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【後編】誰もがその歌を口ずさめる日まで。アーティスト・MANAMIが探し続けるメロディー

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今なら自分にできること、何かあるかもしれないなって

——でもそしたらそっからは、なんていうんだろう。ゴリゴリに意識してたかは分からないけど、どっちかっていうと福島に根を下ろした感じの活動になっていくんですか?

 そう。だけどまた上京するんだけどね、その後すぐ(笑)半年後に。再開して……結構精力的にライブとかまたやり始めて、「なんか今なら私、いけるんじゃない!?」って思っちゃうんだよねそこで(笑)

——ああ〜。また思っちゃった(笑)。

 そう(笑)すぐ思うから。オーディションがあってさ、養成所?に通うオーディションで。ワタナベエンターテインメントの養成所を見つけて。養成所とか専門学校とか憧れてたから、音楽の。今ならなんかそういうのいけるのかな、と思って。フラットに応募して、養成所のなんか。それで受かってさ、特待生みたいなので選ばれて、「あっじゃあもう一回行ってきます!」みたいな(笑)上京するんだけどさ、特待生いっぱいいんのね(笑)。私だけじゃないんか!っていう(笑)ところからのスタートで。
 でも、思ってたのと違くて、「歌手になりたい﹅﹅﹅﹅人」が集まってたんだよね。シンガーソングライターコースだったんだけど、シンガーソングライターになるための人たちしかいなかった。ライブしたことないし、カラオケでは歌ったことあるけどとか、もちろん曲も書いたことないし、っていう人たちがクラスメイトなのね。一人だけ、めっちゃシンガーソングライター、バリバリライブ活動してたすごい人いたけど、あと全員、ほんと「歌手になるために来ました」だから、あれ?なんかスタート地点が違うなって。そこに合わせてスタートするじゃない。これだったらライブ活動してる方が断然経験値になるよなっていう、ことを思っちゃって。3ヶ月で辞めちゃうんだよね(笑)。でもDTMとかさ、ダンスとか、ステージングとか、結構勉強になる授業もあったんだけど、なんかその、点数をつけられるんだけどさ、ライブのパフォーマンスみたいな。カラオケの人たちに負けるのが悔しくてさ。「ええ〜」「なんで負けたのかわかんない」みたいな。「私はここでは戦えないわ」って、また上京したのにすぐ帰っちゃうんだけど(笑)。

 でもその時に『福島えがお』のメロディーの曲をね、生んだのがそこの養成所だったんだよね。『福島えがお』のメロディーで、全然違う……即興でちょっと曲作ってみてよみたいなのがあって。その時に、今の『福島えがお』のメロディーで……「君がドアに挟まったら僕が助けるよ」みたいな(笑)どんなシチュエーション?みたいな(笑)『福島えがお』の歌詞と全然違うんだけど、「君が石につまずいたら‥……助けるよ」みたいな(笑)歌詞の曲を作ったのね、即興で。それを福島に持ち帰って、『福島えがお』にして歌詞を書いて出来たから、それだけでも行ってよかったなって思う(笑)。

——じゃあ、行って帰ってきて、そこからなんですね。どっちかっていうと。

 そうなの。福島に根付いた活動?を始めるのが。2015年からだね。

——今に繋ぐがるような活動っていうか、キャリアみたいなのも。

 そうだね、2015年からかな?それこそ。2回上京してて、震災の後も福島のために何もできたことがなくて、「あ、今かな」って。震災の後の福島の状況とか、被害の大きかった地域を見に行ったりとか、っていうのをちょっとずつ、その後からするようになって。今なら自分にできること、何かあるかもしれないなって。そういう場所で『福島えがお』を歌ったり、っていう活動にちょっとずつシフトしていったかな。

——それ(震災に対するわだかまり)がずっとどこかに残ってた。

 そうだね。ずっと何か……曲を書きたいと思ってたけど書けずにいたし、それこそaveさんの『福の歌』みたいな曲を私も書きたいと思ってたけど、全然できなかったから。やっぱり2回も上京すると地元愛って生まれるんだなって(笑)。

