【前編】自分自身、そして仲間に恥じない音楽を。8年の節目に振り返るじゅんじゅわの半生
迷い、挫折、それでも恵まれていた8年間
——…フッ(笑)。
フフッ(笑)。
——名前変わる前はさ、結構バンドの意思決定会議みたいな感じで二人だけ喋ってたりしたけど……それ以来ぐらいぶりじゃない(二人で話すのは)?
確かに。もうほぼ事件もないからね。
——そして、この記事自体がちょうど11月に上がるから、結成8周年にちょうどあたる時期で。
この間誰かと話したんだけど、星がついてた時期(THE☆N☆PAN)が3年半で、名前変わってから4年半経ってんの。
あ、そんなに? 星の時の方が長い気がしてた。改名してからのほうが長いんだ。追い越してたんだね。
——っていうところで、8年を迎えて……まずはいかがですか(笑)。
ははは(笑)。いやでも、そんなに経ってる気はしないよね。本当にそれこそ星時代は、どっちかというと何もわからずやってた時期というか。バンドやりたくて、バンドが楽しくて。周りの人からのアドバイスとか聞いて、周りの人がやってることを見て……それこそ知る権利とか、シャープナインの人たちとか。手探りでやってた時期だから、ちゃんとやってたっていう感じはしなかったかも。
——勉強期間みたいな。
そうそうそう。ほんとに。楽しくてやってたというか、そこまで目標もなく。
——それがだんだん……。
変わったのってそれこそ大学卒業する時期だったじゃん。卒業してほんとに、新社会人一発目くらいで改名したんだよ。
そのタイミングになって、やっとようやく「バンドって自分にとってどうなんだろう」ってなことをちゃんと考え始めた。自分が社会に投げ出される時に、バンドって続けたいのかな、ってことを考えて、で「やっぱちゃんとバンドで評価されたいのかもしれない」ってのを思い始めて、「じゃあ星だとダメじゃね?」みたいな(笑)。
そっから改名して……意外と改名してからの方があっという間だったかも。
——それはあるね。
うん本当に。(改名後は)ちゃんと目標を掲げて一個一個やっていったわけじゃない。だからそっからの方があっという間だったと思う。だって本当わかんなかったもん、4年半経ってるなんて。
——星の時って結構、苦労も多かったしね。やってて辛い時もあった。
そうそう。星時代はどうやってメンバーとうまくやっていくかってのも分からなかったから、手探りすぎて。
——この8年で特に印象に残っているというか、パッと思い出せることってある?
それこそオーディションじゃない? バンド人生において一番の成功体験っていうか。改名してすぐ録った『ロックンロールとは/最低な日常』のシングルで(応募して)。
だからそん時って、ちゃんと自分らで狙ってったことが上手くいってた時期というか。それまで適当にやってたこともちゃんとしようってなって、ちゃんとした音源作ったし、ちゃんとしたMVも作ったし、ちゃんと世間に認知される動きをしようっていうのをやって、「そのためにオーディションを受けてみよう、ちゃんと」っていうのもあって。
全部自分らでやってたじゃん。その狙ってたことが全部うまくいって、ちゃんと音楽に精通してる人に評価されたことがデカかったかなって。俺らがやっていることはそういう人にも聞いてもらえるんだっていうことがわかったし。
——具体的な成果にはならなかったけど、貰ったものは結構色々あったよね。
最終的には全部落ちたんだけど(笑)。でもいいとこまで行ったって事実が自分の自信にもなったし、それきっかけで東京のライブも増えていったし、ある意味バンドの寿命が延びるきっかけだったのかなっていうのは……今も続けていられるのはそれがあったからなのかなあというのは感じますね。
——挫折といえば挫折だけど。
挫折といえば挫折なんだよね。だから失敗体験でもあるんだけど、その挫折があるから諦められないってのもあるし、その成功があったからまた評価してもらえるんじゃないかっていう、期待とか希望がある要因でもあるというか。未だにちょっと指標になっている出来事ではあるかもしれませんね。
一番はそれかな。まああとはレイガンの脱退やな。
——うん(笑)。
レイガンの脱退は……なんつうんだろうなあ。ある意味これもバンドが長く続いた要因でもあったというか。レイガンがそれまで遠距離で……レイガンが東京に住んでて、他はこっちに住んでて、それでも4人でやりたかったから、なんとかなんとかやってたけども、レイガンが結婚する、子供ができるってなって。まあ正直めちゃめちゃ悩んで、どうするかっていうのを。
でもそこで(バンドそのものを)やめなかったことを……まあそこでやめるっていう選択肢もあったけど。レイガンはめちゃめちゃ長いことやってたメンバーでもあったし。でも3人でもバンドを続けてみようかなって思って、やってみて、なんかまあ「結構好きだったんだな」ってことに改めて気づいたっていうか。
