「日本昔話再生機構」ものがたり 第3話 産業医の闘い 9. 自 白
『第6話 乙女の闘い 8. セイレーン』からつづく
スリナリ医師は、ジョモレに指定されたリニアモーターカー駅のホームに降り立った。ホームの反対の端にリンの姿を確認してから、エレベーターで改札口に向かう。
指定どおり駅前のロータリーのベンチに腰を下ろしたスリナリ医師は自分の心臓の激しい鼓動に気づいたが、その高鳴りがこれから起こることへの不安だけでなく、ジョモレに会えることへの期待からもきていることに気づき、それを恥じた。
ロータリーに交わる大通りから一台のLVが現れ、音もなく宙を滑ってきて、目の前に止まった。ガルウィングが上がり、シートに深くかけ黒いストッキングに包まれた美しい脚を組んだジョモレが妖艶な笑みを投げてよこした。スリナリ医師は己の局部が充血するのを感じ、またも、己を恥じた。
「先生、どうぞ、お入りになって」
ジョモレに声をかけられたときは、もう、LVのステップに足をかけていた。ジョモレの香水の匂い。あの夜のことを思い出す。全身が火照ってくる。
「私も、ご一緒させてください」
鈴を鳴らすような澄んだ声が、スリナリ医師を現実に引き戻した。リンがトレッキングシューズのつま先をLVのステップにかけていた。黒のTシャツの上に黒いブルゾンを羽織り、タイトな黒いジーンズと黒のトレッキングシューズという黒づくめのいでたちが、リンの透き通るように白い肌を際立たせていた。
「あんたは、いったい」
ジョモレが組んだ脚をほどき、スカートの下のふとももに手を伸ばそうとする。
次の瞬間、車内の空間がぐにゃりと歪み、照明が消えた。灯りが戻ると、ジョモレが両脚を開き、棒のように身体を強張らせていた。
「先生、彼女の拳銃を取り上げてください」
スリナリ医師の頭の中でリンの声がした。ジョモレは太ももに巻き付けたホルスターに小型の拳銃を忍ばせていた。
スリナリ医師は本物の拳銃を見るのは、これが初めてだった。震える手を拳銃に伸ばせずにいると、頭の中でリンが穏やかな声で言った。
「大丈夫、安全装置がかかったままです。手荒に扱っても弾が飛び出すことはありません」
医師が取り上げた拳銃を、リンが受け取った。
「これから、この人の心の奥にある毒を吐き出してもらいます。先生にはお辛い内容も出てくると思いますが、我慢してお聞きください」
スリナリ医師は「大丈夫です」と言葉に出さず答えた。正気が戻って来ていた。これほどに自分を惹きつけ操ってきたオンナの正体を知りたいという思いが医師の中でどんどん強まってきていた。
「私は、ただ、オトコどもを屈服させたいの。オトコどもを私の前にひざまずかせ、私を渇望させたい。私を渇望するオトコどもに、私のつま先を舐めさせてやり、奴らが快楽に溺れるのを見て楽しむ。それが、私の最大の喜びなの」
あの晩、自分もジョモレのつま先を舐め恍惚としていたのか……スリナリ医師は激しく己を恥じた。
リンの呪力でジョモレの心のタガが外れ彼女の深奥の欲望が吐き出され始めて、15分が経過していた。初めは、ジョモレは意味不明なコトバを断片的につぶやくだけだったが、今では何かにとり憑かれたようにしゃべり続け、その瞳にはスリナリ医師を恐れさせる不気味な光が宿っていた。医師はジョモレを正視することができなかった。
「だから、私にとっては、人的諜報担当に使ってくれてオトコどもを操らせてくれる組織なら、地球連邦中央情報局だろうが、ラムネ星統合情報部だろうが、どっちでも良かった。でも、どっちも、人的諜報担当には相手の星の人間を使うの。だから、私は、地球連邦中央情報局を選んだ」
スリナリ医師は顔を上げた。このオンナは、地球連邦政府のスパイだったのか? だが、なぜ、地球連邦政府が「日本昔話再生機構」に探りを入れているのだ。