——離れたからこそ。

 気づいたやつだよね、まさに。行かなかったら多分、そうなれてなかったと思う。暗黒の時代、フェードアウトしてた時期も含めて、ずっと音楽活動のキャリアとして入れてるんだけど。それも「辞めます」とか言わなくてよかったなって。ふらーっといなくなってふらーっと戻ってきたから、そこも含めてのキャリアだなって。

——決別しちゃうのは簡単ですもんね……簡単だから怖いんですよね。

 うん。そうだね。

——震災に関連して、っていうのもあると思うんですけど、そこからの目標とかモチベーションとかって。

 モチベーションか、そうだな……特にモチベーションとかはなかったと思うんだけど、でもアルバイトをしてたから、掛け持ちで。バイトを辞めたいから、音楽でご飯が食べれるようになりたいっていうのが、多分その時はモチベーションだったかな。バイトとかしたくないじゃん、できれば。だし、なんか向いてないなって思っちゃう……働くことが(笑)。会社勤めとかしたことないけど、多分どこでも働けない気がしてて(笑)だからやっぱ音楽でご飯食べれるように、バイトを辞めれるように頑張ろうみたいな。

——今は、辞めれてるんですか?

 今は、うん。音楽で生活ができてる。

——いいですね。

 でもいつまで続くか分からないからね。頑張らないと。


自信になってたのかな、評価されることが

——それから活動をまた再開して、それこそじゃあいろんな地元に絡めた制作とか、それこそタイアップとかっていうのもそこからどんどん増えていく。

 そうなの。2015年に初めてタイアップ。福島交通飯坂線のタイアップが決まったのが2015年なんだけど、作ったのは2014年なんだよね。音楽辞めて帰ってきて、ライブ活動始めた時に、阿部さんがね、「飯坂線の歌作ってみたら?」って言ったの。車とかなかったから、移動が基本飯電だったから、ああなるほどと思って、好きで作ってみて。ライブで歌ったりするようになったら、聞いたお客さんが福島交通の人に「飯坂線の歌歌ってる子がいるらしいですよ」みたいな、問い合わせてくれたらしくて。「本人から連絡いただければ、やり取りします」っていう流れになって。それ経由で、飯坂線の人と会って、曲を聴いてもらって。そこからタイアップっていうところに繋ぐがって。
 だから初めてタイアップってなったのも、あっちから依頼があったわけじゃなくて、好きで歌にしたら、それがあれやこれやとって感じで。阿部さんの鶴の一声があってだし、どこで誰が見てるかわかんないしさ、お客さんが連絡してくれなかったら、今に繋がってないだろうし。っていうのでタイアップが初めて決まって、そこから飯坂線のミュージックビデオを見た人が、「じゃあうちも曲書いてほしい」にどんどん繋がっていくから、始まりが2015年の『Familiar Train』のタイアップ。

——タイアップって言ったらそれこそ、今も言ってましたけど、示し合わせるっていうか。発注納品みたいなのの上でやりそうなものですけど、なんかそういう発生の仕方はすごくいいですね。

 ねえ。そう、だから希望があるよねすごく。誰がどのタイミングでいいと思ってくれるかもわかんないしさ。ちょうどタイアップが決まったタイミングで「アコワン」で優勝した。なんかいろいろ重なってさ。2015年が結構転機になったというか。その年に私ね、座敷わらしを見たの(笑)突然だけど。

——(笑)……はい。

 2015年のね、年末に、二本松の岳温泉の旅館で、演奏するお仕事があってさ。客席があって、お客さんがもうみんないなくなった時に、男の子がね、一人座ってたの。でも世代的にも、その会場にいたお客さんでもありえないし、もう終わった後みんないなくなって、片付けしてる時に座敷わらし……「あれ絶対座敷わらしだ」って。そっからどんどんいいことばっかり起こってさ。そうそう。突然の座敷わらしごめん(笑)。

——(笑)でもそういうの何かあるかもしれないですね。

 いやあるんだよ絶対。だから2016年以降も……酪王カフェオレかな。酪王さんのCMソングも2016年だったから、どんどんCMソングとか、タイアップみたいなのが広がっていったのがその後からかな。

——2、3年前の暗黒期を、取り戻すかのように。

 そうそう。地元密着っていうかさ、地元に根付いた活動にシフトしてったかな。

——その時はもうじゃあ、自分の気持ちと実際にしてる活動との間には、乖離はもうなかった?

