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『守護神 山科アオイ』14. アフリカ

 慧子の「感傷的」という言葉に、和倉が鋭く反応する。
「感傷的だって?」
これまでの丁寧な口調が剥げ落ちる。
「亡くなった恋人を国際的なNGOに顕彰させようなんて、おセンチそのものだわ」
慧子が冷ややかに言う。

「私はアガートを、マータイ医師を、愛していた。だが、そんな個人的な理由だけで、彼女の人生を広く知らせたかったわけではない」
「あなたの思い入れ以外に、どんな理由があったのかしら?」
「マータイ医師は、ラウンダで起きたジェノサイドの生き残りなんだ。家族を殺され孤児になった彼女は、善意の人たちの助けを得て高等教育を受け、医師になった。過酷な環境を生きるアフリカの若者たちが彼女の人生を知れば、自分の人生にも希望を持てる。私は、そう考えた」

「そんな効果は、あり得ない」
慧子が冷たく言い放つ。
「『善意の人々』って、どうせ欧米の人権団体とか難民支援をしている個人のことでしょう。ラウンダのジェノサイドを止められなかった罪滅ぼしに、たまたま目に留まった女の子に救いの手を差し伸べた。それだけのこと。マータイが欧米人の気まぐれのおかげで医者になれたことは、まともに頭が働くアフリカの若者なら、すぐ、わかる」
「そんな……」
和倉が絶句する。

「慧子さんって、クールなんすね」
コータローが割りこんでくる。
「まぁ、確かに、ヨーロッパの罪は重いっすからね。ラウンダで凄まじい殺し合いをした『クリ族』と『タツ族』は、元々は、平和に共存してたんすよ」
「どういうことだ?」
アオイがコータローに尋ねる。
「ベルギーがラウンダを植民地にした時、比較的白人に近い容姿の『クリ族』を優遇してベルギーの味方につけたんだ。それが原因で、部族間対立が生まれたんだよ」

「じゃ、ジェノサイドが起こった元々の原因はベルギーの植民地支配にあったってことか?」
「そう考えてる人間が多い。ボクもその一人だけど」
「それだけならベルギー1国の問題で済むけど、そうはいかない事情があるのよ」
世津奈が言う。
「ベルギーがラウンダでやった『Divide and conquer=分割統治』は、植民地支配の定番で、植民地を持っていた国でこの罪を冒していない国は、ないと思う。だから、良心的な欧州人は、ラウンダのジェノサイドに、我がこととして罪の意識を持つ」
「国連のPKOが機能しなかったってことも、罪悪感を強めているかもしれないっすね」
「どういうこと?」と、アオイ。
「ラウンダではジェノサイドの前に内戦があって、国連のPKO部隊がいたんだ。それなのに、ジェノサイドを止められなかった。それも、アフリカ支援に熱心な欧州人の喉に刺さったトゲなんだよ」
「そうなのか……色々な事情があるんだな」

 アオイ、世津奈、コータローの会話を黙って聞いていた慧子が口を開く。
「私は、今のアフリカの苦難は、ヨーロッパの植民地支配にも原因があるけど、それ以上にアフリカ自身に原因があると思っている。旧宗主国の分割統治が部族間対立を煽ったのは事実でしょう。だけど、アフリカ諸国が次々独立して『アフリカの年』と言われた1960年から半世紀以上経っているのよ。それが、いまだに、国内で部族同士でいがみ合い、すぐ内戦を始める。おかしいでしょ」
「それは、アフリカを植民地にした欧州の国々が、地元の部族構成にお構いなしに直線的な国境線を引いたからだ」
和倉が反論する。

「『それは何年前の話ですか?』と、私は言っているの。部族間対立だけじゃない。アフリカでは、政治家や役人の腐敗がはびこっている。先進国がアフリカの貧しい人々を助けようと開発援助をしても、援助金や援助物資の8割は、政治家や役人たちの懐に入り、本当に必要としている人たちには、2割しか届かないと言われている」

 和倉が何か言おうとするのを手で制し、慧子が続ける。
「日本人の旅行者が、アフリカのある国の市民に、彼らが貧困から抜け出せない理由を尋ねた。その市民が、なんと答えたと思う?」
「腐敗した政治家と役人のせいだと言ったのでしょう」
和倉が言う。
「チッ、チッ、チッ」と、慧子が顔の前で人差し指を振って見せる。
「『貧しい国民がいなくなると政治家が困るからだ』と、言ったのよ。貧しい国民がいるから先進国に援助してもらえ、その援助の大部分を自分の懐に入れることができる。国民みなが豊かになってしまったら、援助を受けられなくなり、政治家は金もうけができなくって困る。彼は、そう答えたの。独立から半世紀以上経っても、そんな政治家しか持てない。これは、もう、国民に問題があるとしか考えられない」

「では、私たちも『問題あり』国民ですね」
世津奈が微笑みながら言う。
「え?」と訊き返す慧子に、世津奈が
「日本もろくな政治家がいませんから」
と答える。
「あぁ、そういうこと。確かに、日本の政治家は、ひどい。でも、アフリカの政治家よりは、多分、かなりマシ」

 和倉がうつむき、両手の拳を握る。アオイには、和倉が涙をこらえているのがわかる。
「あなたは、アフリカに行ったことがあるのですか?」
和倉が絞り出すように言う。
「ないわ。ただ、私の周りにはアフリカ援助に携わった人間が大勢いた。その人たちの話から、このくらいの結論は導ける」
「アフリカに一歩も足を踏み入れたことがないくせに、アフリカの人たちを愚弄するようなことを、言うな!」

 和倉が顔を上げる。涙が目から零れ落ちるのも構わず、慧子に訴える。 
「確かに、植民地支配の負の遺産を引きずってる。政治家と役人は腐ってる。そこらじゅうで内戦だらけだ。でも、そんな過酷な環境でも、より良いアフリカを築こうと、命の危険も顧みず身を粉にして働いているアフリカ人が大勢いるんだ」
「あなたの亡くなった恋人みたいに?」
慧子が皮肉な調子で返す。
「慧子、そういう言い方は止めな」
アオイが慧子をとがめる。
「あら? アオイの気分を害するようなことは言っていないつもりだけど」
「言ったよ。あたしは、気分を大いに害した」
アオイが語気を強め、慧子が肩をすくめる。

 世津奈が和倉に穏やかに話しかける。
「和倉さんは、スラジリアの公衆衛生プロジェクトに派遣されて、アフリカの貧しい人々の幸せを心から願うようになった。そうなのですね」
「アフリカの貧しい人々に尽くすことが、人間としての義務だと考えるようになった……と言うと、綺麗ごとだな。自分のためだよ。私がアフリカのために働き続けていれば、私の中でアガートが生き続けてくれる。そう思ったんだ」
「そういう思いを抱いて創生ファーマに戻った和倉さんが抗マラリア薬の開発を考えなかったとは、私には、とても思えないのですが」
和倉が赤い目を世津奈に向ける。
「あぁ、私は、帰国した直後から、新しい抗マラリア薬の開発に取り組み始めた」

〈「15. マラリア」につづく〉