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【前編】ローカル文化の魅力を信じ続ける、ふっしーの行く先とは?

2021年11月、このFlagmentの第1本目の記事は、永井のバンドzanpanのボーカル・ギター、じゅんじゅわから始まっている。
前途の全く見えない、継続できるのかも受容されるのかもわからないプロジェクトの初回で身内の力を借りることはある意味自然なことだったかもしれない。

あれから2年。同じ身内とはいえ、そんな1本目のときとは逆に、今回の取材は彼が以前から待ってくれていたものだった。
聞けば、偶然とはいえ今回は彼にとっても、あらゆる意味で節目のような時期での取材だった。その一部始終を見届けていただければ幸いに思う。

取材・撮影・編集:永井慎之介
取材・撮影協力:郡山PEAK ACTION

こだわるところはこだわりたいけど

 結構緊張するね。

——あ、そう? メンバーにインタビューするの2年ぶりだから(笑)俺も俺でって感じだけど。

(笑)そっか。

——1995年8月16日、福島市出身、で合ってる?

 合ってる。

——何から聞こうかな……幼少期の自分を思い出すと、今と比べてどう?

 今と比べて……なんだろう、めちゃめちゃ元気だったかな。
 あと、よく泣いてた。泣き虫だったから。「そんなことで?」って思うことでも、結構泣いてたかな。

——友達と喧嘩して、みたいな?

 喧嘩っつうか、結構「あれが欲しい」「これが欲しい」とか……自分の思い通りにならなかったら、すぐ泣いてたかな。

——結構駄々っ子だった?(笑)

 そう、駄々っ子だった。小学校4年生の時くらいまではそうだったかな。そこからは、あんまりそういうことでは泣かなくなったというか(笑)。

——なんか、今と正反対な感じするけどね。

 そうだね、だいぶガキんちょだったね、昔は。

——それを象徴するようなエピソードとかあったりする?

 単純だけど、親とイトーヨーカドーとか出かけて、おもちゃコーナーを見て「これ欲しい」、でも「今日はダメ」……で泣く、みたいな(笑)。

——今のパブリックイメージだと、むしろ謙虚な感じが強いかなと思うけど。

 そうだね。大人になるにつれて、だんだん自分を……俺、自分出してると思う?

——うーん。話題によってはちゃんとこだわってるところはあると思うよ。

 そうだね、こだわるところはこだわりたいけど、それ以外の部分では……うん、別に(合わせるよ)って感じ。

——小4ぐらいだから、成長するにつれてちょっとずつ分かってきたみたいな?

 そうだね、周りのその、小学校の友達とか見てて、「俺はガキだな」みたいな。

——興味を持っていたことは?

 カードゲームとか……遊ぶのより集めるのが好きだったかな、ポケモンフィギュアとか。従兄弟が男4人いて、小学校の頃は、夏とかは集まってずっと遊んでたり。

——賑やかでいいね。忘れられない出来事とか事件とかあったりする?

 お父さんが福島市の方でエフ・スポーツ(NPO法人 エフ・スポーツ|福島市スポーツ・サークル・スクール)っていう団体をやってて、小学校の時に連れてってくれたりしてたんだけど。

 その時そこの建物に梯子がかかってて、それに登って、半分以上登った時に……4〜5階建てだったんだけど。

——結構高いな(笑)。

(笑)そう。で、降りる時に、もう地面だと思って、なぜか確認もしないで手を離したら、まだ全然高さあって、落ちて。全然着地はしたんだけど、ヒヤッとはしたかな。「痛え」って思ったけど、怪我とかはしなかった。

——体が強い方だった? まあでも別に関係ないか。

 でもスポーツとか、体動かすことはすごい好きだったから、丈夫な方ではあったのかな。

——スポーツは何やってたの?