 ああ〜……うん、そうだね。その時はなんか、肩書きを増やすことが結構モチベーションになってたし、チヤホヤもされるし。なんかちょっと周りと違うっていうか、ずっと同じ土俵にいたのを、なんかちょっと一段上がれたみたいな気持ちになってた時期があったかな、勝手にね。実際そんなこと全然なくて、でもなんか「ちょっとMANAMI違うぞ」みたいな感じに自分で思えてきて。自信になってたのかな、評価されることが。

——そしたらその、片平里菜さんの存在との葛藤みたいなのも、変わってました?

 その時はね、なんかもう「全然違うな、目指すところが」というかさ、メジャーでどうとかなかったし。そんなになかったかな。私はこの福島っていうところで頑張っていこうみたいな。
 その時はね。今は違うよ(笑)今は全然違う。今でももちろん福島を大事に思ってるけど、福島だけで留まりたいとは思わないね。

——もっと視野が広くなって。

 福島からもっと……福島にいるけどどこでも戦える、どのアーティストとも戦えるようになりたい、はあるから。タイアップとかいっぱいついた時はさ、ちょっと地元でチヤホヤされるので、なんかそこでいいやって思ってたかな。

自分が浮いちゃってるかなって感じる時があって

——音楽的な変化ってありました?

 そうだね。音楽的な変化が現れるのは、ここ2〜3年の話かな。コロナ禍に入ってからかな。
 それまではもうタイアップとか、お仕事として曲を書いたりとかさ、するっていうのは結構増えてきて。でもライブハウスとかでしかできないような楽曲というかさ。タイアップとか福島とか、そういうの抜きにした曲が増えてくるのはここ2〜3年なのかな。本当はこっちで評価されたいっていう気持ちがずっとあったけど、評価されるし求められてるのは地元の歌だし。外のライブとかで、イベントとかでさ、歌えないじゃん暗い曲(笑)。だから、ライブハウス出る時だけこういう曲を歌って、みたいなのを使い分けるようになってきたのがここ数年なんだけど。やりたいし、評価されたいのは福島(ゆかりの作品)とかじゃなかったんだなって。

——それはそれでもちろんいいんでしょうけど、そういう……需要と供給じゃないですけどね。そういうところで作ることと、心とか、自分の経験とかで作るクリエイティブって、多分全く違うところにあるんですよね。

 うんうん。それがすごいもどかしくて、っていう時期が長かったかな。「MANAMI」っていったら「福島のうた歌ってる子ね」っていうのが、「いやそうじゃないんだよ私は」「他にもあるぞ」みたいな。だけどさ、やっぱそれでお金もらったり、それを求められて呼ばれてたりもするから。なんか、結構ね、もどかしかったかな。
「あいつ福島の歌しかないよな」みたいなこと言われたりもすんの、悔しくてさ。「もっと他の曲も歌ったらいいじゃん」とかね、「いやあるし!」。私もいろいろ考えてやってるのに。悔しい〜って思うことはいっぱいあったかな。だけどそういう、外とかで普通に暗い曲やって、スベったことも何回もある(笑)絶対これじゃなかったなっていう。やっちゃったみたいなのがいっぱいあるかな。

——あの、こないだTwitterに上がってた新しい……『そよ風によろしく』、聞いたんですけど、普通に好きで。

 え〜ありがとう!まだ完成度低いけど。ありがとうございます。

——そういう音楽的な、そういう面もなんか、見れたらお客さんも絶対楽しいだろうなって。

 ここ近年は「ライブハウスではこういう曲しかやらない」とか、すごい分けてるのね、イベントでやる曲と。なかなかやっぱ……どっちも好きになってくれる人ももちろんいるけど、全然ね、もうお客さんが違うねやっぱり。外のライブ来る人、ライブハウスに来る人で違う。

