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【後編】永井慎之介が“Flagment”をハックするとき——受身だった彼が「声をかける」までの軌跡

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一人でいられるようにできちゃったのもあるのかな。

——人に興味はまだ持ってない感じですけど、やっぱりながいさんのモチベーションは一貫して「自分の好きなようにやる」ってところにあるのかなと感じていて。カスタマイズ性に魅力を感じたりとか、ぼやっとした学生生活の中での不満への対処として、一旦自己完結でなんとかしようとしてみるとか。そこはずっとあるなと感じながらの幼少期でした。

確かにね、そうかも。

——こんな感じでね、伏線を解き明かしていきますので笑

すげ〜笑

——じゃあちょっとここからは高校生活に入っていこうと思いますが、高校受験ってどうでした?

塾自体がモチベーションの高いところだったのもあるし、勉強はやっぱり頑張ってたかな。自分で選んでるというよりは、周りの雰囲気にあてられてたところもある。

——先生が「いくぞ!!」みたいなことですか?。

「いくんすね、わかりました!」的な笑。自分でいうのはアレだけど、福島で一位二位ぐらいの進学校に行ったから、周りの友達も、やっぱり学力的に行ける人も行けないもいて、そもそも目指さない人もいて、だからだいぶ変わったんだよねまた環境が。

——なるほど。じゃあまた人間関係はリセットされちゃうんですね。ちょっと気になるので真っ先に聞いちゃいますけど、クラスでの立ち位置ってどうなるんですか?

これは後にも先にも高一だけなんだけど、クラスに心を許せるとか話せる人が一人もいなくなってしまって。一つ暗黒時代を挙げろって言われたらここかなと思う。中学時代よりも明確に、傷口が痛い感じの辛さというか。別に避けられてたとか、いじめにあったみたいな経験はないんだけど。

——ということは、、自分のテリトリーを犯されたっていうことはあんまりないんですね。どんだけ寂しかろうと、その空間に自分がいることは保ててますね。でもそこが暗黒期の所以となる孤独も生んでいるという。
ごめんなさい、色々ながいさんのキャラクターと繋がって勝手に納得してしまいました笑。話を戻すと、じゃあ「高一が」ということは、高二高三はやっぱり変わってくんですか?部活とかの兼ね合いでしょうか?

美術部で中学の頃一緒だった知り合いが、「写真部入るからどう?」って声かけてくれて。だからクラスの代わりにそっちに居場所ができてた感じで。

——写真部に友達は多かったですか?

えっと、同学年が12人いて、そのうち3人が男子で。また女社会なんだけど。そこは(自分が馴染むまでに)時間こそかかったけど最終的にすごい雰囲気は良くて、楽しかった。撮影旅行とかも行ったり。

——ここで、部活としても趣味としても絵を描くことから離れるんですね。

そうだね。部活も無くなったし、元々向上心がそこにあったわけでもないし、その意欲は写真に移ったかな。元々そんなに興味があったわけじゃなかったけど、でも撮ること自体は楽しくなっていったかな。

——その楽しさはどんなところから来てました?

その写真部が、デジタルじゃなくてアナログの写真部で。フィルムで焼いて、現像液に浸して、暗室作って焼いてっていう。まったく経験がなかったから、技術とか上達の喜びが大きかったかな。

——目の当たりにすると感動しますよね、アナログの焼き方って。でもアレですね、アナログとか、質感みたいなのも一つキーワードかもしれないですね。油絵の話とか、工作の話と少し通じるところがあるというか。あとは道具への関心も共通してますね。知らないものを使いこなす喜びというか。
そういう出会いも含め、高二からは転換期を迎える感じだと思うんですが、クラスにも徐々に友達ができる感じでしょうか?

そうだね。高一の時は休み時間も机に突っ伏してるような感じだったけど。高二からは、写真部の部室で弁当食べたりもするようになって。

——やっぱり写真部が救いのコミュニティだったんですね。

そうだね。雰囲気が楽しいし、個性派というか面白い子が多くて。

——そういう人たちに囲まれて、人への興味はその前よりちょっと強くなりますか?

