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【後編】会いたい人がいるから、今日がある——しかちゃんが繋いだ人と音のあゆみ

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自分が会いたい人たちと会うために続けたかった

——お休みしてた時の話も聞いていいんですか?

 全然いいよ。
 最後にやったのが、ピークで2DAYSでやった時。

しかロック2020

 本当はそもそもあの日も、シャープナインとピークアクションで1日でやる予定だったんだよね。だけどシャープナインが突然さ、閉店するってなった時あったじゃん。私(開催日)予約してたんだけど、急に萬から電話かかってきて、「しかちゃん、できなくなりました」。半年前に。「俺らもさっき聞かされて」。萬から電話で「本当にすみません」、めちゃくちゃ謝られて。本当にその時は開催どうしようって本当迷ったんだよね。
 そこから2DAYSで、ピークと、(フォーク酒場)6575を借りてやったんだけど、まあ辛いよね。2020年。この後にコロナで……そうだそうだ、ちょうどindischordとツアー回ってる時で、ファイナルができなくなっちゃったんだ。で、そっからコロナ禍に入ったんだね。

 で、私ほら、一応看護師じゃない。そりゃあ……(笑)やっぱ医療従事者なのに、そんなでかいことできないじゃん。まあでもその間にも、コロナ禍でも多分KAKASHIのツアーとチェリナ(CHERRY NADE 169)の活休とか(企画)やったんだよね。
 あと、なんとかしかロックをやりたいと思って、2021年の1月に一回アコースティックっていう形で組んだんだよ。だけど緊急事態宣言が出て、結局見送って。その半年後ぐらい、6月に、同じメンバーでどうしてもやりたくって、しかロックアコースティックで一回だけやったんだよ。それ混ぜれば本当は2年かな、休んだの。
 1月に組んだメンバーが半年後にまた全員集まってたの、ちょっと奇跡的だったけどね。KAKASHIの颯ちゃんとか、THURSDAY'S YOUTHの篠山さんとか、(さかい)かのと、じゅんじゅわと、成ちゃん(林成一郎/indischord)の5人で。

 KAKASHIも「ツアーで来たい、やってくれないか」って、コロナ禍だけど話があって、イベントをやって。本当に限定25人とかだよ、そんなレベルでやったんだよね。その時の写真とかめちゃくちゃ感動的だもん。リスケで10月に延期して。チェリナのツアーが2020年12月。これも延期になって、この日になってる。
 ……あった、KAKASHIの。2020年10月11日。

 なんかこの景色見れて、やってよかったと思った。本当ガチコロナ禍でやったやつだね。
 だから、しかロックはやめてても、他のイベントをやったりはしてたんだけど、一回ほんとにメンタルがね、やられちゃった時があって。ちょうど2年前だな。で、もう自分の中でも無理だなって思って、シャットダウンされちゃった時があって。でもコロナも……落ち着いてはいないけど、自分的にも落ち着いて、やろうってなったのが今年だったんだよね。

——その時は何を支えに?

 猫。

——ああ(笑)間違いないですね。

(笑)さくらちゃんっていうんだけど、ほんとかわいいの。あの子がそばにいてくれたからなんとかなった。

さくらちゃん

 あと、一番精神的に病んでた時に、ちょうどindischordが『hope』って曲を出したんだよね。ライブハウスを巡ってさ、ミュージックビデオを撮ったの覚えてる?

 あの時に、本当にめちゃくちゃ病んでて、でも「絶対来てよ」みたいな(言ってくれて)。本当にあの日はすごい救われた。私もミュージックビデオにちょっとだけ映ってるんだけど、本当に人に会いたくないみたいな時期で。あの曲を出してくれたのは、多分みんな同じような気持ちが多分強かったと思うけど、自分自身のプライベートの問題もあったから、本当あの曲にはすごい救われた。

——いいビデオでしたよね。いいビデオだしいい曲でした。

 そう、いいビデオだしいい曲だった。
 あとあれよ! しかロックのアコースティックの時……慧士(元ベース)いたじゃん、ずっと辞めちゃってから会えてなかったんだけど、来たのよ急に、その日。

 KAKASHIの颯ちゃんが連絡してくれたんだよね。本当に辞めてから久しぶりに会ったんだよね。まさかまた彼がライブハウスに戻ってきてくれるって思わなかったから、あれはすごい衝撃というか、感動、やばかったよね。来た瞬間もう、ぶわあ〜だよ。

——ええ〜。俺はもうめっきりなんですけど、元気してました?