——別業種ぐらいの。

 そうそうそう。アーティスト名変えようかなって感じ(笑)。ライブハウスでやるときとイベントでやるときぐらいの。でも確かにがらっと楽曲の雰囲気変えてるし。そうだよねっていう。

——かといって無碍にできないですしね。それはそれでいいことだし。

 うん。まあ割り切れるようになってからは楽になった。こっちはこっち、こっちはこっちっていう。

——それもライブハウスを中心に活動してる身からすると、特殊じゃないですけど、あっそうなんだなって思いますね。

 そうだよね。でもなんかね、自分が浮いちゃってるかなって感じる時があって。ライブハウスでやってる人たちとの中に混ざってやるときはさ、MANAMIはなんだろう、ライブハウスでやってる人たちともまた違うし……同じになれないというかさ、ちょっと浮いちゃってるような感じがするというか。

——それは今もある?

 今もあるかな。意識しすぎなだけかもしれないけど。結構勘違いされることが多くて。アイドルみたいな風にさ、思われてたりもするしさ。「CM出てるよね」とかさ。でもやってる曲全然そういうのじゃなかったりもするから。先入観というかね。

——女性シンガーのアイドル問題、すごい難しいですよね。

 ふふ(笑)そうだよね。私はアイドルではないんだけど、全然違うけど。

——アイドルがどうこうというわけでもないし。

 すごいなと思って。なれるもんなら私もアイドルになりたかったなって思う。でもなれない……みんなにニコニコできないし(笑)あんな可愛くなれないし、歌って踊ってもできないなって。

——あちらはあちらで本当すごいですもんね。

 本当に。リスペクトしかない、アイドルさんに関しては。だから、アイドルみたいに思われるのが嫌って、別にアイドルを低く見てるとかじゃなくて、高く見てるから。あんな風には私はなれない、できません違いますって思っちゃう。

——同じ音楽っていう、土俵は一緒だけど、全然やってることとか、多分行ってる方向も違うから、っていうのはありますよね。

 あるね。でも昔は、アイドルと一緒にされるのが嫌だった理由が、曲も書いてないし、口パクだったりもするじゃん、みたいなことで……もちろん書いてる人も歌ってる人もいるけど。私は曲も書いてるし、ちゃんと歌も歌ってる、みたいなので嫌だなって思っちゃってたんだけど。アイドルってさ、可愛いってだけで尊いじゃん。

——そうなんですよね……!

 なんかね、もう本当に違う……歌ってなくてもいいし、曲なんか書いてなくてもいい。ただ存在してくれるだけで尊い……尊ぶべき人たち。そこの考え方は変わったかな。

——時代というか、世界が変わった感じもありますよね。

 確かに確かに。……話逸れちゃいました、ごめんなさい(笑)。

人をハッピーにする側の人間でありたいな

——今までを大きく振り返ったとき……今少し、もしかしたら触れたかもしれないですけど、印象的な出会いとか、人とかっていましたか? たくさんあるかもしれないですけど。

 ジョンさん(PEAK ACTION)は大きいかな、やっぱり。私それこそさ、福島市で育ってさ、ずっと福島市で活動してて。だから「MANAMIちゃんって福島市の人」ってイメージが、多分今も結構思われてることが多いんだけど。でも2017年から郡山に住んでるから。福島の中でもさ、福島市と郡山ってだけでさ、なんか全然界隈が違うっていうかさ。バチバチしてるわけじゃないんだけどさ(笑)福島の人は郡山の人には負けないみたいな、なんかそういうのちょっとあったりしてたじゃん? 今はそんなにないかもだけど。だからさ、福島市から郡山に行っただけで、「なんで?」みたいな。ちょっと気になるっていうか違和感があるっていうか。

——「福島を捨てたの?」。

 そう思われてたりね、ちょっとね。でも郡山の人からも「いやあいつは福島の人じゃん」みたいな感じで。なんかね、「ああ、そういう感じなんだ……」っていうのがちょっと自分の中にあって。活動しにくいじゃないけど、モヤっとしてるところがあったんだけど。
 ジョンさんがね、「MANAMIちゃんが郡山に来てくれて本当に嬉しい!」って言ってくれたの。なんか、えぇ〜、そんな風に言ってくれるんだって。それがすごい嬉しくて、郡山を大事に活動していこうって思ったかな。し、来てよかったな、いいんだなここにいてもみたいな。