「今度の仕事は、私にピッタリだった。『日本昔話再生機構』と『昔話成立審査会』の癒着を暴くため『機構』内の人間を操って、情報を漏らさせる。興奮したわよ。クローン・キャスト育成部長なら色々な情報を持っているだろうと、あのジイサンに近づいた。ジイサンは簡単に引っかかったけど、ろくな情報は持ってなかった。でもね、素敵なお友達を紹介してくれた。産業医のエル・スリナリ。これが、イイ歳こいてウブな坊やでさ、靴から私の足を出す必要もなかった。靴の上から舐めさせてやったら、ヒィヒィ喜んで、涙まで流してた。ほんと、ちょろいもんだったわ」
スリナリ医師は、完全に打ちのめされていた。今すぐ去勢手術を受け、二度と女性に惑わされない身体にしたかった。
「でも、こんな程度で私は満足してない。もっと大物をひっかけて見せる。なんてったって、私たちの目的は『昔話再生機構』が、『昔話再生審査会』に違法な働きかけをした状況証拠を掴むことなのだから。産業医ごときでなく、機構の決定権をもった、もっと、もっと大物を私に前に侍らせないと。フ、フ、フフフフ」
ジョモレが笑い出した。笑いはどんどん大きくなり、狂ったように身をよじり、車内に笑い声を響かせ始めた。
「先生、今日は、このくらいでよろしいでしょうか?」
頭の中でリンの声がした。
「え?」
と答えるスリナリ医師に、リンが済まなそうに言った。
「この人は心の奥底に、まだコトバになっていないグジャグジャドロドロをいっぱい抱えています。でも、今日の私は、これで限界なのです。また日を改めてトライさせてください」
「そうしましょう。私も、気が狂いそうです」
本心だった。
「彼女のコトバは、すべて録音しました。それを育成部長と乙女さんにも聞いてもらって、さらに彼女から引き出すべき情報があるか相談しましょう」
そうは言ったものの、スリナリ医師は、自分がどれほど情けなく操られたかを育成部長と乙女に知られるのは耐えられない思いがあった。
しかし、それに耐えないと、ことを進めることができない。己の愚かさと欲情への報いと思い、甘受するしかないのだ。
「スリナリ先生、ひとつお話しておきたいことがあります」
「なんでしょうか?」
「どうか、先生とこのオンナの間に起こったことを恥じないでください」
「私は、このオンナに靴を舐めさせられ涙を流して喜んだのですよ。どうして恥じずにいられると言うのです」
「人間の内奥はエネルギーで満ち満ちています。そのエネルギー自体は善でも悪でも、正でも邪でもない。人間を生き続けさせる原動力と言うに過ぎません。ただ、このエネルギーは、環境や偶然の影響で善・悪、正・邪の波動となって放たれ、周りの人間に影響するのです。ジョモレは、自らのエネルギーを邪の波動、邪気として放っている女性です。なぜ、彼女がそうなったのかは、私にはわかりませんが」
「邪気を放っている?」
スリナリ医師は、リンの言葉を口の中で繰り返した。
「『邪気』とでも呼ぶべきものです。そして、彼女の邪気に触れた人間のエネルギーは、彼女の邪気にシンクロしてしまうのです。先生ご自身が邪悪なわけでも、歪んでいるわけでもない。たまたまジョモレの邪気に触れてしまったために起こった局所的な不都合なのです。ですから、先生はご自身を恥じる必要は、何もないのです。育成部長と乙女さんも、そのことが分かる方たちだと私は思っています。しかし、先生がお望みになるなら、先生にお話ししたことを、お二人にお話しします」
リンが包みこむような目でスリナリ医師を見た。
「育成部長と乙女さんに説明していただく必要はありません。あの二人が私を理解してくれるとあなたがおっしゃるなら、そうに違いありません」
リンがうなずいた。
スリナリ医師はニセ情報を納めたメモリーをジョモレの手に握らせ、リンとともにLVから下りた。ジョモレが意識を取り戻したときには、ここで起こったことの記憶はすべて消えて、手の中にメモリーだけが残っていることになる。仲間のもとに戻った彼女が、メモリーを「イイ歳こいてウブな坊や」からまんまとせしめたと伝えることは間違いないと、スリナリ医師は思った。
『第6話 乙女の闘い 9. 明かされる真相』につづく