まあでもねえ……あそこはめちゃめちゃ悩んだ時期でもあった。
——結成以来ずっと4人だったものを3人にするってのはかなり迷ったよね。
でも結果的に3人でやるようになって、3人の状態を「いいね」って言ってくれる人がすごいいたから。「やろうと思ってやれないことはないんだな」っていうのをすごい感じた。ほんと何あるか分かんないけど何とかなるんじゃねえかな、って気持ちにさせてくれた出来事ではありましたね。
——最終的にうまいことやったのは自分たちなんだろうけど、「いいじゃん」と言ってくれた人に生かされた部分ってのはあった。
それはあるね。正直周りに恵まれていたってのはすごいある。
スリーピースとしての完成を目指して
——3人になってから『レモンサワー』を出し、ワンマンをやり、今回3人になってから2枚目のアルバム『若者のいちぶ』を出したわけですけど。
『レモンサワー』を出した時って、それこそレイガンが脱退するってなって。その『レモンサワー』の時に作ってた曲って、元々4人でやろうとして作ってた曲も結構多くて。それでもなんとか3人でできる形にして、「これから3人でやっていきますよ」っていう、名刺代わりじゃないけども、「これがスリーピースでやっていこうとしているzanpanですよ」っていうのを、かなり急ピッチで作った。だから4曲入りっていう結構中途半端な感じにはなっちゃったけど……。
『レモンサワー』はだから、言っちゃえば正直ちょっと中途半端な一枚だったっていうのが個人的にはあって。4人から3人に移行するその微妙な時期の一枚っていう。だから俺的には『レモンサワー』は完全なスリーピースバンドとしての完成ではなかったと思って。それでも満足はしてるんだけど。かなり。
で、ツアー回って。次に「アルバムは出したい」っていうのはあって。『若者』は、『レモンサワー』の時にできなかった「完全なスリーピースとしての音源」を作りたいと思ってて。
——作曲段階からってこと?
そうそう。『レモンサワー』聞いてもらえばわかるんだけど、ライブで再現できないことを結構やってて。『若者』はライブで出来る曲しか入れないようにしたい、そういうアレンジで作りたいっていうのはすごいこだわって作った。言っちゃえば『若者』がほんとに、スリーピースとしてちゃんと完成されたものになったかなというところはありますね。そういうところもちょっと、聞いていただきたいなと。
——できることとやりたいことを合致させる形で作曲するってなった時に、うちらは完成されたものだけを聞いてるわけだけど、出来上がるまでに「これはちょっと大変だったな」みたいなのってあったりした?
大変だったのは……う〜んまあ全部大変だったんだけど。正直アレンジとかそういうところはあんまり苦労しなかった。曲をゼロから作る段階で……てかそれまでって結構、曲作ってみんなに投げて、投げたものはだいたいやってたじゃん、ほぼほぼ。でも『若者』作る段階の時ってめちゃめちゃボツがあったの。俺の中でボツにしたのもめちゃめちゃあったし、みんなに投げてアレンジしたやつでもボツにしたのもあった。
——うん。記憶にあります。
それまでって結構そういうことなかったじゃん。あったことはあったけど。だから7曲入りミニアルバムを作るってなって、10曲にしようと思えばできたんだけど……フルアルバム的な。でも無駄な曲を入れたくなかった。だれる曲を。後で自分で聞いて「これ要らなかったな」ってなるような曲を入れたくなくてっていう。それをめちゃくちゃ苦労したのはあるかな。捨て曲じゃないけど、そういうのがないような、全曲おもろい曲にしたいっていうこだわりがすごいあって。
あと、これ打ち上げとかではすごい話した話だと思うんだけど、それまでのzanpanって結構……細かい話なんだけど、ある意味ちょっと美味しいところが似ている曲が多かったというか、それこそテンポ感だったりとか、メロディの気持ちいいところだったりとか。俺が歌ってて気持ちいいところを無意識的に多めに作ってたところがあって。
だから『若者』で圧倒的に前のと違うっていうのは、そういう曲のバリエーションがすごい増えたっていう。『若者』は結構、一曲一曲違う曲にしたいっていうこだわりがあって、そこはめちゃめちゃ考えた。
——バリエーションを増やすとともに、曲を厳選する力みたいなのも多分ついたんだろうね。
逆に今めっちゃ辛いってのもあるけどね。『若者』めちゃめちゃ頑張って作ってしまったがために、今度はそのこだわりを越えてかなきゃいけないのかっていう段階だから、今。
——頑張ってください。
は、はい〜。
中学生で「完全に闇堕ちした」
——パーソナルな部分も聞いていきたいんだけど……あの家で、生まれたの?