そうね。よく一緒にいた男子3人のグループがあって、そのうち一人はアイドルオタクで、彼が部室でギター弾いてたのが俺が音楽はじめるきっかけになったりしてて。もう一人は政治とか経済の話ばっかりしてるような。一個上の先輩はめっちゃアニメオタクで。同級生の女子に、陸上部と兼部とか、美術部と兼部とかもいて。ごちゃ混ぜ感が面白かったな。

——ながいさんから出てくる人との関わりの話は、基本的に一対一より群像劇ですね。自由帳に漫画を書いてたところから始まり。「こいつがこの時さ〜」っていう話よりは、群像劇の中にいるエピソードが多いというか。

そうかも!そうか、これが表現者たちの伏線か笑

——(笑)その辺りの人との関わり方が、極めてバンド的だなというか。そのコミュニティで自分がどうありたいかっていうのを無意識に考えて立ち回ってたところが少なからずある気がしていて。そのコミュニティの中ではどういうキャラだったんですか?ツッコミかボケでいうとどうですか?

ボケかな。それまでの流れもあって、すごく明るくはないし、すげー喋るタイプでもないから。でも多分ちょっとズレてるというか、周りからするとそう感じられる部分もあったのかなと思ってて。

——普通に過ごしてるつもりでもつっこまれちゃう…みたいな。
徐々に将来どうしよう的になところも出てくる時期だと思いますけど、進路選択としては文系になりますか?

そうだね。文系科目が得意だっていう傾向が強くなっていく感じ。英語はどんどん強くなっていくし。

——数学はどんどん弱くなっていくし笑

そう。高校に入るまではある程度頑張ってたから数学もなんとかなるんじゃない、って始めたところ、そうはいかず。高一時点で一回進級もやばいんじゃないみたいなところまで一回行ってて。友達もいなければ勉強もできないみたいな状態だった笑。だから地盤が弱いまま行ってしまったのも影響としてはあると思うんだけど。

——時期というか、クラスに友達いない問題も影響してっていう感じですね。
この辺りで、いわゆる反抗期ってありました?

反抗期はなかったかな、親とバチバチみたいなのはなくて。

——妹さんとの関係はどうでした?

小学校の時とかは仲よかったね。年近いのもあって、喧嘩は絶えなかったけど。でも、思春期に入って、接する機会がどんどん減っていって。

——なるほど。家族ではありますけどその一員とよりかは、あくまでそれぞれ一人の人間って認識が強いですかね?

そうだね。親も割と放任主義だったから、「やりたきゃやれば」だし。縛られはしなかった。

——そこもやっぱり、一人でいる強さはありますよね。

一人でいられるようにできちゃったのもあるのかな。

——それゆえに、あまりにコミュニティが大きくなると、立ち位置が測りにくいのかもしれないですね。個人的には、小学校の時とかって、クラスをクラスって認識じゃあんまりないかなと思ってて。「どこどこの組はこうで〜」みたいな話って中高になってからが多いというか。小学校のうちは、「仲良い人の集まりが何個かあって、同じ部屋で過ごしてる」みたいな認識だと思ってて。その後人格形成できてくると、徐々にクラスが30〜40人一括りみたいな感じで見えると思うんですよ。その中でながいさんは、それまでは群像劇の一員としてご自身の立ち位置を見つけてきてたから、認識してるコミュニティがあまりに大きくなった時に、テリトリーの作り方わからなかったのかな、っていうのはちょっと思いました。「あいつもいてあいつもいて」っていう状況の中で知らず知らずのうちに隙間を見つけてたところはあるのかなと。周りから声をかけてもらうことによって、徐々に自分の居場所が縁取られていくというか。写真部も「声かけられて」始まってますし。

う〜ん。すげ〜!こんな浮き彫りになるんだ。

——(笑)じゃあ高3は激動ですね。

うん、すごいね。初めてステージに立ったのも高3だし。

将来の夢っていうのが本当になくて。何にもなりたくないというか、イメージが持てないというか。だから当然いきたい大学もないし

——お、いよいよ音楽の始まり!ギターを弾いてた彼が絡んできますか?

