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【後編】こだわり抜き、納得できたワクワクを届けたい——THE EVESCAPEに必要だった8年間

前編は<こちら

だってそれで楽しんでくれてるんだから

——ちなみに軽くさっきお話があった部分ではあるんですが、ツインのボーカルギター、プラス同期っていうので、メンバーを探そうとかっていう気持ちはもう当初からなかった?

悠介 一切なかったね。とにかく俺は。
桂介 ひとつもないね。
悠介 そこはね、一緒だと思う。共通認識だと思う。

——「これでやれちゃうから」?

悠介 どっちかっていうと「これでやりたいから」かな。
桂介 ああほんと? こっちは、人とやりたくないから(笑)。
悠介 (笑)俺は、最初も言ったんだけど、「変なことやりたい」がちょっと強かったから、「これの方が面白いじゃん」って思って。

——やってる人もいないし。

悠介 そう。そっちの比重の方が高いんだ。今となってはやってる人もけっこういるジャンルになってきて、実際ライブハウス出ると「意外といるな」って感じるんだけど、まあオリジナリティはあると思ってやってるから、自分は。
桂介 そうなんだ。こっちはもう……人と関わるのが苦手すぎて、多分バンドとか他人とやったらもう、うまくいかないだろうなって。
悠介 (現に)うまくいかなかったからね。
桂介 そうだね。ドタキャンされるみたいな(笑)ことがいろいろあったから、「他人とやるのちょっと嫌だなー」みたいになってて。一人でやるって決めたのも結局そこですね。
 だから悠と一緒にやるってなったのは、悠とだったら多分ケンカにならないし……ここが仲良くなかったら、多分一緒にやってない。誘われても、「いや、一人でやりたいかな」ってなってたと思う。

——「バンドの編成として人との関わりを少なくしたい」っていう気持ちと、「対フロアとしてエンタメを届けたい」っていう気持ちって、まあ相容れないわけじゃないけど、ちょっと違うじゃない。そういうスタンスでやってた人が、そのエンタメ性をどこで育んできたんだろうって。

桂介 ああ〜(笑)なるほど。確かにね。でもそれは、ちっちゃい頃から人のことを楽しませるのは好きだったんですよ、わりかし。多分よくある話だけど、すげえことしたいし、人にすげえと思われたいけど、「どうせ俺なんか」みたいな気持ちも混在してる中二病みたいな時期が長くて、俺は。
悠介 ずっとそうじゃない?(笑)
桂介 今でもそう(笑)。っていうのがあった中で、ちゃんと人に対して……ある種切り替えてできるようになったのの一番でかいのは、高校の部活かな。演劇部に入ってて。

——へえー!

桂介 高校時代は軽音楽同好会。「同好会」に籍は置いてたけど、「部活」は何も入ってない帰宅部だったんですけど。仲いい友達が「お前ちょっと、演劇部入ってみない?」っていうので、「入んないけど遊びに行くわ」っていう感じで、半年くらい「なぜかいる人」みたいになってたんですよ(笑)入ってもないけど。
 なんなら、演劇部の男女比がめちゃくちゃ分かれてて、男子5人くらいしかいなくて、女子が30人くらいいるみたいな部だったんですけど。女子とは喋るのが苦手だったんで、男としか喋ってなかったから、「男5人は知ってるけど女子はほとんど誰も知らねえ奴」がなぜか部室にいる状態が半年くらい続いてて(笑)。
 俺はそれで全然楽しかったからよかったんだけど、ある日の朝、担任から「お前演劇部入ったんだってなあ!」って突然言われて。「いや知らないです」「遊びにしか行ってないです」って言ったら、演劇部の顧問が勝手に俺の名前で入部届を出したらしくて(笑)。

悠介 入部届ってそんな出し方……(笑)。
桂介 そう、勝手に俺の名前で出されたらしくて、知らんうちに入部させられて。「今日からお前は部員だ」みたいな感じになって。それで、演劇部に入って。
 裏方じゃなくて演者だったんで、ステージ立つ機会も何回かあって。どうせやるならそれこそ完璧主義者じゃないですけど、ちゃんとやりたいなと思ってた。そこが、人に対して何かをするっていうののきっかけっていうか。「やりたかったけどできなかったのが、無理やりやんなきゃいけなくなっちゃったから、できるようになった」みたいな感じですかね。

——それが一人に立ち戻ったときに、胸張ってできるものがあるとしたら、音楽だったな、みたいな感じ?