ああ、もう生まれてこのかたずっとあの家にいますね。大学の時は一旦福島市に住んでたこともあったけど、あの家に住んでます。
——自分で言うのはなかなか難しいかもしれないけど、幼少期はどんな感じの子供だった?
幼少期ねえ……いやでもマジで、俺小学校くらいまでめちゃめちゃ、クラスの中心的な男だったの、自分で言うのもアレだけど。結構、陽キャ的な。
小学校の時ってさ、だいたい足速え奴が人気者になるというか、スポーツとか、そこが結構重要視されている時代じゃん。
——ドッジボールとかね。
そうそう。で俺はそういうのめちゃめちゃダメで。スポーツが全くできなくて。っていうのがあったんだけども、違うところで、面白い話ができるとか、そういうキャラクター的なところでなんとか「中心でいたい」っていう気持ちがあったの。
——あ、能動的にやってたんだ。
そう。なんか「クラスの中心でいたい」っていう気持ちがあって。色々頑張ってはいたんだけど、それこそ足速い人たち、スポーツができる人たちとも仲良いし、逆にちょっと、絵描くのが上手いみたいな人とも仲良いしみたいな。何つうんだろう、そういうクラスの回し的なね、まあ、陽キャだったわけですよ。
そっからなんか、中学生で完全に闇堕ちしたんだけど。
中学校って、絶対部活に入んなきゃいけないって感じあるじゃん。そっからまあ、一応クラスもあるけど、結構部活が大きいコミュニティになって、クラスが全てではなくなって。そのせいで野球部とかサッカー部とかが部活でのコミュニティを持っていて、そこでめちゃめちゃ仲良くて。
俺は吹奏楽部に入ってて。学校のそういうのって、やっぱ野球部とかサッカー部とかがクラスの中心になりやすいというか、ね、あるじゃん。その(クラス内での)部活のコミュニティが、野球部は野球部ですごい仲良いし、サッカー部はサッカー部で仲良いしみたいな。そこに割って入ることはやっぱできないじゃん。んで小学校の時に仲良かったそういう人たちともめちゃめちゃ疎遠になって。吹奏楽部は吹奏楽部で楽しかったけど、そういう音楽的なところで、逆にその、内に内にって行くようになって。
小学校まではみんなと仲良くしようっていう気持ちがすごい強かったんだけど、なんかもう頑張ってもしゃあないから、友達はほんとに、仲良いやつだけでいいやみたいなところにシフトしていった時期というか。
——クラスでもじゃあ……?