直接は絡んでこないんだけど。ちょっと遡るんだけど、高一の時に、今までにやったことない何かをやらなきゃいけないと思ったのよ。

——現状を打破するためにというか。

そう。その時に目についたのが彼のギターで。でもギター弦多いし、難しそうだったからベース、みたいな。

——ステージは文化祭とかですか?

いや、#9っていうライブハウスで。その時に組んでたバンドはギター部と兼部してた彼じゃなくて。最初ベース買ったよっていう時は、彼とじゃあやるか!みたいになってたんだけど、そのバンドが自然消滅しちゃって。ベース買ったのが、震災の時だったから、避難先にベースが届いたんだけど。そっから12月ぐらいまで、一人で部室で弾いてたりして。そこで幼馴染の長谷川が出てくるんだけど、多分元々やるバンドからメンバーが抜けちゃってみたいな感じだったと思うんだけど。「ながいせんせベースやってるんだったら、弾いてくんないかな」って呼ばれていったバンドで、ライブハウスに出ることになる。

——どうでした?初ライブ。

楽しかったと思う。全く新しい体験だったし、「俺はそういう場所に立つ人間じゃない」と思ってたから。それをやる前に、写真部の中で、後に付き合うことになる女の子がいるんだけど、その子に#9にお客さんとして連れていってもらったことがあって。その時ライブハウス初めて来たから、暗いし煙いし、ステージも大きいし、どっちかっていうと怖い印象があって。逆に「俺そこに立ってるよいま!」っていうのも余計にっ感じて。それがすごい強烈だったな。

——そこもやっぱり、「声かけられて」始まるんですね。

そう。本当にだから、良い言い方をすれば、人に生かされてるなと思う。

——なるほど〜。じゃあ時期的にもライブの回数はそんなに多くないですか?

そうだね、ちょうどみんなが受験勉強本格化する時だったから。初ライブが高3の7月で、11月ぐらいまではやってたけど、そこで一旦受験終わったらまたやろうなってなったかな。

——受験って、何を持ってどういう選択をしていきます?

将来の夢っていうのが本当になくて。何にもなりたくないというか、イメージが持てないというか。だから当然いきたい大学もないし。強いていうなら、親を安心させたいとかそっちの方が強くて。バンドも組んでたメンバーが、「どうやら県内でなんとかしそうだな」っていうのがあったから、だから俺も県外に行かずに県内で何とかしてみようかなっていう。

——また、そこに積極的な理由はない感じなんですね。じゃあいよいよ大学生からひいては現代っていうところを伺っていこうと思います。クラスももう無くなっていくので、このあたりの話はまず、音楽との付き合い方を中心に伺っていこうと思うんですが、バンドってその後どうなります?

4人中3人は確かに、結局みんな福大にいったんだけど。ボーカルが、その年の秋から就職で東京に行っちゃって。そこで一回そのバンドは終わるのね。その活動してたっていうのもあり、(サークルの中でも)どっちかっていうと楽器は心得がある方だった。そしてそのサークルで、じゅんじゅわと出会い。その前のバンドが終わったタイミングで、じゃあこっちで一緒にやらないかっていうので加わり。

——おお〜〜〜!それは、声かけたんですか?かけられスタートなんですか?

掛けられスタートだね。

——(笑)ちょっとな〜できすぎてるな〜ストーリーとしてできすぎてる笑。
やっぱそうなんですね。zanpanにつながる布石になっていくという。今現在まで続くバンドのフロントマンとの出会いになるわけですけど、当時の印象ってどうでした?

当時は、えーっとね…確かパーマかけてたんだよね。茶髪で、服装もちょっとなんか柄物とかで、「めっちゃ大学生って感じだな〜、でもなんかどっちかっていうと近い種類の人間なんだろうな」っていう風に感じてて。それで仲良くなってったかな。音楽の趣味も合ったから。バンプとかアジカンとか。後はバンドやりたかったし。(自分は)前のバンドがなくなることがすごい嫌で。

——それは、求めてたものとしては、バンドがしたいなのか、仲良しグループに属していたいなのかでいうとどっちですか?