 うん、元気してた。彼も落ち着いてきてたんだろうね。びっくりした。多分彼も勇気がいったと思うし。

——本当そうですよね。

 何年会ってなかったんだろう……辞めてからずっと会ってなかった、LINEすらなくてね。連絡つかないような状態だったし。

——自分からはなかなかコンタクト取りづらい感もあったでしょうしね。

 そうだね。だから本当颯ちゃんにはありがとうしかない。

 あとは、それこそふっしー(zanpan)ときゃなちゃんが私のことを支えてくれてた、ずっと。気晴らしに連れ出してくれて、3人で出かけたりとか結構してたかも。私がめちゃくちゃ塞ぎ込んでるっていうかヤバかった時に、二人が結構助けてくれてたかも。本当ライブハウスにも行けなくなっちゃったりしてた時期もあるんだよね。

——でもまたこれをやろうって思えるようになった。

 うんうん。そうだね。「やっぱりやりたい」ってなったんだろうね。それがやっぱ、自分ができることっていうか……義務感ではないんだけど、でもその場所が好きだし、会いたい人たちがいっぱいいたから、自分が行けないならやっぱり呼ぶしかないじゃん、来てもらうしかないやって思ったんだろうね。

——お客さんとか、ライブハウスのためでもありつつ、結構自分のためでもあった。

 めちゃくちゃすごく自分のためでもあった。本当にライブハウスのためとかね、福島のためとかね、言ってたらかっこいいんだけど。自分が会いたい人たちと会うために続けたかったのが多分、一番だと思う。
 結局イベントって自分の中でそう、会いたい人たちと会える場所なんだよ。しかロックやろうって思ったのも、やっぱり一つのイベントに呼べるバンド数が限られてるじゃん。それをもう一気に(笑)一気にって言っちゃいけないけど、いろんな人と会えるじゃない。いっぱい人も来てくれるし、福島が好きって思ってもらえる場所にもなるかもしれない。北海道とかから来てくれた人とかもいたし。びっくりしたね。めちゃくちゃ感謝された記憶ある。

——来られてましたね。嬉しいですよね。

 そういうきっかけがないと福島に来れない人もいるかもしれないしね。

 タイムテーブルも、めちゃくちゃ考えたのよ。だけど、私の中でzanpanがトリって、本当に誘った時から決めてて。知る権利もindischordも、福島出身だけど上京しちゃったし、コロナ禍になって福島のライブハウスがなかなか難しい状況の時に、zanpanとGREENBACKがFIREWORKS PROJECTとして、ライブハウスを支える活動をしてたってことが、本当に私は素晴らしいことというか、なかなかできないことだって本当に思ったから、コロナ禍で2バンドがすごい頑張ってくれたから、私は絶対zanpanをトリにして、GREENBACKを最初にして、最初と最後で繋げるような感じのタイムテーブルにしたつもりなんだけど。

しかロック2023 zanpan

こんなに福島にいいバンドがいっぱいいるんだよ

——来年の開催については……。

 まだめちゃくちゃ悩んでますねー。「また来年!」なんてその場のノリで言ってはいたけど、やっぱり正直やるには時間と労力と、精神的にも結構……金銭的にもいろいろかかるしね。正直やっぱ年始っていうタイミングも難しい。だけど自分の中ではしかロックは郡山の音始めっていう形でやりたい思いもあるから、だからいつも大体成人式あたりの時期なんだけど。そこからまた一年が始まるじゃんっていうものにしたいな。
 本当さ、冬のさ、雪が降るか降らないかわかんないみたいな寒い時期にさ、歩かせんなよって(笑)本当はね。寒い中さ、みんなでさ、「間に合わないー!」って走るのが結構、楽しいは楽しかったけど。

 今年のさ、KAKASHIの最後すごいめちゃくちゃ感動したの。私ステージに上がらせてもらって。KAKASHIがね、私(舞台)袖で見てたんだけど、その時に颯ちゃんが呼んでくれたのよ。そしてステージの景色を私に見せてくれたの。「本当は私はこれを見たかったんだ」と思ったら、本当めちゃくちゃ号泣しちゃって。「これがやりたかった、見たかったんだな」って、「これを見れてよかったな」って思った。お客さんも楽しそうにしてて。