クラスでもまあ、喋んないことはなかったけど、でもそんな率先して「おいお前〜」みたいな感じの、人気者的なところになろうとはしなくなっていって。そっからだんだん……今の闇の性格が(笑)形成されていった感じがすごいある。中学高校っていうのは。
——なんかでも、嫌な時期があったりしたわけではなかったんでしょ。無茶苦茶孤独だったとかではなく。
めちゃくちゃ孤独だったっていうわけではない。友達はいたし。でもまあ、羨ましかったっていう気持ちはすごいあった。中学高校とかは特に。
めちゃくちゃパーソナルな話をすると、中学の時に好きだった女の子がいて、その子とずっと仲良いと思ってたから「そろそろ行けんじゃねえか…?」みたいな雰囲気を感じてたんだけど、いつの間にかサッカー部と付き合ってたみたいな。
——わあ〜。
オイ!っていう(笑)。こんなに俺が徐々に徐々に頑張っていって、徐々に徐々に距離を詰めていったところを、スクールカーストが上っていうだけで秒で奪われてしまう。そういうなんか、「ああやっぱ結局、そういうとこなのね」っていうところで、めちゃめちゃ闇堕ちしていったっていう。
——無力感っていうか。
そうそう。「結局お前野球部か〜い」っていうのが学生時代すごい多くて。それこそ中学高校くらいの時。でもそういう……これ別に音楽に繋がるような話ではないんだけど、そっから内に入るような性格になっていったような感じはすごいする。多分小学校ぐらいまでそんなに人見知りしなかったと思うし、中学高校くらいですごい内向きな性格になっていったんだなっていう。
——カーストみたいなものが目に見えて感じ取れた瞬間があって。
だから多分ながいせんせとかめっちゃわかると思うんだけど、俺ってファーストコンタクトがめっちゃ苦手で。ほんとに初対面の人と喋るっていうのが苦手になっちゃって、なんだけど、俺「こいついけるな」とか「仲良くなれるな」って思った人には結構ガンガンいける性格なの。だからそれは、その性格になったのってこの時期なのかもって。
小学校の頃に培われていた回しの能力と、中学高校の時に闇堕ちしたところがなんか、うまい具合にぐにゃってなって。会話をうまく回す能力はあるんだけども、失ってはないんだけども、変なところでブレーキがかかるようになっちゃってるというか(笑)。っていう性格になっちゃったっていうのは結構、ありますね。学生時代に。
——俺はじゅんじゅわより酷いから……
でしょうね(笑)。
——(笑)。だからあれなんだけど、気持ちはよくわかる。(相手との間に)分厚い壁が一枚あって、それを覗こう、とすらしない時もあるし。
そうそうそう。
——大丈夫だって思ったら話せはするんだけど、みたいなね。その壁が見えるようになっちゃったのが、中学高校なのかな。
中学校の時にめちゃめちゃ壁ができてしまった。「こんなに俺が歩み寄っているのに、貴様……!」っていうのを体験してしまったせいで、誰とでもフランクに話せる性格からは遠のいてしまったっていうのはある。
——でもその壁を越えたら能力が復活するっていう。
そうそうそう(笑)。壁を乗り越えるとめちゃめちゃ自由になれるんだけど、なんかね〜。大人になったらその壁がもう全然取れなくなっちゃった。
——高校行っても大学行っても、それは変わらなかった?
変わらなかった。むしろ厚くなっていったところはある、どんどん壁が。だからまあその壁ができてしまったっていうのはありますね、そういう、学生時代に。
吹奏楽が音楽の楽しさを教えてくれた
——吹奏楽部って言ってたけど、それは何か興味があってのことだったの?
元々俺小学校の時からやってて、特設合奏みたいなのがあって。きっかけはめちゃめちゃ些細なことで、俺って喘息だったの、小児喘息みたいな。肺が弱いってのがあって、母ちゃんから「あんた吹奏楽部とかなんか、いっぱい肺使うから、やったらいいんでないの」みたいな(笑)こと言われて「じゃあやってみっかな」っつって始めたのが本当に最初の最初で。
だからそれこそ小学校の時ってオープンな性格だったから、いろんなものに手出してみたいなっていうのがあって、スポーツもやってたし、ソフトボールもスポーツ少年団入ってて、スイミングもやってて、合奏部もやってて……で多分英語も習ってたんだよ。
——マジで色々やってたんだ。