桂介 そうですね。もともとバンドをやりたいって思ってたから、より胸を張ってできるようになったって感じかなあ。
 今でこそステージではっちゃけてわーきゃーやってるけど、もし自分一人でバンドやってたら、もうちょっと違うニュアンスの人になってたと思う。どっちかっていうと……影のある人、みたいな。最近の顔出さないミュージシャンみたいなスタンスになってた気がする。

——なるほどね。悠介さん的には、自分の中のエンタメ性みたいなものは?

悠介 エンタメ性はねえ……元から好きだったのかなあ、俺の場合は。さっきちょっと話出たけど、その仲間内でやってた変なダンス踊る会が……。
桂介 怖すぎんだよな(笑)。

——俺も「うんうん」って今聞いちゃってましたけど(笑)。

悠介 (笑)。うち、1回だけ引っ越したことがあって、元々たいらに住んでたのが、車で40分くらいの泉っていうところに引っ越して、学校が変わったんだよね。それが小学校3年くらいの時で、その時に突然そのダンス愛好会の、のちに会長になる奴に、「お前、面白いから一緒になんかやんない?」みたいな感じで引き入れられたの、仲間に。ガキ大将みたいな奴なんだけど。転校したタイミングで友達もあんまいなかったから、それで仲良くなって、そっからダンスやったり、のちに高校の時にバンドやったり。

 で、そのあとも……中学高校って応援団の団長やったり、中学の時は生徒会長とかもやったから、もともと人前に立つのは多分好きなんだよね。遡れば多分、いわゆる漫画、アニメとか、SF映画とかが好きで、そういう「主人公」みたいなのに憧れがあったんだとは思う。

桂介 そもそもだってさ……「人前に立つ」とはちょっとずれちゃうけどさ、化石好きになったのも『ジュラシック・パーク』からじゃない?
悠介 そう。映画の影響なんだよね。単純に「化石が好き」っていう最初じゃなくて、映画の『ジュラシック・パーク』がめっちゃ好きで、それで恐竜好きになって。だから今思えば、『ジュラシック・パーク』みたいなのが好きだったんであって、恐竜の化石を研究するのはそんなに好きなんじゃなかったのかなとも、ちょっと思う。

桂介 だからちっちゃい頃の将来の夢を「古生物学者」ってしてたのは。
悠介 そう、『ジュラシック・パーク』の主役のアラン・グラント博士っていうのがいるんだけど。
桂介 あれになりたかったんでしょ。
悠介 それのイメージだった、学者っていうより。いわゆる『インディ・ジョーンズ』みたいなやつだよね。
桂介 そうそうそう。どっちかっていうと、アクションしてる側の(笑)学者という名目で主役やってる人。
悠介 あれになりたかったんじゃないかなって。

——冒険にピントが合ってたんだ。

悠介 そうだね、そう思う。ちっちゃい頃はそんなのもわかんないからね。
桂介 「生物学者になればああいうことできる」っていう。
悠介 ていうか、大人になるくらいには恐竜復活してんじゃねえかなって思ってた(笑)科学が進んで。でもまだダメだったね。

——でも結果としてそれが、音楽やるっていうところに結びついていく。

悠介 そうだね、「人前に出る」みたいなのは。ただ別に目立つのが得意なわけではないんだよね。人前に出るのは好きなんだけど、人と喋るのは苦手だし。
 だから……道化に近いかな(笑)。何かしらの深いコミュニケーションがあっての人との繋がりっていうよりは、不特定多数に向けての何かスピーチをしたりとか、出し物をしたり、みたいなのが好きな感じかな。

桂介 ちっちゃい頃に親とかも言ってたし、俺も若干思ったりとかもしてたので言うと、よく「人に笑われてんの嫌じゃないの?」みたいな話はけっこうしてたよね。
悠介 そう。親にそういうふうに言われることが多いんだけど、好きなんだよ。
桂介 だってそれで楽しんでくれてるんだからいいじゃん、みたいな。
悠介 バカにしてる笑いじゃないからね、基本的には。
桂介 そこはやっぱ道化みたいなものもあるよね。ヒーローになりたい、みたいな、主人公感。結局『ジュラシック・パーク』の主人公も道化みたいな雰囲気もあるし。