 アンコールをね……聞いたかもしれないけど、アンコールを求められてたの、最後だし。だけど颯ちゃんが「zanpanがあっち(シャープナイン)で最後、トリを務めるから、みんな走って行ってくれ」って。

——聞きました。嬉しかったですね。

 やっぱり地元で締められるってすごくいいなって。最初の年はthe ironyだったんだけど、それ以降、2020年はindischordが最後、萬と一緒にやった時(Supported by kininaru/2019年)は知る権利(当時TENDER TEMPER)に務めてもらったし、地元のバンドがトリを務めるってこんないいことなんだって思って、それでこそ福島でやった意味にはなるのかなと思って。

しかロック2019 Supported by kininaru

——任された方も嬉しいですね。

 こんなに福島にいいバンドがいっぱいいるんだよっていうのを見せられたのかなって思う。もちろんね、目当てのバンドだけ見て帰っちゃうことも、もちろんサーキットだからあるんだけどさ。そんな中結構残っててくれたお客さんも結構いっぱいいたから、こんないいバンドがいるんだって思ってもらえればいいなと思いながら。

——あんなにお客さんが最後まで残ってくれてる自信、あんまなかったですもん(笑)。

 あ、ほんと(笑)嬉しかったね。あれ面白かったよ、上のさ、2階のさ(笑)あそこ(ギャラリー)大盛り上がりみたいな(笑)いわきの先輩たちがこんなやってる(大きく手を振っている)のがね、面白かったよね。

——ありがたかった。

 いやでもね、私は『魔法(が使えても)』やってもらえなかったのだけがちょっと悲しかった(笑)。

——え!(笑)やってなかったんでしたっけ。

 やってないはずだよ。『魔法〜』はめちゃくちゃ私好きで。ラジオ(「2畳半レコード オン ラヂオ」/ふくしまFM)でも流したんだよ。それこそ三吉(梨香)さんの「RADIO GROOVE(ふくしまFM)」の方で、indischordの『hope』と、二畳半でzanpanの『魔法〜』を流したんだよね。『hope』もそうだし『魔法〜』も私がめちゃくちゃメンタルやられてた時に救われた曲だったの。だから演ってくれなかったのちょっとショックだった(笑)じゅんじゅわとふっしーには言えてないけど。私がめちゃくちゃ好きな曲。まあ多分盛り上がる曲を、あの日はやってくれたんだと思うけど。聞きたかったなぁ(笑)。
 しかロックアコースティックの時は、「しかちゃんの好きな曲を」とかって言ってじゅんじゅわが歌ってくれた記憶はある。多分2021年ぐらいだよね、作ったの。あれの歌詞がめちゃくちゃ私はすごい好きで。

 今はやっとね、少しずつ(コロナ禍)緩和されたから、できればいいなって思うんだけどね。本当に悩むよね(笑)もう決めなきゃいけないし。

——気軽にできることではないですもんね。

 本当に気軽にはできないのよ。事前に準備することとかもいっぱいあるし、本当にバンドなんて十何バンドも一人で連絡取って、ポスターやらフライヤーやらリストバンドやらパスやら……(笑)フライヤーとかは人にお願いはしてるけど、自分でできないからね。本当に準備することもいっぱいあるからね。だからチームでやってる人達って羨ましいなって思う。
 それこそ新潟のカザマくんもチームでずっとやってる……今は一人なのかな、TAILWIND。すごい毎年頑張っててね、何かいつか一緒にやれたらいいなって喋ったりしてるんだけど、全然実現はしない(笑)なかなか。新潟と郡山で交歓イベントやれたらいいねなんては、喋ったこともあるけど。

——でも今年来てらっしゃって。

 あ、そうそう、毎年手伝いに来てくれる。私もその「風のリズム」一回手伝いに行ったことがあって。スタッフも信頼してる人しかお願いしない、ボランティアスタッフっていうより、身内だけにしかお願いしないんだけど。そういうことだから今年は新潟のカザマくんと、仙台……って言っていいのかな、のりちぇんさん。のりちぇんさんもイベントやってるんだけど、顔広いからね。カメラマンも新潟から来てくれて。(zanpan)撮ってくれたの、新潟の子なんだよ。BeKoが来れなくて。