いろんなことに興味がある時期で。いやでも小学校のその時期が結構転期ではあって。小学校でソフトボールやってて、やっぱ試合には9人しか出れないわけよ。9人のレギュラーメンバーに俺、小学校四年から六年まで3年間やってて一回もレギュラーになれなかったの。結構毎週欠かさず通ってたのに。まあ普通に人数が多かったってのもあるけど。だから「この小さな街のスポ少でレギュラーになれなかったらこれ、先続けても意味ないでしょ」って、偉そうなんですけど小学校ながらにちょっと悟って。
——でも悟れたんだね。
そうそうそう。だからそういう意味では吹奏楽を小学校の時にやった時は結構、トランペットやってて、トップかその下くらいにずっといたんだよ。教える側になれたというか。音楽を。何でここがこうなってるのかってのもすぐ分かったし、音がここはどうズレてるってのも結構すぐ分かって。だから俺こっちの方が……なんつうんだろう……ちょっとの努力でうまいこと事が進む方だった。才能かどうかわからないけど。
——スポ少よりは。
スポ少は頑張っても頑張ってもレギュラーにはなれなかったけれども、吹奏楽をやったらなんかちょっと、ぺぺぺってやっただけで、ああなんか人よりはできるなっていう分野だったの。
——仕事とかでも結構あるよね。この業種だとめっちゃスイスイ飲み込めるけど、ダメな業種はいつまでやってもダメみたいな。
そうそうそう。っていうのを小学校の時に思って、「ああ俺スポーツじゃなくて音楽の方だな」っていうのをすごい、そこでめちゃめちゃ分かれたというか。そっから吹奏楽を始めて、んでそん時にやっぱ悟ったわけで、中学校に進んで「俺はスポーツはやらない方がいいだろう」って思って吹奏楽を始めて。そん時もずっとトランペットやってて……まああの、小さい中学校の話ではあるんだけど一年から俺大会に出てたのよ。だからなかなか結構音楽っていう分野では自分が輝けたというか。っていうのがあって音楽にのめり込む要因にはすごいなった。吹奏楽っていうのは。
——そっからじゃあ続けていくモチベーションにも。
続けていこうと。音楽は多分この後の人生でも俺はずっとやっていくだろうっていう要因になったのがほんと吹奏楽だった。
——トランペットだっけ。
トランペット。まあ辞めるんですけど、結局(笑)。
その先の話をするとしたら、中学校の時に吹奏楽やってて、その吹奏楽が、もうねえ、練習が辛かったのよ。練習が本当に辛くて。しかもなんかその、吹奏楽部とか、学校によるかもしれないけど結構女子社会で。女の子がやっぱ多くて、大会の前とかになると「なんで練習しないの!」みたいな。「みんなやろうよお……!」みたいな。絶対になんかいざこざが起きて、誰かが泣き始めるみたいな、それがめっちゃきつくて。
——それは、技術的な辛さよりも?
技術的な辛さはなかったかな。曲をやる分にはすごく楽しかったから。でもなんかその、そういう大きい団体にいるのが辛かったのかもしんない。女子だからっていうのではなく、もっと自由に音楽がやりたかったっていうのがあって、大きい団体でやっていく楽しさもあったんだろうけど、なんか辛いな〜っていう気持ちの方が強くなって。高校入った時には吹奏楽辞めようと思って、それで軽音楽部があったわけですよ。んで吹奏楽は辞めたけど音楽は続けていきたいな〜っていうのはあって。
中学校の時に一回なんか有志みたいなのでバンドをやった事があって、でもそれも本当に適当にやったやつだったんだけど。だいたいいるじゃん、クラスに一人くらい、ギターできる奴。そういう奴がやりたいって言い始めて、俺は吹奏楽部で「音楽がわかる奴」っていう認識をされてた。んでドラムも吹奏楽部に絶対一人やる奴いるのね。それを駆り出されて、でベースがいないってなって。で(言い出しっぺの)こいつもよくベースのことわかってないと。「じゃあお前ベース、わかんないけどやってよ」みたいなこと言われて、そいつの知り合いからベースを借りて適当にやってみたいな感じで、一回だけバンドをやった事があった。
そん時スピッツの『チェリー』とかやってたんだけど、それがなんか思いのほか楽しかったなっていう記憶があって、その体験があって高校生になって「なんかじゃあ軽音楽部入ってみようかなあ」ってなって。
——面白いのがさ、バンドキャリアの一番最初がベースだったっていう。
(笑)。でもね、本当に何もわかってなかった。それこそコードなんてわかってなかったし、雰囲気で、なんかこの音鳴ってるから多分これだろ、みたいな感じで適当にやってた。
なんで(現在は)ギターになったかっていうと、ベースをその時弾いてて、でギターやってる奴いて、なんかギター楽しそうだなっていう(笑)。でなんかギターやろうって思って、高校に入って初めてちゃんとギターを弾き始めた。
——体感としてベースよりも肌に合った感じ?