 小学校の時、小学3年から6年の途中ぐらいまではサッカーやってた。その前は、エフ・スポーツで色々、体育館でバドミントンとか色んなスポーツやってて。で、小6の途中でサッカー辞めて、中学1年から高3までずっとバスケやってて。大学入学するまでは、体動かすことがすごい好きだったから、スポーツばっかやってた。

——お父さん、何者……?(笑)ずっと珈琲をやられてたわけではないでしょ。

 あ、違う違う。俺も本当、急なアレですごいびっくりしたんだけど。元々お母さんとお父さんは、お母さんが小学校の先生で、お父さんが中学校の先生やってて。

——あ、先生だったんだ。

 もともと教職で、2015年から珈琲屋さん(伏見珈琲店)やり始めたから、定年……まだあと4年くらいのところで、急に「珈琲屋さんやりたい」みたいな話を聞いて。
 そう、でも俺その話を聞いた時は郡山にいたから、地元帰って、お父さんとご飯食べたときに「珈琲屋さんやるんだ」みたいな。まあでも、多分お母さんはすごい真面目だから、色々話したと思うけど。

——そうか。それならスポーツ団体もやられるか。普通の会社員だったら大変だよなあと。伏見珈琲店もじゃあもうすぐ10年くらいだ、始まって。

 そうだね、もうすぐ10年だね。今となってはね、たくさんお客さんも入ってて、すごいなって。

——この間、ビッグパレットふくしまで出店(TOHOKU CAFE FES)してたときにお会いしたけど、めちゃくちゃお忙しそうにしてた。

 ああ、行ってたね。

バンTが何着か壁に下がってて

——話戻るけど、ずっとスポーツしてたっていうことだったけど、小中学くらいのときは別に音楽とか、じゃああんまり興味なかった?

 ああ、まあそうだね。興味なかったというか、でもおばあちゃんちにはアップライトピアノがあって、実家の方にも……キーボードって言ったらいいのかな、ピアノあったから。暇なときはよく、知ってる曲の歌メロを片手で弾いてて。そう、興味がなかったというか……。

——まあ、夢中になるほどではなかったけども、身近にはある。

 うん、そうだね。

——最初に「あ、なんか音楽っていいな」ってなったのって、いつぐらい?

 えっとね、高2か高3のとき。お父さんがアコギを持っててよく弾いてたのは覚えてるんだけど、お父さんがネタでか分かんないけど、何かの芸人のモノマネを学祭か何かでやった、みたいな話を聞いて、そこでアコギ使ってたみたいな。それでお父さんに「裕斗(ふっしー)もアコギやらない?」って言われて。まあなんか、うん、やってみようかなと思って、楽器屋に買いに行ったんだよね。
 で、一応アコギは買ってもらったんだけど、そのときにドラムセットが置いてあって。間近で見るの初めてだったから、「ああ、なんかすごいかっこいいな」って思って。アコギよりこっちやりたいなあみたいな(笑)そんなこと思って、でもやっぱアコギ買いに来たから、そうは言えず。
 一応ドラムを叩き始めたのが、日大のサークル、音楽研究会に入ってからドラムをやり始めたんだけど。それまでバンドとか全然、やりたいとかっても思わなかったし。

 ちょっと重い話になっちゃうんだけど、大学入学する手前で、地元の友達が亡くなっちゃって。その子がバンドやってたのよ、高校の時から。お葬式にも出席して、その時Loojyの大内康平さんとか、その子と仲良かったから、いて。
 その子、アウトライン(福島OutLine)でよくライブやってて、高校で一緒に部活やってた中学からの友達も仲良くて、ライブのお誘いとか結構されてたんだけど、部活であんまり行けなくて。
 その子のお葬式が終わって、もう一回その子の家に挨拶しに行った時に、その子の部屋でその子のお母さんと話してたんだけど。バンTが何着か壁に下がってて、結構いかついデザインだったんだけど、なんか「ああ、すごい」って思って。「ライブハウスって、バンドって、どんなんだろう」みたいに、ちょっとそこら辺から「どんな感じなのかな」みたいな(気になり始める)。

 で、大学で、福島市から一緒に通ってた友達が音研(音楽研究会)に入ろうかなって言って、「じゃあ俺も入るから、一緒に部室行こうぜ」って言って、部室に見学しに行って。その時に、ここ(PEAK ACTION)で元々スタッフやってたイシカワアイさんが、チャットモンチーのコピバンしてたんだけど、真っ先にもう俺はドラムに目がいっちゃって。「かっけえ」ってなって。その見学が終わって、友達と部室出て「音研入るか」ってなって、「俺ドラムやりたい」。
 そっからその子と、コピーバンドだけどバンド組んで。最初ONE OK ROCKのコピーをやろうってなって。そこからかな、バンドを好きになったというか。それまで本当、ライブハウスも一切出入りしてなかったから。