 BeKoさんとの出会いなんてそれこそ、なんか「DJやってくれませんか」みたいな(笑)カメラマンとして最初オファーしたわけじゃないんだよ多分。何かのイベントで「出てくれませんか」みたいなDM送ったのかな……そこからの付き合い。結局DJやってないから、ずっとカメラマンとしてのBeKoとしての付き合いだけど。
 17日(後述)も多分撮りに来てくれる、久々に。しかもお互い7月が誕生日だから、BeKoさんと私ね。だから一緒にイベント、「しかBeKo」って、BeKoさんが写真展して、私ブッキングしてっていう、2回くらいやったんだよね。

BeKo / しかちゃん

「またできたらいいね」「今度はアウトラインでできるといいな」って喋ってたことあるんだけど、それも実現は……(笑)阿部さん(U-ONE MUSIC)にも「アウトラインで企画しますね」ってずっと言いながら、ずっとできてないから申し訳ないんだけど(笑)本当何年言ってるか分かんない。アウトラインでも企画やらなきゃなって思ってる。indischordの絡みで何回もお世話になってるし。

自分がイベンターを辞めるまでには

——あとはこらっ太さんの話ですかね(後ほど話したいと、先に仰っていた)。

 こらっ太はね……一時期、東北を盛り上げようっていう音楽団体ができたことがあるの、TONEFOLKっていう。こらっ太が企画したっていうか作ったんだけど、出会いは……それこそQOOLANDとかとの繋がりかもしれない、こらっ太もQOOLAND郡山呼んでたりしてたから、QOOLANDとの付き合いで、かなあ。それでTONEFOLKに誘われた。福島、代表っていうか……。

——各地に主要の人を置いて。

 置いて活動しようみたいな。ライブレポとか書いたりしてたんだけど。だから私も何回かライブレポ、福島のイベントで書いたりしたんだよね。大きいのだとap bank。石巻でやった時に、取材入らせてもらって。

ap bank fes 2016 / Born Next Liveステージ

 カメラマンの白石達也と……それこそ初期のしかロックとか、カメラマン2年間くらいずっと白石達也がやってたんだけど。と、こらっ太とで、そのap bankの取材に入らせてもらったんだ。多分もうサイトも閉鎖されちゃってるし、レポもないと思う。あったら面白かったけどね。

 こらっ太もすごかったよ。当時まだ大きく売れる前だったけど、SUPER BEAVERとか……QOOLANDとPEAK ACTIONに来てた時があって、それこらっ太企画だったもんね。そのTONEFOLKのおかげでいろいろ、ライブレポで入るのにライブに行ったりもしてた時期もあったね。

——なかなかそれも貴重な経験でしたね。

 めちゃくちゃ貴重だったね。そんな、ライブレポ書くとかめちゃくちゃ難しいよね。どういう言葉を使おうとか、表現することって難しいじゃん。それを仕事にしてる人たちって本当すごいなと思っちゃったね。実際にライブレポ書いてる人たちいるわけじゃん。でも(TONEFOLK)続けることはやっぱり、難しかったね。

——規模も大きいですもんね。

 そうだね。それこそap bankの時に、LEGO BIG MORLのベースの方がちょうどお仕事で来て、そこでいろいろお話させてもらって。「いつか呼びたいんです」っていう話はずっとしてたね。だから本当に自分がイベンターを辞めるまでには、LEGO BIG MORLは絶対呼びたいなっていうのはあるんだけど、実現がね、まだしてない。
 いつ辞めるかもわかんないけど、すぐ辞めちゃうかもしれないし、いつまで続けるか自分の中でも……どんどん下の子たちも出てきてくれてるじゃん、今。自分でいろいろ行って、新しく出会うのもなかなかしにくくなっちゃってるし、どんどんみんな、友達のバンド解散したりとか、活休したりとかさ、どんどんしちゃってるわけよ。本当に若いバンドの子たちも、こっちに来たときじゃないとあんまり見れないというか。
 でもね、毎年ね、MiMiNOKOROCKのスタッフは誘ってもらってるんだよね。zanpanと一緒に行ったときあったじゃん?(2021年)帰りに乗せてもらったとき。その次の年も誘ってもらってたんだけど、その時は行けなくて。MiMiNOKOROCKのスタッフは毎年やらせてもらってた。いまだに声かけてくれてるから、「手伝いに来てくれない?」って。

