見出し画像

「日本昔話再生機構」ものがたり 第4話 スパイたち 1. 魔性の女

 『第1話 ヘルプデスクの多忙 13. とんだクセ者』からつづく

『第3話 産業医の闘い 7.  魔の時間』からつづく

 ミラ・ジョモレはリニアモーターカーのサイノメ駅前広場にLV(=Levitation Vehicle=空中浮遊車)を乗り付けた。ここは郊外ベッドタウンの駅で、夜も10時を過ぎたこの時間、広場に人影はなかった。リニアモーターカーには食料や日用雑貨の販売サービスがついているので、勤め帰りの客を目当てにしたコンビニの類もなく、広場はがらんとしていた。
 ミラ・ジョモレは腕に埋め込まれた生体時計に目をやる。もうすぐ、「日本昔話再生支援機構」の産業医エル・スリナリ医師を載せた列車が到着する。スリナリ医師はジョモレが求めたヘルプデスクと現場クローン・キャストの交信記録を持ってくることになっていた。

 駅の左手の暗闇から銀色に光るリニアモーターカーが現れ、速度を落としながら駅に入ってきた。すぐに、駅から男女が出てきた。といっても、せいぜい10人かそこらだ。一般に、ラムネ星人は職住近接を好む。サイノメのような郊外に自宅を構えるのは都会の喧騒を嫌う一部の変わり者だけだ。

 エル・スリナリ医師は、ジョモレの指示どおり、最後に出てきた。ジョモレはLVをスリナリ医師の横に乗り付け、ガルウィングドアを開いた。「どうぞ」とスリナリ医師を招き入れる。LVはジョモレの意志を読み取って動く感応型AI装備なので、シートは向かい合わせになっている。
 スリナリ医師が乗り込み、向かい側に腰を下ろす。ジョモレが長い脚を組むと、ジョモレの膝頭がスリナリ医師の膝と触れ合いそうになったスリナリ医師の視線がジョモレの脚に釘付けになるジョモレは、この効果を狙って密会に使うLVのサイズを決めていた。

「スリナリ先生、こんなに早くデータをお持ちいただけるなんて。とても嬉しく存じます」
言葉遣いは礼儀正しく丁寧に、そこにスリナリ医師をとろかす笑みを添える。自分のどのような表情としぐさがスリナリ医師をとろけさせるか、ジョモレは完全に把握している
「データを手に入れるのは、その気になれば簡単でした」
とスリナリ医師が言ったが、簡単という言葉とは裏腹に表情が強張っていた。データ入手は実は容易ではなかったのかもしれない。だが、それは、ジョモレには関係ないことだ。
 
 スリナリ医師がカバンから大切そうにメモリーチップを取り出し、ジョモレに差し出した。
「拝見させていただいて、よろしいですか?」
ジョモレが微笑むと、スリナリ医師が困惑した顔で、
「今ここで、ですか? かなり長時間の記録ですが」
と言った。

 ジョモレは一瞬迷った。長時間の記録を瞬時にスキャンする特殊なシステムを用意していたが、それをスリナリ医師の前で作動させて良いものか、ためらったのだ。
 だが、スリナリ医師が持ってきた情報の質を今すぐ確認したいという欲求が迷いを上回った。この情報の質が十分であれば、ジョモレと仲間は、すぐに次のステップに移行することができるからだ。

 ジョモレは髪をかき上げるふりをして、後頭部に埋め込まれた受信機をオンにした。ポケットから小型送信機を取り出し、スリナリ医師から受け取ったメモリーチップをそこに差し込む。スリナリ医師の目をごまかすために、ワイヤレスイヤホンを耳にはめた。
「ちょっと失礼します」
スリナリ医師にそう断って目を閉じ、手の中の送信機をオンにした。ヘルプデスクのコーイチとクローン・キャスト沙知のやり取りが、ジョモレの脳内で超高速再生され始めた。夢と現実では時間経過が異なる原理を応用した高速記録読み取りシステムを作動させたのだ。

 記録内容にすっかり満足したジョモレが目を開き満足のため息をつくと、スリナリ医師が
「あのぅ、もしかして地球連邦政府の高度先端技術研究所が開発中と言われている『高速記録読みとりシステム』をお使いですか?」
と訊いてきた。
ジョモレは心の中で「チッ」と舌打ちした。産業医などしているから、普通のラムネ星人が知るはずのないことまで知っているのだ。
「『高速記録読みとりシステム』? 聞いたことがありませんん。どんな仕組みなのですか?」

 スリナリ医師から返ってきた答えの正確さに、ジョモレはもう一度心の中で舌打ちした。ともかく、ここは適当にごまかすしかない。
「いえいえ、私はそんな高度な離れ業を使ったわけではありません。記録を10分飛ばしで再生しただけです。それでも、このやり取りがどんな大変な状況を物語っているか、良く分かりました。素晴らしいデータをありがとうございます」
左手を伸ばし、スリナリ医師の膝に軽く触れた。医師の膝がびくっと震えたのがわかった。これでスリナリ医師の関心をそらすことができた。

 ジョモレは、すぐにでも仲間が待つアジトに戻りたがったが、それは避けた。スリナリ医師は言葉の上の感謝だけでなく、もっと具体的な報酬を期待しているに違いない。ここを省略すると彼の心が離れてしまう恐れがある。スリナリ医師は、これからも情報源として有用な存在だ。

 今夜は少し時間をかけて、スリナリ医師が一番欲しがっているものをほんの少し、与えてやろう。あくまで、小出しに…… この男には後に期待を持たせて、もっともっと働いてもらわなければならない。
「先生、少しドライブしませんか?」
「あ、私は構いませんが、ジョモレさんはお忙しいのではないですか?」
「先生とお会いする日に、私は余計な予定などいれませんよ」
ジョモレはフェロモン全開にしてスリナリ医師に笑いかけた。スリナリ医師の頬がたちまち赤らんだ

『第4話 スパイたち 2. 情報分析官キエ・カレリア』につづく