バンドメンバーに対する思い入れっていう方が強かったね。でも新しく組んでみたら、結果的に楽しかったから。

——「バンドすること自体も好きだったんだな俺」っていう。当時のバンドの中での役割ってどうでした?

比較的、曲を作るってこともできるようになっていってたから。zanpanの一番最初の曲、それこそ今はもうお蔵(入り)の曲があるんだけど。その曲のドラムは確か俺が作ったかな。

——じゃあアレンジもしていて。その中で、時には意見がぶつかったりもします?

主として自分が曲を作るって経験はないから、やっぱり。コンポーザーのじゅんじゅわの方が立場的には上というか、優先順位は高いから。「お前がそう思うならそう」っていう感じかな。それに準拠した形の中で、自分が納得できるものを探すというか。それは今もそうだし。

——リスペクトしてるからこそ、役割分担的にそういう立ち位置になるというか。その中で、サークルの中での人間関係はどうでした?

例によって、ここでもめちゃくちゃ目立つ人間ではなかったんだけど。比較的(ベース)弾けるよねっていうのはやっぱりあって。自分で何かをポジション見つけるとか、キャラを獲得していくって感じではなかった。

——なんかやっぱり、コミュニティにすでにいる人に規定されて、立場を見つけていくっていうのはここでも一貫してますね。

後はそれが全体的に自分の礎になっていけばいいなと思ってる。漠然としているけど。

——では最後に、現代編に入っていくにあたり、バンドとしての表現と、永井さん個人の表現があるうちの後者のお話もしておきたくて。中高はそんなに積極的にしてはいなかったってことでしたけど、永井さん個人としての表現はいつからどういう形で始まるんですか?

今思うと自分がブランド的に名前をつけてやった活動としては、最初はzanpanのMVになるかな。その時は「もしかしたらこれできるかも」みたいな感じで。「試しにやってもいい?」っていう。

——カメラ周りの知識が少なからず写真部経験の中であっての発信って感じですか?

そうだね。まわりに映像ができる人もいたけど、大学生の金銭状態で頼めるものじゃなかったし。そして、それに関しては積極性を持ってやってて。

——自給自足で作れるかもっていう。

そう。単純に興味もあったと思うし。

——のちにそれが拡張してデザインになっていくっていう。そっちの方も、順当な流れで、バンドのアートワーク、俺がやってもいい?みたいな感じだったんですか?

それもそういう感じだったかな。それこそ、MVを撮ったときのアルバムのアートワークを担当して。映像にリンクしたものを作っていこうっていう。

——そこは自分で手を挙げてるんですね〜。ここはキーワードかなっていう気がしていて。今永井さんインタビュー通して「声かけてる」じゃないですか。その姿は、「ながいせんせ」という人格であり、それ以前の人生にはなかった部分だと思いますし。何にも縁取られてない表現だなという。誰に規定されたわけでもない表現が今始まってるんだなっていう。そして元々の自身のモチベーションとしては、「自分のやりたいようにやれる」っていうのがあって。その二つの重なるところが、ながいせんせという活動なのかなという。

すげ〜。見事すぎる笑

——いやいや笑。ちょっとまとめ早かったですけど。そして、バンドから切り離した活動も始まるわけですけど、そこの一番初めってどこですか?

MV作ったのと同時期から、自分で打ち込みで作った音源とかをTumblrに載っけてたことがあって、それが1番はじめかな。

——それってどういうテーマで作ることが多かってですか?

明確なテーマ性をもってではなかったんだよね。GarageBand(音楽制作アプリ)を使うことの楽しさの延長上作曲してた感じだった。インストだったし。

——そこもカスタマイズ性というか、道具をうまく使いたいって話なんですね。ひいてはそれが一人でいる喜び?

も、あるんだろうねぇ。

——群像劇としてのバンドがあって、そこに居場所があるからこそここでどっちも立ち昇ってくるということですね。面白いなぁ。
そしてその後に文章での表現が始まると。noteやるきっかけとしては何だったんですか?