——ジョンさんのあの感じで言われたらすごい思いますね。

 本当にありがとうって思ってて。あんなにいい人いるわけないって最初思ってたから、疑ってたのね(笑)ジョンさんのことを最初。いやこんな人いるわけない(笑)絶対裏があるって思ってて。そしたら本当にただいい人だった(笑)。
 ジョンさんってもうギブアンドギブアンドギブみたいな人じゃんか。テイクを求めないというかさ。私もそっちになりたいなって思ったかな。

——そうなんですよね、テイクしちゃうんですよね……。

 しちゃうしちゃう。あんな風にはできなくても、やっぱ人をハッピーにする側の人間でありたいなって、ジョンさんとか見てると思うし、やっぱジョンさんとの出会いは大きいかな、ピークアクション。

——ジョンさんに変えられてる人、多分いっぱいいますよね。

 本当そう。救われてる人もたくさんいるだろうし。
 あとは阿部さんかな、育ててもらったし。たまに阿部さんってマネージャーだと思われて(笑)私のマネージャーみたいに思ってる人も結構いて。全然そんなんじゃないんだけど。でもほんと、阿部さんなくして自分の活動は成り立ってないし、阿部さんがいなかったら間違いなく今の私もいないくらいの人だから。阿部さんとジョンさんの存在は大きいかな。

——それこそ一番最初のところもそうですし、節々にいるんですよね。

 私結構、波が激しくて、モチベーションも上がったり下がったりしやすいし、いつでも辞めれるなって思うんだよね音楽、本当に。このタイミングで辞めてればよかったなとか、辞めててもおかしくなかったなって思う。今でも明日辞めてもおかしくないぐらいの感じのモチベーションにね。急になんか、しゅんってなることもあるけど、やっぱ阿部さんとかさ、お世話になってた人を裏切るようなことはできないなって思うし。節目節目にその、救い上げてくれる人がいっぱいいるから。なんかもう音楽で頑張るしかないんだろうなって、音楽の道に引き返してもらってるなって思うから。

——ありがたいですね。

 いや本当にありがたいです。

誰かの人生に大きく関わっていってるなっていう変化

——お生まれから今に来て、現在の話を聞かせてもらってたんですけど、だんだん締めに入っていきたいんですけど。今、活動してて、これもちょっと既に話したところと被っちゃうかもしれないけど、「ああやって来てよかったな」ってすごく感じる瞬間とかって、あったりしますか?

 やって来てよかったな〜。そうだな……やっぱ喜んでくれる人が、増えてきたことかな。会っただけでさ「あ、MANAMIさんですか?」みたいな。なんかさ、「え、私なんかでそんな風に喜んでくれるの?」みたいな。そういうのが増えてきて。自分の価値が上がってきたっていうかさ。別にやってることはそんなに変わってないんだけど、周りの反応というかさ、会っただけで喜んでくれる人がいるなんてすごいことだなって思うし。ちっちゃい子供から、大人、おじいちゃんおばあちゃん、幅広い年代まで割とこう、愛してくれているというか。そういうのもすごい嬉しい。
 昔はやっぱさ、男の人しかいなくてさ。今もライブハウスに来てくれるのはどうしても男性のお客さんの割合が多いっていうのはあるけどさ。でも、女性目線の歌とかさ、女性にこそ共感してほしい歌もいっぱいあったりするのに、本来届いてほしい相手と届く相手が違うギャップというかさ。もっと若い世代にも聴いてほしいとか。そういうとこで結構、悩んでたりもしてたけど。なんか今は本当に幅広い人たちに届いてるなって感じるし、それはやってきてよかったなって思うこと。