悠介 そう、あと『Mr. ビーン』好きだからね。
桂介 それは話変わってくるな(笑)。
悠介 (笑)そういう部分ある気がする。
桂介 『Mr. ビーン』のせいでブラックな尖り方になってるのかもしれない(笑)。
悠介 なるほどね。こっちは目立つのは別に嫌いじゃなかった。

「地元じゃなくても、評価されて呼んでもらえてるんだ」

——結果として今……最近ちょっと俺はご無沙汰ですけど、イブスケのライブの現場って本当にみんな、割とまんべんなく笑ってるじゃないですか。

悠介 そうだね、ありがたい話だ。
桂介 ありがたいよね。

——それってでも、最初からやれてたわけじゃないですよね、きっと。

悠介 そうだね。最初は尖ったMCしてたり(笑)「なんだコイツ」みたいな時もあったね。

——そこはどう培っていくのかなって。

悠介 なんだったんだろうね。ただ、けっこう早い段階で「なんだあいつら」みたいな笑いが起こることは多かったんだよね、やってる形のせいで。それがいつしか、そのライブ自体が楽しいっていう笑いに変わってったんだと思うんだけど……そのタイミングがいつだったんだろう。自分らでも、なんか変わったかな?

桂介 きっかけじゃないかもしれないけど、パッと思いつくのは……最初の頃は何も分かんない、どうライブしていいかも分かんない、MCも何言っていいか分かんない、自分らがやってるのがかっこいいと思ってもらえてるのかも分かんないみたいな感じで。その頃、俺まだ19歳だったんで、打ち上げでもお酒とか飲めないし。
悠介 そうか。
桂介 だから喋るのもできないし、みたいな。ただ居るだけみたいな感じになってた時に、確かソニックの……誰か分かんないんだけどスタッフさんがAADの青木さんに、「なんか面白い新人バンド来たから、今度のライブ観に来てみたら?」みたいなこと言ってくれたらしくて。
悠介 あったね、あったあった。

桂介 で、次のライブの時に青木さんが観に来てくれてたんですよ。その時に青木さんが「めっちゃいいじゃん!」「なんか変なことやってんね」みたいな感じになって、興味を持ってもらって。その辺から青木さんに……すぐじゃなかったかもしれないけど、良いって言ってもらえた、みたいな。
悠介 あの時は「曲もいい」って言ってくれてたね。
桂介 そうそうそう、「めっちゃ好き」みたいな感じで言われて。そっから「青木さんがいいって言ってんなら、俺らもちょっと聴いてみようぜ」みたいなふうに広がった感じはする。

悠介 その時AADのこと全然知らんかったけどね。
桂介 そう、全然知らないけど、なんかソニックによく出てる人から「いい」って言ってもらえた……みたいな。それで、多分青木さんがいなかった状態で俺らがライブをずっと続けるよりもずっと早いペースで広がったんだよ、他の人に。
悠介 確かにそうだね。

桂介 「なんかあいつらってすごく曲も良くて面白いよね」みたいなイメージが先に。
悠介 多分そうだね。
桂介 ライブ見るより前に、ソニックのバンドマンの人たちに「そういう人いるらしい」っていう噂が立ってくれたから、俺らが素直にやったライブが「あっ、本当だ、面白いね」「俺ら話聞いてたんだよ」みたいな感じで受け入れられたのが、本当の最初のきっかけかな。
悠介 最初はね、物珍しさもでもあったと思うんだよな。どこで変わったんだろうって思うんだけど。

——「でもウケがいいらしいから、なんとなくそっちの方で合ってんだな」みたいな感じに。

悠介 そうだね。自分らの中ではそうか。
桂介 タイミングが明確にいつだったかはわからない。でも確かに好奇の目で見られてたところから、「単純に良い」になった……いつくらいだろうねえ。