一番最初の投稿って、作ったmvの裏話だったり、noteって音もアップできるから、Tumblrから持ってきてあげてたのもあるし。その二つかな。

——そこから、自分で思ってることを発信するというか、アクティブなオタクになるのっていつからなんですか?もしかしたら、って今思ってるのは、「note」って道具を、自分の思うように使いこなしたいっていう気持ちもどこかにはあったのかなって思っていて。

それもあるだろうね。これは初めて人に話すけど、いわゆるその自分の名前ではない名義で、アカウントを一個作って、そこでなんか文章を書いてたことがあって。それを誰にいうでもなかったんだけど、そういうことはしていて。大学以降の活動の中で並行して、文章は書いてた。明確な動機とか目的があったわけじゃないんだけど。そういう書き出す場所を一個作ってて。

——大学以降コミュニティの中で報われ始めるからこそ、逆に今度は一人の時間が必要だったのかもしれないですね。個人としての。パーソナルスペースはずっと犯されてないなと思いますし。バンドってすごい密な繋がりだし、ことサークルってなったらすごく密なつながりになりやすいと思うんですけど。それができたからこそ、一旦自分から切り離して一人になれる人格を作ろうみたいなところもあるのかなと。勝手な推察ですけど笑

なるほど。声をかけられて成り立ってきた人間だから、贅沢な(悩みの)ような気もするけどね。

——でもどっちも大事だったんじゃないですか?他人に輪郭が縁取られることで居場所を得ていく感覚と、その形を自分でも解りたいっていう気持ちとどっちもあって。ゆえにかなぁ、というのはお話聞きながら思いました。

確かに自分一人の時間のっていうのは絶対必要なタイプの時間の人間だし、そういう自分の領域みたいな意識が人より若干強めな人間だと思うし。

——どっちもやっぱりあるんですね。では、時間もそろそろなので、ここまでを踏まえてFlagmentのこれからっていうところを聞いて終わっていければと思うんですが。
これまでずっと声掛けられて始まってきた永井さんが新たに始めた、一人の時間というところと、自分のやりたいように道具を使いこなす、っていうところとリンクした存在としての「ながいせんせ」という表現。その一つとしてのインタビュアー活動の中で、「声をかける側」に回っている。っていう状況の中で、これからFlagmentってものが、書籍化して一つパッケージ化という夢を叶えて、やりたいことってなんですか?

可能な限り、今の投稿は続けたいと思っていて。受身スタートの人間なので、話を聞く人のつてがなくなってしまうという恐れはあるんだけど、まだ聞けてない人はいるし。それ自体は続けていきたい。それをずっと続けつつ、別の形、それこそ動画とかになってくるのかもしれないけど。(この企画に)枝葉をつけていきたい。後はそれが全体的に自分の礎になっていけばいいなと思ってる。漠然としているけど。

——いろんな人に話を聞いた経験そのものとか、これをまとめて文章化して発信して来たことそのものとかが、自分の礎になればってことですね。これから「Flagment」って企画自体も、永井さんの道具の一つとして、ハックされてくのかもしれないですね。

かもねぇ。その気持ちは正直あって。儲けるためのものでもないし、投げ銭も全部還元しますって言ってるし。自分の道具って認識は確かにあって。

——あの頃工作で作っていた武器の一つのように、これからどんどん手を変え品を変えで、カスタマイズされていくのを見守っていく一人の人間として、

うわ〜!すげ〜!繋がってる〜〜!!

——(笑)お話伺えてよかったなと思います。ありがとうございました。

俺こんな綺麗なインタビューしたことないよ笑 インタビューってこうやるんだ笑

——いや、半分僕のこじつけなんですけど笑 これを読んでるみなさんも、今後のFlagmentがどう繰り出されるか楽しみだと思います。新井も楽しみに待ちます!


永井慎之介(ながい・しんのすけ)
1994年10月9日生まれ。福島県出身。
郡山市を拠点に活動するバンドzanpanのベーシスト。
個人クリエイションブランドSpiderwow Works代表。
不定期的にシンガーソングライターとしても活動。
趣味は読書、特撮ヒーロー、ラジオ、アニメ、K-POPなど。

記事に頂いたサポートは、全額をその記事の語り手の方へお渡しさせて頂きます。