——それ嬉しいですね。

 嬉しい。福島のバンドの枠ももらったりして、それこそindischordも毎年出してもらってたし。ツアーで大阪のほう行きたいってなったときもMiMiNOKOROCKにバッティングさせてもらって。大阪行って、次の日名古屋行って(笑)。
 だから今回のしかロックのブッキングとかタイムテーブルも、ミミノコの、スタッフさんって言えばいいのかな……なんて言えばいいんだろうね。表立っては言ってないけど、スペシャルサンクス・ナガハタショウタ。ab initioのね。出していいのかな……わかんないけど(笑)が手伝ってくれたの。
 でも本当にミミノコの運営の人たちには本当に、最初の頃くらいからお世話になって、いまだに声かけてくれて、しかロックも気にしてくれる。来年こそはね、手伝いに行きたいな。

——そういう繋がりが残ってると励みになりますね。

 本当に。あっち行くと会いたい人にいっぱい会えるよね。またzanpanだったりindischord、連れて行きたいなと思うけど……ちょっと悔しかったね、あの日はね。

——うーん。

 でも今行ったらちょっと違うんじゃない?
 ていうか私、zanpanのことも結構お世話してるよね(笑)。

——(笑)本当そうですよね。

『レモンサワー』リリースのタイミングとかね。

——自分たちで流通しようってできるのも当たり前ではないですし。

 そうだね、難しいよね。本来であれば自分たちでライブハウスで売るっていうのが、一番利益的にもいいんだけど、自分たちのCDがCDショップに並ぶってさ、私はやったことないけど(笑)嬉しいよね。

 それこそあれだよ、ミミノコの主催の関係で、私コンピ作ったの。「ミライオトロック」っていう。zanpan呼ばなかったっけ? 声はかけたけど出れなかった、なのかな。発売イベントにも出れる人限定っていうか、「この日に出れますか?」「CD収録できますか?」どっちもダブルでできないと参加できなかったのよ。

——だからですかねえ。

 でも、これで『パロパロ』の収録とか来てもらったり。これも、ミミノコの会社の人たちと一緒に作ったんだ。そうそう、そういうのもやってたね。

いつか野外イベントやってみたいなって

——そう考えると本当にいろんなことやってきて。

 いろんなことやってきたね。

——まだやれてないことってあるんですか?

 野外イベントかな。
 なんかね、一回コロナ禍の時に、ジョンさんと「やりたいですね」って言って、三春にそういう、ちっちゃいけど野外ライブできるような場所ができたっていう話を聞いて、ジョンさんとそれこそじゅんじゅわとふっしーと晃平(GREENBACK)とで見に行ったことがある。結局実現はせずに……そうだね、いつか野外イベントやってみたいなっていう気持ちはあるけど。例えば私が、いわきでやるのもおかしいなと思うし。やってもいいのかなと思うけど。でも、できるのって本当にいわきぐらいだよね。
 郡山駅前もまあ難しくはないけど……条件がいろいろあるもんね。かといって県外の人たちを呼ぶってなったら、ある程度やっぱりギャラも発生するわけだし、駅前ではそういうのはできないわけじゃない。開成山のところ(野外音楽堂)も、あそこ住宅地だから音の制限があるでしょ。だからいろいろ探したんだよね、できるとこないのかなって。だけどやっぱり無いから誰か作ってくれないかなって(笑)思ってる。空港とかも一瞬考えたよ(笑)でもやっぱり難しいよね。
 一番は本当にいわきの三崎公園でやるのが一番いいんだろうな。それだったらSONIC(club SONIC iwaki)のスタッフさんとか慣れてるからさ、設営とかは力を借りれたらと思うし。だけど私がいわきでやるってどうなんだろうって。

——文脈とかゆかりがあるとやりやすいんでしょうけどね。

 うん。だからindischordがこの前、INDIS EXPO、福島駅でできたのすごいなって、羨ましいなって思った。あれこそ理想じゃない? でもあれも皆さんの協賛があったからできたことで。正直郡山駅前でもしやるんだったら、その方法しかないんだと思う。
 だけどやっぱりバンドの力と私だけの力って違うし、支援の仕方というか、バンドからだとライブの映像とかさ、コメントとかさ、いろいろお返しできるものがある。だけど私って個人の、ただのイベンターだから、私から返せるものってなにもないっていうか、バンドさんにお願いするしかない。やり方がやっぱり違くなっちゃうから。だから本当に羨ましいなって思った。
 もうね……大変だったと思う。私はそんなにね、ちょっと軽く手伝ったというか、ボランティアスタッフの人たちとの連絡係くらいしかしてない。あとは人紹介したりとかアーティスト繋いだりとか。