——何か一個の大きいきっかけがあったっていうよりは、途中途中に色々接点があって。

 そうだね。で、そこで「せっかくだからやってみようかな」って思って。そう、それが今となっては、こんな感じにね……(笑)全然予想してなかったよ。

——(笑)まあ、でしょうねえ。

楽しかったんだよね、ライブハウスにいることが

——ライブハウスに出入りするのも、ライブハウスでバンドを見るのもじゃあそっから?

 そうだね。そっから大学1〜2年の時はサークルのライブで、前のシャープ(郡山CLUB♯9)で、その(サークルの)一緒の人たちのライブを観て楽しんでたかな。
 で、先輩たちの何人かはピークアクションでバイトしてて、ちょうど俺も居酒屋のバイトをしてたんだけど、それを辞めて。もうその頃から学校にあんまり行かなくなって、前も言ったと思うけど部室にこもって、ずっとドラム叩いてて。で、大学辞めて、その先輩から「ピークでバイトしない?」みたいな感じで誘われて。2016年の2月ぐらいに、ジョンさん(店長:渡邊文昭)に挨拶しに来たの。

 そっからピークで、そのすぐあとぐらいに、シャープのほうでもバイト始めて、ピークとシャープ両方で。いきなり2つでバイト始めるって……結構バカだよね(笑)。

——初手でってことでしょ、なかなかだね(笑)。

(笑)それくらいその時は、まだサークルのあれ(活動の範囲内)だったけど、楽しかったんだよね、ライブハウスにいることが。

——のめり込んで。

 そうだね。そっからもう、のめり込んでった。

——最初、演奏してみた時、どうだった?

 いやもう、ひどいよ。すっごい安い電子ドラムを、実家の方で買って。部屋でずっと練習してたんだけど、やっぱその……8ビートだったら「ドッタンドドタン」みたいなはずが、もう本番になったら「ドンドンドンドン……」(全部一緒に動いてしまう)。めっちゃ緊張してたね。
 しかもその時ドラムのセッティングとかも全然わかんなかったから、とりあえずスネア、2タム……(笑)みたいな感じで。そう、懐かしい。

——大学入ってからだもんな、そもそもが。

 うん。でも大学2年くらいから、もう本当にドラムが楽しくなっちゃって。

——そもそも日大を選んだのには理由が?

 結構小さい時から、一軒家というか、モデルハウスあるじゃん。それを見るのが、一軒家を見るのが結構好きで。「家建ててみたい」みたいな。それで建築のあれ(資格)を取らなきゃ、なかなかダメだなみたいな。そんで日大の建築学科に行こうって思った。

——建築系の志が全然ないわけではなかったんだねえ。

 全然ないわけじゃなかったよ、最初は。最初はね……なかったわけじゃなかったんだけど、本当にだんだん、完全にもうドラム、ドラム……みたいな(笑)。

——大学辞める時とか結構大変じゃなかった?

 うん。親にもね、何回か話して。まあ4年間は在籍してたんだけど、3年からはもう本当に行かなくなっちゃったな。そうだね、すごい、めちゃめちゃ……めちゃめちゃ迷惑はかけた。

——行かないで籍だけ置いてるぐらいだったら、音楽に時間使った方が……みたいな感じ。

 そう。多分、留年しても絶対行かないだろうなって思ってたし。だったら辞めて……そうだね、とりあえずライブハウスで。
 その頃、P -ROUGHピラフ*のサポートとか始まってたから、郡山で過ごそうかなって思って。でも、サポートとかやってなかったら多分福島市戻ってたんじゃないかな。

——引き留めるものがなかった。

 うん。ミミノアナ*もあったし。

*いずれもふっしーがサポートしていた、郡山で活動していたバンド。

頼まれたらいつでもOKっては、言うつもりだった

——zanpanを叩き始めたの多分、2017〜8年ぐらい?