あーでもね、正直最初は全然ギターは楽しくなかった。弾けるまですごい時間がかかったから。一年ぐらいやってようやく曲ができるようになってからすごい楽しくなっていったみたいなのはあるなあ。
シンさんとの出会い、そしてTHE☆N☆PANへ
——色々イベントとかも、軽音で。
そう。高校生の時はすごいバンドの楽しさを知った時期ではあったなあ。入学して軽音部に入って、とりあえずバンド組むことになるんだけど、俺一番最初に組んだバンドがすぐおじゃんになっちゃったんだよ。そのバンドで俺、歌もなくギターだったの、普通に。んでおじゃんになって半年くらい……軽音部ってバンドがないと活動できないから、いやどうしようみたいな感じでやってたんだけども……いやこれほんとね、漫画みたいな話なんですけど。
ある日放課後部活もやれないからフラフラしてて。教室の、後ろにも黒板あるじゃん。それになんかみんな自由に描いたりしてるじゃん、色々と。その中に「BUMP OF CHICKENのコピーバンドのボーカル募集」みたいなこと書いてあって「お?」みたいなこと思って(笑)。んで、いやでもボーカルでもいいからちょっとやりたいなあと思って。そこに入れてもらったんだよ、結局。そこでバンプのコピーとかアジカンのコピーとかやり始めて。うん。なんかそこですごいバンド楽しいなってなったのはあるし。
またね、これスクールカーストの話になるんですけれども(笑)。軽音楽部で、俺らの代から特にだったんだけど、アニメの『けいおん!』ブームがあってすごい人数が多くて、だから元々中学校くらいからギターとかやってて元々うまい、もう、すぐライブとかできる組と、まあ俺も高校から始めたし、バンプのコピバンやってたみんなも高校から始めた組で、明確にグループができちゃってたんだよ。うまい組・下手組みたいな感じで。
——「俺ら経験者だから」。
そう。でやっぱ結局うまい組が派閥を占領するわけで。結構肩身が狭かったというか、曲も1、2曲しかできないし。
んで、すごい思い出なのが、文化祭がありますと。文化祭に出れる枠が、多分俺らの学年は3バンドしか出れませんってなって。バンドはめっちゃいたから、それでオーディションをしますみたいな感じになって。俺ら2年生の時で、3年生が見て決めますよっていうのがあって。それに向けて……もうね、ほぼ確で、そのうまい奴らが占領するってわかってたから、「いや〜出たいけどね〜?」みたいな感じだったんだけど、でもそれ、なんとか出ようっつって頑張って練習して。うまい組が1、2位で、俺ら何とか3位に入れたっていうのがあって。そん時に「ああ、頑張ってよかった」みたいな。成功体験。文化祭でね、BUMP OF CHICKENの『アルエ』を……(笑)一曲演奏したあの、今では体験できない、ほぼ1000人ぐらいの前でやったからめちゃめちゃ盛り上がったし。そんときの感動っちゅうか、頑張って枠に入れたっちゅうのは思い出としてすごいあって。
——選ばれた嬉しさとさ、1000人の前で演奏するっていうのを経験したら、やめるわけにいかなくなるよね。
そう、だから、その体験があって結構「ああずっとバンドやりたいな」っていう気持ちにはなったし、その文化祭で演奏した事がその後に繋がってて。いろんな人に見られるわけで、「あいつはバンドをやっててボーカルをやってて歌がうまいらしい」みたいな感じになって、それまでできない組だったのが、うまい組からも一目置かれるようになって、俺たちが。
うまい組たちはそれこそシャープナインとかでライブもやってたわけですよ。それまで俺たちはもうライブハウスでライブするなんて夢にも思ってなかった時期で。その文化祭があって「どうやらこいつらデキるぞ」ってな感じになって、そっから俺がその、うまい組で新しいバンドを組もうみたいな感じになってて、そこに「お前入れよ」みたいな感じでボーカルとして入ったの。そこで初めてシャープナインでライブをして、初めてライブハウスを知った。
——原体験だ。
そうそうそう。シャープナイン初めて行って、今でも覚えてんのが、リハーサルっちゅうのも初めてだったわけで。ドラムから始まってさ、音取ってくわけじゃん。んでドラムが「声ください」って言われた瞬間に俺が「ア、アーアーアー」(笑)。「ああ、すいません君じゃないです」「ああ、すいません」みたいな。そのレベルの(要領のわからなさ)。もうほんと緊張して、何していいかわかんない感じで。そこで……まあね、これもまた漫画みたいな話なんですけど。
——色々あるなあ。
(笑)。うまい組は元々ライブハウスに通ってて、だからライブハウスの人とも仲良くて、楽屋とかいてもしゃべる相手がいるわけですし。ライブが終わった後の清算とかも俺は何していいか分かんないみたいな感じでいて。そん時にまあ、本当にライブハウスに行けたはいいもののすごい孤独で。何やっていいか分かんないしなあ、っていうその、もう結構「怖い場所認定」しそうになってたところで、そん時にライブをやって……。