 あ、でもそれこそzanpanだってできそうだよね。前さ、ちょっとやってたよね(郡山駅前でのフリーライブ)。あれじゃん、三浦委員長(空想委員会)と喋ってたやつ。

※2019年、とある機会から三浦委員長とzanpanが知り合い、zanpanのステップアップのため作戦会議を開いてくださり実現したもの。以後「ファイトクラブ」での共演や、zanpanワンマンライブへのO.A.としての客演なども叶った。

——やれるはやれるんですけど、持続が難しいですね。

 そうだね、難しいと思う。

——それこそジョンさんもピークのイベントとして前やってたりもしましたけど、ああいう形でならできるのかと。

 あそこでイベントだけやって、ライブハウスに戻ってオープンマイクって形で、収益をそこで得て……。

——なるほどって思った。

 私もなるほどって思った。ああそういう方法もあるかって思ったけど、またやっぱり私がやるってなったら違うんだよ(笑)違うんだよ。だから個人で野外やるって、本当に考えちゃうよね。

——なんらかの形でできたらいいですね。

 いつかね、できたらいいな。でも猪苗代は難しいかな。
 でも一回あれだよ、「音開き」で土田さんが枠をくれたことがあって、一回だけね。

 挨拶させられて……(笑)すっごい恥ずかしかった。お客さんの前でさ、「しかちゃんとは」みたいな感じで(笑)。その時に一緒に行ったのがリアクションザブッタだったんだけど。ブッタの直人くんは郡山出身だから、やっぱりどうしても福島のゆかりある人を連れてきたかったの。ブッタとも本当に長い付き合いだから。それこそカメラマンの白石達也の紹介でブッタのライブを、埼玉まで一人でさ、運転して見に行ったの(笑)。
 この前言われたんだよ、しかロックの時、「しかちゃんと会ったのいつだっけ?」みたいな。でも直人くんが熱中症で(笑)控え室で休んでるのが初めましてだったよって。

ブッタとの思い出

 そう、野外いつかできたらいいなって思うけど、その前に引退してるかもしれない(笑)でも新しくさ、福島のさ、下の子たちが出てきてくれたらいいなって思う。TripDaysとか、その下がなかなか出てこない。

——郡山は特にそうかもですね。

 そうだね。若い子たちにバンドの興味がないのか、それとも昔みたいにそういう近い人たち、学生との近いコミュニティみたいなのがさ、どんどんなくなってきてるじゃない(そのせいなのか)。

——ラジオで船引高校の軽音部の子たちと話す機会があったんですけど、ライブハウスにやっぱり来たことがないと。ただ行きたいとは思ってて、やっと来れましたみたいな感じで。だから憧れとか、バンドが楽しいみたいな気持ち自体はあるのかなって。導線というか、そういうのが分かんないだけで。

 結局さ、コロナで学校自体に「ダメ」っていうのもあったんだろうしさ、この何年か。だからライブハウスにもっと来れるような環境ができたらいいよね。indischordのINDIS EXPOも、学生枠あったじゃん。あれもすごい、軽音部に結構話したりとかして、結構応募して来てくれた。そういうとこからどんどんライブハウスに来てくれるきっかけになればいいよね。

——意外とだから、塞がれてる道を開けてあげるだけでいいのかもしれない。

 うん。ほんと私も、下が全然本当に分からないからさ、いつかしかロックをやったとしてね、学生枠みたいなのも作って、オーディションって言っていいか分からないけどオープニングでさ、福島の学生の子たちが演奏できるっていう。全国で頑張っているアーティストさんたちとさ、福島で頑張ってきたアーティストのみんなとさ、一緒にできる機会が作れればいいなと思うけど……なんせ分かんないし、来ていいのかなっていう時代になっちゃったじゃん、ライブハウスに。

——学生枠って一個あるだけでキラキラしますもんね。

 うんうん。だからその「風のリズム」のカザマくんもやってたんだよ去年、高校生枠。理想だよね。いやでもね、いつまで続けるかは本当に自分では分からないけど……。

——全然分かんないですか?

