日本昔話再生支援機構』のデータベースにあるから、別に問題はないんだけどね」と言い、審査の話をそこで打ち切った。

 審査会はプロジェクト管理部長が招集する。彼には、意図的に審査の日取りを後ろ倒しすることができる。私はスリナリ産業医に尋ねた。
「誰ならヘルプデスクの交信記録にアクセスできるのですか?」
「プロジェクト管理部長、技術部長、クローン・キャスト育成部長の3人です」
スリナリ産業医が答えた。またか! また、その3人か!
 私は、私の審査は、私から脳内記録が消去された後に行われるに違いないと思った。それだけではない。データベースの記録もプロジェクト管理部長が改ざんする可能性がある

 証拠など関係なく私の処分が決定されるのは目に見えていた。
 だが、だからと言って、証拠そのものが書き換えられるのを許していいのだろうか? 正しい証拠が日の目を見るときは来ないかもしれない。それでも、悪党の好き放題に扱われるのは耐えがたい気がした。
 しかし、スリナリ産業医が私の脳内記録のコピーをそのまま保存する保証もないような気がした。スリナリ産業医が記録を欲しがる動機も、不純に感じられるのだ
 私は考えを巡らせた。そして、スリナリ産業医に条件を提示することにした。

先生が私の脳内記録のコピーを3セット用意し、それを先生、沙知さん、私の3者で共有するというのは、いかがでしょう? もちろん、あくまで、沙知さんが同意してくれるならという話ですが」
私は、同意します
沙知がきっぱりと言った。
スリナリ産業医が、私、沙知の順に目を向けた。
あなたたちがそれで了解してくれるなら、是非、そうさせてください
スリナリ産業医が懇願するような口調になった。ラムネ星人から懇願される日がくるとは思ってもみなかった。

〈スリナリ産業医の懇願の背景はこちら〉

 私はほっと一息つきかけた。そのとき、ハヤトの
「だったら、ボクとコーイチさんの交信記録もコピーしてください
という声を浴びた。私はスリナリ産業医と顔を見合わせた。

〈『第1話 ヘルプデスクの多忙 13(最終回) とんだクセ者』につづく〉

『第3話 産業医の闘い 8. 絶望』につづく