悠介 ちょっと順番がわかんないんだけど、活動し始めて1年ぐらいで郡山に出始めたタイミングがあって、シャープナイン(CLUB♯9)に最初は出て。
 それまではさ、ソニックにずっと出てたから、「地元だからかな(この反響は)」って思ってたの。で、郡山に最初アプローチかけたときにはこっちから電話して。ブッキングがその時萬屋(ホリカワタツキ)さんだったんだけど……「萬屋さん」っていうか「萬屋」だったんだけど(笑)その時は年上だと思ってたからね。あいつが「全然、出てくださいよ」みたいな感じになって、それで出させてもらって、シャープナインに。

 その後に何回かシャープナイン側から呼んでもらう時があって。「あ、地元じゃなくても呼んでもらえるんだ」「評価されて呼んでもらえてるんだ」みたいな部分の自信がついたのは、そういういわき以外の場所に出るようになったからかも。そこからトントン拍子で……あの後は越谷かな。そんないっぱいは出なかったんだけど、2回ぐらい呼んでもらったりして。

 そういうので少しずつ、1年ちょっとし始めたぐらいからソニック以外にも出るようになって。初めて見る人にも認められて、2回目以降また呼ばれるんだっていうので、自信になった部分は個人的にはある。

——勝手知ったる場所じゃなくても。

悠介 そうだね。
桂介 なんなら自分らではそんなふうには思ってなかったけど、早い段階で遠征いろいろ行き始めて、「あいつらいわきより別のとこの方が好きっぽいよ」みたいな空気なかった?(笑)
悠介 若干あった(笑)。
桂介 「いわきより楽しんでないか」みたいな。

悠介 俺ら別に、やり方わかんなくて呼ばれるがまま行ってるだけだったんだけど。ソニックで仲の良い先輩がその時まだ ……AADは仲良かったけど、そんなにいっぱいいるわけでもないし。ソニックで繋がりを作る前に、勝手にいろんなとこ行ってんなあ、みたいな感じになってた時期があって。
 そういう意味では自信にもなったし、ソニックに戻ってきた時にそれを還元できたっていうのはある。地元でやる自信にもなった。

桂介 うちがソニックにちょうど出始めた時期に、バンドが多分あんまりいなかったんだよ。なんならそれまで出てた人もちょうど活動がちょっとゆっくりになってきた時期だったから。
悠介 レモン汁。とか。
桂介 そうそう、だからソニックは「新人が久々に出てきたから、いろいろやってあげよう」みたいな空気だったけど……。それまで「ソニックのバンド」のイメージとしてよく出るようなバンドが出てなくて、そこと繋がれないままずっとやってたみたいな。
悠介 どのイベントと合うのかもわかんないし。
桂介 変な奴らだし、みたいな。結果AADと繋がれたけど、その他のバンドとつながるのってけっこう時間かかったはず。
 それこそ俺の同世代はほぼいなくて、いわき。兄貴の世代のバンドが、Lady 2 Years、レモン汁。、ちょっと下だけどecho、ちょっと上だけど 虫唾が走る ……。あの辺のバンドが軒並み、あんまり活動してない雰囲気だった。だからそこと繋がるのもちょっと時間かかって、馴染むのも遅かった感がある。

悠介 あとやっぱり喋るのが苦手っていうのもあって、ライブハウスの人に相談もしなかったんだよね。普通のバンドだったら、例えば楽曲のこともそうだけど、「他のライブハウス行くにはどうしたらいいですか」とか。本当に何も知らなかったら相談するべきだったんだけど、何も相談しなかった気がする。それが苦手で、勝手にいろいろやってたから、ソニック側からも「あいつら勝手にいろいろやれんじゃん」って感じになっててね。

桂介 「お互いがお互いを割と想ってんだよ」っていう認識ができたのが、多分2年目とか3年目。
悠介 そうだね。その辺になってくると、うちも外でやり始めて、ちょっと自信ついてるからソニックでも堂々とできるようになってた……そんな感じかな、流れとしては。最初自分たちだけでいろいろ試行錯誤しようとして悩んだ期間があったから、自信になった、っていう部分はあるかもしれん。
桂介 これって「自信持ったのがいつから」っていう話だっけ?(笑)だいぶ逸れちゃった感じがしたね。

——まあでも、その2~3年ぐらいでちょっとずつ扉が開いたというか。

自分らのバンドが一番変わった実感があった

——ちょっと大枠の質問になっちゃいますけど、そっから今にかけての期間っていうのはどんな印象があるんでしょうか。

悠介 そのあと4~5年は、多分だけど大体の人が見て「いいバンドだな」と思ってくれるようにはなった。ただそこから先がなかなか繋がらない状態……お客さんもつかないし。