 全然分かんない。本当に分かんない。パッ!と消えてるかもしれないし(笑)やりたい思いは強いんだけどね。うーん、なんせ大変だし。

——思いだけでは……っていうのもありますもんね。

 そ。思いだけでは難しいのよ。やっぱりさ、時期も難しいのかなって本当に考えちゃうよね。

——いつまでやるか分かんないからこそ遊びに来てほしいですね。

 そうだよね。そうだね。

——……っていうのでうまく17日に誘導できるかなっていう(笑)。

(笑)そうだね、なるほどね。ピークの12周年が、今度ありますからね。

——これ、記事全員読んでから遊びに来てもらえると。

 そうだね(笑)。

 BruteRocksなんてもう長い……しかロック最多出演バンドだから、実は。福島のバンドを押さえてる(笑)。個人ではね、成くんと萬が1位。数えたんだよ、今年のしかロックやる時に、誰が一番出てんだろうって調べてみたら、萬と成ちゃん、単体とバンドも含めて、彼らが1位で2位がBruteRocks。仙台のバンドかい!って思いながら(笑)。SUGARLUNGも長いね。しかロックにも出てもらってるし、しかBeKoにも出てもらってるし、それこそボーカルのマサくんがこの前、広島カープ(対阪神戦)の国歌斉唱してた。びっくりした。

——ええ〜。なんかボーカリストの夢って感じしますね。

 うん、本当に、すごいよね。zanpanも出てくれるしね、indischordも郡山でやるの久々じゃない? あとLoojy、あとはtenotoだ。tenoto自体は初めてなんだけど、ボーカルのヤスキさんがユビキタスってバンドのボーカルやってて。ユビキタスの時にはしかロックでお世話になってて。いつも「呼んで呼んで!」ってずっと言われてたから、やっと実現する。大阪から来るって大変だよね。8時間くらいかかるよね多分。

 そして今回、2ステージやる人が2人いるから。Loojyとindischord(Ba.本田周平)とね、あと湊土(Loojy)がiruneのサポートしてて。

——そうなんだ。

 そうそう。それこそiruneのベースの大輝くんは、しかロックのステイルーラル、ホリカワタツキバンドの時にサポートで来てくれたんだよね。SUGARLUNGともめちゃくちゃ仲良くて、それで今回来てくれる。

——いろいろゆかりのあるブッキングなんですね。

 A11yourDaysのUKちゃんっていうキーボードの女の子、仙台出身なんだけど、その子もiruneのサポートで来る。結構ゆかりのある人たちを集めたから、楽しいんじゃない?indischord、Loojy、zanpanも集まっちゃったし。

——意外とないですからね。

 しかもさ、ちょうど連休の真ん中、絶対楽しいと思う。ちょっと長いけどね、イベント自体は。でもこうやって周年を祝わせてもらえるっていうのは本当にありがたい。ジョンさんにはいつもお世話になってるからさ、感謝というかお礼の気持ちしかないから、ジョンさんにはいつも。なんか恩返しできればなと思ってるけど。そういうことぐらいしか私にもできないから、イベントやるっていうね。

——ちょっと隙があると、逆にすぐ恩返されちゃうから(笑)。

 そう恩返されちゃうから本当に。「しかさんいつもありがとう〜」いやいやこっちがありがとうですよみたいな(笑)。本当にジョンさんに会いたいがために行くってところも……少なからず県外の人たちもジョンさんに「お帰りなさい」って言ってもらえるのが嬉しくて、また帰ってきてくれる部分もあると思うし、ジョンさんにはいつも本当に、感謝ですよ私は。ね、楽しく祝いたいなと思います。

 ……締まる?(笑)

——(笑)全然全然、締まります。ありがとうございます。


しかちゃん
7月1日生まれ。岩手県出身。
全国のさまざまなバンドのイベントやツアーを企画、時にスタッフとしてサポートするほか、毎年初旬に主催サーキット「しかロック」を開催している。
記事中にもあった9月17日・郡山PEAK ACTIONでの企画が、本記事公開後の直近のイベント予定となる。

【撮影協力】
Noi'z(ノイズ)
〒963-0201 福島県郡山市大槻町西宮前15−6
電話: 024-983-8785
ホットペッパービューティー

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