 あとは、60過ぎのおじちゃんがさ、定年退職してとか、ライブハウスになんて一度も来たことない人が「初めてライブに来ました」って来てくれるようになって最近。だって、私と出会ってなかったらさ、絶対ライブハウスになんて来なかっただろうなっていう人たちが、そのね、年齢になって一歩踏み出してというか、ライブハウスに通ってくれるようになったりとか。しかも私だけじゃなくて、どんどん好きな音楽が増えていったりとかさ。なんか人生変えてるなって思うから、そういうのはすごい、やってきてよかったというか。誰かの人生に大きく関わっていってるなっていう変化みたいなのがあるよね。

——出会えた側の人ももちろん嬉しいだろうし、そういう影響を与えられたんだなって感じた瞬間ってやっぱこっちもすごい嬉しいですよね。

 そうだね。やりがいだよね。
 あとはライブでさ、たまにこう「今、空気変わったぞ」みたいな、感じる瞬間ってあるじゃん。

——ありますあります。

 あれが好き(笑)あれがたまらなく好き。なんか今空気変わったな、今すごい入ってるぞみたいな感じ。鳥肌が立つみたいな感覚に近いのかな。そのゾクゾク感みたいなのがたまにあるからさ。

——「完全に俺のターンだ」っていう(笑)。

 そうそうそう。今もう、なんか私のものみたいな、全て。あの瞬間が癖になっちゃう。

——それはやっぱり、どっちかというとライブハウスでやってる感覚ですかね?

 うん。うん。だからやめられないよね。

——歌う人、歌を作る人として……って聞こうと思ったんですけど、でもその前に「まなフェス」はじめ、やっぱり盛り上げ役というか、企画する人としてのMANAMIさんもいるじゃないですか。そこでまたこれからもやっていきたいな、みたいなのも?

 全然あるかな。それこそ昨年の「まなフェス」。あと「えむこね!」っていう、まねきの湯で、温泉と、好きなお洋服屋さんのmoja*っていう。moja*と、あと音楽、Musicで、Mで繋がるイベントをやって。
 企画ってさ、すごい大変じゃない……?(笑)なんだけど、ただただ好きな人を集めて、自分を好きって言ってくれてる人に、私自身が好きな人たちを知ってほしいとかさ。好きなものでどんどん繋がっていくのってすごい素敵なことだなって思うから。なんか企画をやりたい……やりたいというかただ「好き」で繋がっていきたいなっていう気持ち、なんだよね。
 主催じゃないと、誰か別の人が中心になってるイベントとかだと、なんかね、思いが……たどり着かないっていうか。やっぱ主催が一番思いが強かったりするじゃん。でもさ、誰かの主催のイベントに出るときって、同じ思いにたどり着けなくない? なんか、それがすごくね、もどかしくなっちゃうの。それでライブとか誰かの企画に出て、ライブすることもあるけど、自分発信じゃないと思いが強くなれないから。私はね、ひとに溶け込むのがあまり得意じゃないというか。自分中心が多分好きなんだろうなと思うんだよね。だからイベントもどんどん、主催でやりたいかな。

——ひとのイベントには、その人の伝えたいこととか、お客さんに感じてほしいこととかがあって、それに完全にコミットできてないっていうか、これでやっていいんでしょうか私、みたいなことは確かにある時もありますね。

 もちろん感謝とかリスペクトとかさ、呼んでもらったからお客さんにめっちゃ楽しんでもらおうとか、そういうのは当たり前にあるんだけど。なんかどうしても同じ思いの強さにはなれないなっていうので、勝手にもどかしいからね。

——それこそ自分が参加者側のイベントだと、たぶん新しい出会いとかの機会にはなるというか、こんな人もいるんだとか、バンドもいるんだとかにもなるけど。確かにでも、自分の好きなもので固めた空間だから、与えられる雰囲気とか気持ちとかもありますよね。それがオリジナリティになるんだろうなって。

