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『守護神 山科アオイ』31. 暗いニュース

 アオイたちが遠山研究室のシステムへの侵入を決めたころ、世津奈は、佐伯警視正の公用車の運転席にいた。
 高山社長と佐伯の話がつき、世津奈は高山と一緒に「京橋テクノサービス」の本社に戻ろうとした。高山を呼び出す電話を佐伯の前でかけさせられたため、和倉に関する重要な情報で高山に伝えていないものがある。それを本社で高山に話すつもりだった。

 ところが、佐伯が世津奈を引き留めた。佐伯に無償協力する立場の人間として、世津奈には、今すぐやらねばならぬことがある。佐伯は、そう言ったのだ。それが、佐伯の公用車の運転手を務めることだったとは。ただ、佐伯が運転手をつけずに自ら公用車を転がしてきたというのは意外だった。

 佐伯が後部座席にふんぞり返っている姿がバックミラーに映る。
「警察庁にお送りすれば、よろしいですね」
という世津奈の確認には答えず、佐伯が世津奈に問いかけてくる。
「貴様、本当に和倉を知らないのか?」
「知りません」
「知らない人間を、どうやって探し出すのだ?」
「私は人探しのプロです。警視正が和倉という人物についてご存じのことをお教えくだされば、探し出してお目にかけます」

 佐伯が後部座席で「くっ、くっ」と笑った。
「私は、和倉について、今まで貴様に話したことしか、知らない。奴が大手製薬メーカー『創生ファーマ』の研究員で画期的な抗マラリア新薬を開発したが、3日前から行方をくらました。それが、私が和倉について知っているすべてだ。人探しのプロと言うからには、これだけの情報で和倉を探し出せるのだろう?」

「警視正は、なぜ、和倉という人物に関心があるのですか?」
「それに答える必要はない。いいか、私は貴様の雇い主だ。雇い主が雇われ人の質問に答える必要はない。だが、雇われ人である貴様は、私の質問に答える義務がある。貴様が和倉について知っていることを話せ」
「その話は、とっくに済んでいます。私は、和倉修一なる人物については、何も知りません。警視正からいただいた情報だけをもとに、探し出してみせます」
 後部座席で佐伯が相好を崩した。
「ほほぅ。それでは、お手並み拝見といこう。このクルマを自由に使わせてやる。今すぐ、和倉の捜索を始めろ」
「その前に、警視正を警察庁にお送りします」
「『お手並み拝見』と言っただろう。私は、貴様に同行して、貴様が知らないと称する和倉修一をどうやって探し出すか、一部始終を見届けさせてもらう」

 「まずい」と思った。世津奈は、和倉が転がり込んだ先は、和倉が新薬の情報を売り渡した相手、アフリカの独裁者エウケ・レ・レが雇った犯罪組織だろうと推測している。闇社会に通じた恩人の助けを借りて、犯罪組織の線から和倉の所在をつきとめようと考えていた。
 ところが、佐伯がついてくると言い出した。佐伯に対しては、和倉とエウケ・レ・レの関係はもちろん、和倉のこと自体、何も知らないと言い切ってある。佐伯に付きまとわれては、計画どおりに和倉の捜索を進めることができなくなる。

「どぶ板を渡るような地味で長い捜索になります。公務ご多忙な警視正にお付き合いいただくわけにはいきません」
この説得は効くだろう。佐伯は世津奈の上司だった時代も、捜査員と一緒に現場に出たことはない。
「自分は刑事ではなく官僚だ。官僚には官僚にしかできない仕事がある」
というのが、佐伯の口癖だった。

「私の公務について、貴様が心配する必要はない」
佐伯が厳しい表情で言う。そして、表情を緩め
「それと、警察官僚としてさらに上を目指すためには、現場の警察官の『どぶ板を渡るような捜査』というのも、一度見ておいた方がよいと、最近になって思うようになった」
と付け加える。バックミラーの中で、佐伯と目が合う。佐伯の目が笑っていた。

 世津奈は、佐伯についての見方を改めざるを得なくなっていた。世津奈の上司だったころの佐伯は役所的な手続きと話の収め方は上手いが、捜査上の駆け引きには疎い男だった。
 しかし、その佐伯が「京橋テクノサービス」社員の発砲現場の映像をネタに世津奈を脅し、さらには世津奈の捜索に同行することで、世津奈が隠している秘密を暴こうとしている。
 人間は、生きていれば進歩するものだ……人類にとっては明るい知らせだが、今の世津奈にとっては暗いニュースだった。

〈つづく〉