普通にコピバンだったんだけどそのバンドは。ライブして清算、ライブハウスのブッキングの人とお話をしますっていう時間があるわけじゃないですか。そん時に、シンさん、パイナップル独りウェイで有名なシンさんがブッキングやってた頃に、精算で俺はもう本当に、あっちからしたら知らん奴みたいな感じだったんだけど、シンさんが「いやお前一番よかったよ!」みたいな(笑)。お前音楽めっちゃ好きでしょみたいな。言ってくれて。いやでも音楽めっちゃ好きだったし、っていうのをわかってくれる人がいるんだって思って。
ぶっちゃけ俺はその、楽屋でも誰とも話せないし、他から見たら物静かな奴みたいな、特に印象に残らない奴みたいな感じだったんだけど、そんな感じでも分かってくれる人いるんだみたいな。ってのがあって、そこでなんかちょっとライブハウスすごいところかもしれない、めちゃめちゃ面白いかもしれないっていうきっかけになった出来事でもあった。あの瞬間未だに覚えてるから。泣きそうになるくらい孤独だったから。そん時に、シンさんがある意味認めてくれたってのがあって、結構明確に「自分のバンドをやってみたいかもしれない」っていうのを思った頃ではあって。自分のバンドでこのシャープナインに出てみたいって思って、大学に行ったら自分のバンドを組もうって思った。そっからTHE☆N☆PAN組むっていうところに繋がってくわけですが。
——結構じゃあ進学が県内だったのも、それも一端だったり。
それは結構あると思う。進学するにあたって普通に就職とかも考えてたけど……どういう学部で行くかみたいな。でも音楽を続けられる場所がいいっていうのはすごい頭の中にあって、もしそのシャープナインでの体験がなかったら、福島に残りたいという気持ちがなかったかもしれないってのはある。
普通やっぱ東京とか行ってやりたいっていうのがあるじゃん、若いうちは。でもそのシャープナインでそういうことシンさんに言ってもらって、地元でも面白いライブハウスあるし、ここで認められたいっていう気持ちもあるしみたいなところで、県内の大学に行ったっていうのはめちゃめちゃある。
——シンさん様様だね。
いや本当に。そこはめちゃめちゃ、感謝しきれないっすね。
——で、進学した先で……(メンバーと出会ってく)。
あはは。そうそう。だから大学に行った時から俺はもう自分のバンドを組みたいって気持ちがあったから、サークルに絶対入ろうと思ってたし、ある意味みんなをそういう目で見てたってのはある。「こいつ……いいな」みたいな(笑)。そう、だから、大学は本当バンドやりに行ってたっていうのはある。
——それに適した環境だったしね。
まあまあまあ。
——THE☆N☆PANの最初のライブの時の気持ちとか覚えてる?
ああ、最初のライブはめっちゃ覚えてる。battaと対バンだったってのはすごい覚えてて、それこそ知る権利もいたし。でも気持ち悪いんだけどすごい自信はあったんだよ。やれば絶対にみんな面白いって思ってくれるだろうっていう、若気の至りではあるとは思うんですけど、曲に対する自信もあって。
——やりたいと思ってた気持ちもそれまで蓄積してたしね。
そう、んでもうトッパーで出て、演って。そん時はまだ多分シンさんいたんだよ。それで、シンさんも「いや良かったよ。(バンド名を見て)どんなヤバいのかと思ったけど、すげえいいじゃん」(笑)。一発目だったってのもあるかも知んないけど、褒めてくれて。今聞くとすごい酷いものではあったんだけど、でもバンド始めて最初の方は本当に、やりたかった事ができてたし、新しい発見ばかりですごい楽しかった。始めたては楽しいしかなかった。
——それこそね、一緒にやってた人の凄さみたいな、battaもそうだし。
そうだねえ。最初の一発目もそうだし、最初の半年くらいはすごい楽しかった。楽しさしかなかった。
——LOST IN TIMEとか、鶴とか、そういう人たちにあてがってもらったのもすごい貴重な体験だったよね。
確かに。本当に最初、その頃は多分ちゃんとわかってなかったけど、対バンすごい人たちと演らせてもらえてたんだなってのは振り返るとすごいあるね。
——期待されてたんだろうね。
うん。まあやっぱ新しい、自分らがこういう長く続けてる側に立ってわかるけど、新しくバンドが出てくるってやっぱりすごい嬉しいことなんだろうなっていうのはあるよね。なかなか地方でね、新しいバンドってなかなか出てこない印象があるから。期待していただいてたところはあるんでしょうね。
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