 オリジナリティ、そうだね。もうさ、肩書とかさ、今まで増やしてきたというか、「MANAMIって言ったら」みたいな肩書きがあるとして、それをうまく利用するのが今だって感じなんだよね(笑)。そういうのを全部、今まで積み上げてきたもので、「私ね、こういう人をおすすめしたいんだよね」とか、それこそzanpanもそうだし、福島にめっちゃいいアーティストとかバンドもシンガーもいっぱいいるから、そういうのをどんどん、ライブハウス界隈だけじゃなくて、いろんなところに広げて繋げていきたいなみたいなのが、すごいあるかな。別にプレイヤーじゃなくてもいいかなって感じ。

——それはでも、自分がちゃんと積み上げてきたものだから。

 うん、使えるものは全部使ってやろうっていう気持ちだから、もし知名度がね、仮に少しでもあるんだとしたら、全部使って還元したい(笑)。自分自身もへなちょこなんだけど、ツアーで県外から来てくれたアーティストさんに、いい思いして帰ってほしいみたいな気持ちがすごい強くて。福島めっちゃ好きって言って帰ってほしいし。だからさ、せっかく来てくれたのにお客さんいないとかさ、したくないじゃん。だからもう、私でよければ力になりたいみたいな気持ちすごい強いし、MANAMIブランドを生かして(笑)的なことをそういう時こそさ。すごい思うなあ。

一曲、世に名曲を、誰もが口ずさめるような

——逆にというか、それも含めて、歌う人としてのこれから行きたい場所とか見てる先とかって、どんな感じですか?

 そうだなあ。もう大きなステージでやりたいとかさ、例えばフェスに出たいとか、武道館でやりたいとか、まあ漠然とはそりゃあ……立てたらラッキーぐらいの、本当にその感じなのね。でもメジャーデビューしたいとかさ、そういう気持ちもあるわけじゃなくて、だけど、自分が好きって思うアーティスト、めっちゃリスペクトしてる人と同じステージに立ちたい、って気持ちはすごいあってさ。同じステージに立った時に、それは前座でもなんでもなく、互角にというか、遜色なく張り合って戦えるアーティストになりたいっていうのがすごい強くて。それを福島でやりたいんだよね。
 福島にこんな人来るよ、その時にじゃあ誰、地元ぶつけるってなった時に「MANAMIだろ!」みたいな感じで、できるようにというか。そういう存在でいたいなと思うし、やっぱさ、どうしたらそうなれるのかっていうところを最近はすごい考えていて。平均点は多分、取ってきてて。曲もそれなりにまあ、悪くない曲やってると思うし、歌も別にめっちゃ上手じゃないけど、まあそれなりに聴けるだろうし、ただなんか「いいよね」が「めっちゃいい」になれてないんだなって最近気づいて。
 ライブも「良かったです」どまりだし、めっちゃは多分良くないとかさ。私がね、一番自分のアンチなのね(笑)結構客観的に見れる方だと思ってて。私自身がめっちゃアンチだから、お前こういうとこがダメだぞみたいなのが、なんとなく自分で分かるから。そこを突き詰めてというかさ、だから平均点取ってるだけじゃそれはここ止まりだわ、っていうのを最近になって特に思うから。じゃあもっとその先に行くにはどうしたらいいかなっていうのを考えていて。

 例えば、すごい人と歌うチャンスをもらったとしてもさ、じゃあ何歌うってなった時に、今歌える曲なんか一つもない。めっちゃすごいステージで一曲歌っていいですよって言われたとするじゃん、フジロックで一曲、歌えるチャンスもらったとして。何歌ったら掴めるか考えた時に、歌いたい曲がまだ一曲もない。やっぱ一曲でもいいから、どんなステージでも、ね、掴める曲というか会場中を沸かせる曲をさ。例えるなら瑛人の『香水』みたいな曲を一曲でも書けば、多分世界が変わると思ってて。それで一生食っていけるかもしれないし、とりあえず何でもいいから一曲、世に名曲を、誰もが口ずさめるような。
 それってすごいさ、チャンスがあることだなって思うんだよね。ずっと定期的に、めっちゃいい曲書き続けることより、宝くじで当たる確率(笑)分かんないけどさ、なんか一曲当てればいいって思ったら、意外と年齢制限もないし、なんかチャンスあるなって希望になってて。だから活動していく中で一曲でもいいから「これだ!」っていう曲を書くっていうのが最近、目標。で、どこでも戦えるっていう。