 えっとね、初めて叩いたのが、2017年の年末あたりだったかな、11月とか。確かあの、さとみちゃんと、Junさんと、むとうさんと、たかさんのイベント(「歌鳴声架」)。確かトリだったんだよね、その時。

——そっか。記憶が、全然ない……(笑)。

 そう?(笑)じゅんじゅわがまだ柄シャツ着てた時だね。それこそ、シャープとピークでバイトし始めて、シャープナインの方でモギリ(入場受付業務)やってた時に、じゅんじゅわとちょっと仲良くなって。
 で、あの、あれだよ。『OPEN』(zanpan/2016年)の、あれツアーファイナルかな?

——ファイナルはこっち(PEAK ACTION)じゃなかったかなあ。

 あっ、そっか。じゃあ、ツアーの最初か途中か、シャープナインでやってて。その時に俺、普通にライブ終わって、物販、CD買いに行ったんだよ。そこでも話して。で、「ふっしー、良かったらちょっと一緒にスタジオ入んない?」って最初の方、じゅんじゅわと2人でちょっと入った覚えがある、シャープナインで。いつだったっけな、2017年の6月ぐらい。『もう』と『ロックンロールとは』と、あと『(最低な)日常』もやったかな。何曲か合わせて、まあでもそんくらいで終わって。で、そのサポートで初めてステージで叩いたのが、さっき言ったその時。ねもとけさんもいたからね、その時は。

——手応え的なのはどうだった?

 なんて言ったらいいんだろうな、手応えというか、まずやっぱり自分たちでオリジナルのバンドを組んで正式メンバーになる……っていうよりは、あの頃はとりあえずサポートで叩けてれば良いって思ってた気がする。そうだね、まあでも普通にちゃんと「楽しいな」っては思ったけどね。

—自分が正規メンバーでとか、自分のバンドみたいなのっていうのは、それまでも特になかったから。

 ミミノアナは(正規メンバーとしての所属期間が)あったけど、長谷川さんが元々叩いてたじゃん。言っちゃえばもう長谷川さんのコピーみたいな感じ。新曲も多分そんなにやってなかったし。答えがある状態のところに入っていったみたいな感じだったから、あんまり正式メンバーっていうあれ(自覚)は正直なかったんだよね。

——自分の欲求としても別にそんなになかった?

 あー……まあまあ、半分半分。
 その頃やっと、みんなにも顔覚えられて、だんだんいろんな人と仲良くなっていく中でのあれだったから。とりあえずサポートで(充分)いいやっては思ってたけど、でも正式メンバーとしてドラム叩きたいな、っても半分、思ってたかなあ。

——うんうん。まあそういう展開があっても楽しいだろうなみたいな。

 うん、そうだね。まあでも頼まれたらいつでもOKっては、言うつもりだったから。

——やっぱふっしーが加入するときすごい印象深いのは、長谷川とかねもとけが叩けなかった『歩幅』のフレーズを、ふっしーがすんなり叩けたっていう。

 そうだっけ。

——あんまり2人はそんなに、すんなりは叩けてない、難しいのかなと思ってて、ふっしーに叩いてもらってみたら全然叩けたみたいな。

 あの『歩幅』のフレーズ、結構難しかったけど、多分ドラムを始めてから長谷川さんとか、あとヨギさんとかだいちゃんとか、結構シャープナインのスタジオ入ってたまに(一緒に)やってて、そこでちょっと教えてもらったというか。いろいろ教えてもらった以外はもう完全に、何かの曲を聴いてそれをコピーして練習してたから。それこそ大学のサークルでもやってたし。多分(コピーは)強みかな。

——自然と伸ばしてたんだ、その能力を。

 そうそう。そうだ、でも確かにながいせんせと初めてスタジオ入った時、「ふっしーってドラム上手いんだね」ってボソッて言われた。

——偉そうだな(笑)。

(笑)って言われたのをちょっと思い出した。

<次回>
zanpanのドラマーとして、そしてライブハウススタッフとして。
*後編は2月8日公開予定

記事に頂いたサポートは、全額をその記事の語り手の方へお渡しさせて頂きます。