——それって誰にでもあるチャンスだろうし、絶対たくさん曲書いてる……どうだろう、書いてる人の方が有利かなって思ったんですけどそうとは限らない。

 限らない限らない。歌唱力系は諦めてて、いっぱいいるからね上手い人も。ルックスだって可愛い人もいっぱいいるし、じゃあ何で自分は戦えるだろうっていう武器みたいなのをさ、ずっと探してて。やっぱまだそれがないなっていう。zanpanがどうしたら売れるんだろうとか(笑)そういうことをなんか考えちゃうんだよね。楽しい。

——(笑)でも確かにその、ただの「好き」が「大好き」に持ち上がるのって、めっちゃ……難しいことなのかわかんないですけど。確かに例えばアイドルじゃないですけど、「推し」はいるけど、その「推し」が「最推し」になるきっかけって、何がきっかけになるかわからないとか。だから、もしかしたら演者側にはわからない何かがあるのかもしれないし。やってることの何がどこに繋がるか。

 わかんないよねえ。だから可能性、まだ捨てたもんじゃないなって思うしさ。今30歳だけど。10年後どうなってるかわからないしさ。だからね、一発逆転のチャンスはずっと狙い続けていたいなって思うかな。
 あと、私もラジオ結構好きで。ながいせんせもラジオが好きって。私はね、TBSラジオの「ハライチのターン!」っていうハライチのラジオがすごい好きなのね。そこで曲をかけてもらうことを、今一番のモチベーションにしてて。

——いいっすね。

 岩井さんがすごい好きなんだけど……澤部さんも好きだけど。岩井さんが曲振りで「MANAMIの〇〇」って言ってくれてるのをすごい妄想してて。岩井さんにタイトルコールしてもらってかけてもらう曲、どんな曲かなあとかさ(笑)絶対ね、そこにはたどり着きたいなって思う。

——それめっちゃ夢ありますね。その曲が、例えば『香水』みたいにならなかったとしても……それだけで。

 それだけでね。本当に曲作ってきてよかったって、思えるだろうしさ。一発、一曲当てたいよね。

——じゃあその日を夢見て、って感じですね。

 そうだね(笑)ただ波があるからさ、モチベーションを保ち続けるのが大変だよね。

——でもそういう、目標とか夢もそうだし、多分そういう阿部さんみたいな、掬い上げてくれる人がいるうちはでも、大丈夫なんじゃないかなって自分には、思いますけど。

 大丈夫かな〜。でもいつまでも頼り続けてるわけにはいかないしさ。あとはやっぱさ、後輩も増えてきてるじゃん、どんどん。今まではさ、自分が一番若かったし、背中を見せてくれる先輩というかさ、周りにいっぱいいたけど。下も増えてきてるから、なんか育てていこうとか思うわけじゃないけど、背中で語れる(笑)存在みたいなのになりたいよね。

——そっかあ。そういうことも考えなきゃいけないですもんね。

 共演するだけでさ、「この人がいてくれるだけでめっちゃ頼もしい」みたいなアーティスト、「この人たちいてくれるから何やっても大丈夫だ」みたいな、安心感ある人とかさ、いたりするけど。そういう風になっていきたいなって思うかな。aveさん、それこそDEFROCKさん、真琴さん。先輩、弾き語り界隈だとね、面白い大人たちがいっぱいいるからさ(笑)次うちら世代がね、面白いことやって繋いでいかなきゃいけないなとも思うしさ。

——そう(頼もしいと)思ってる後輩いっぱいいると思いますけどね。

 そうかな。まだまだ頑張ります。

——応援してます。

 いやいや(笑)一緒に頑張ろう。


MANAMI(まなみ)
1992年6月2日生まれ。福島県出身。
16歳から音楽活動をスタートし、オーディションでの入賞、ワンマンライブ、上京しての活動などを経験。
現在は郡山市を拠点に活動しつつ、地元企業のCMソングや番組テーマソング等で歌声を聞くことができるほか、ラジオ福島「Radio de Show」パーソナリティも務めている。
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