——良くも悪くも、ちょっと落ち着いてる感じ。

悠介 が、すごくあって。何しようかなってなった時に、それこそ楽曲出したりグッズ作ったり、PV作ったりってなると思うんだけど、なかなかそれができなくて。ライブの本数だけはめっちゃ入れてたから、パフォーマンスを磨く方にシフトした感はあるかな。

 見せ方、例えば衣装もそうだけど、うちけっこう、最初は衣装適当だったんだよね。派手に見えるとか、面白く見えるような衣装をちゃんと着るようになったのは、その停滞期があったからかな。あとやっぱ演奏する時の見え方は、かなり意識したかな。動きとか表情とか、歌い方とか弾き方とか。

——その辺って、気づいてからフィックスしていくまでがけっこう大変なんですよねえ。

悠介 そうねえ。うちは一時期すんげえ気にしてた時があったんだけど、ドラムがいないじゃん。ドラムがいるバンドといないバンドってさ、フロアからの見え方が全然違くて。やっぱ派手に見えるんだよね、ドラムがいると、真ん中が動いてるから。
 だからやっぱ打ち込みのバンドとかって、真ん中に旗を置いたり看板を置いたりみたいなバンドけっこういるんだけど、うちはそれがなかったから、なにでじゃあここのギャップを埋めようってなったら、やっぱ真ん中で背中合わせて二人で弾くとか、ライブ中も動き回るとか。
桂介 なるべく寂しく見せない工夫を。
悠介 手作りのお立ち台を置くとか、っていうのを工夫し始めたのがその辺かな。

桂介 今ふと思ったんだけどさ、ちょっと話が前後しちゃうんだけど、さっきの「2~3年で広がった」っていう話なんだけど、CALLINGがでかい気がする。
悠介 ああ、そうだ! 忘れてた! そうだ、それ一番でかいわ! あれ、2年目ぐらい?
桂介 2〜3年かな?いつだったろう?
悠介 「福島CALLING」(福島・郡山・いわきの交歓イベント)あったじゃん。あれが一番でかいわ。

——ああ〜〜うんうんうん!

桂介 なんならそれが、そのステージの見え方の工夫とかにも繋がってきてる感じ。
悠介 あそこで他のライブハウスとかバンドの意見聞いたりとかね。
桂介 自分らのバンドが一番変わった実感があったのがあそこかもしれない。

悠介 今思ってもそうだわ。いまだにそうだわ。
桂介 一番でかかったのがあれかもしれない。
悠介 今後もねえかも。
桂介 そんなことはねえだろうよ(笑)困るわ(笑)。
悠介 (笑)そのくらいでかかった。明確にガラッと変わったのは確かに。
 あと本当の意味で仲の良いバンドができたのもあれが最初だと思うよ。アキレスと亀とか、GREENBACKとか。

桂介 あの時出てたのは、アキ亀、GREENBACK、cigarette、だいちゃん……。
悠介 地元はもうひと枠出るっていうのもあったよね。仲良くなった気がするけど……覚えてない。

——仲良くなってないんですよ(笑)じゃあ。

悠介 (笑)でもけっこうそこでバンドマン同士で仲良くなったのが、未だに繋がってる。

——2019年かな?

悠介 ああ、じゃあ3年目だ。
桂介 そこかな、転換点。
悠介 アナザースカイ。
桂介 (笑)アナザースカイは話変わっちゃう。でもあれがあったことによって、本当の意味で仲間みたいなバンドマンと繋がった感じがする。
 それまではこっちから距離を取ってた感じ。それこそAADとかトゥーオーバー(to overflow evidence)とか、先輩は先輩って感じだったし。そういうのがなく「仲間」って感じで、こういう繋がり方できるんだ、みたいな経験ができたから、逆に今、先輩だからって壁を作ってた人とも、より一歩踏み込んだ仲になれたっていうきっかけではある。

悠介 忘れちゃダメだったね。
桂介 それがあったから逆に、負けん気みたいなのもあって、ステージどう見せようとかそういう話に繋がってる感じがする。「あのバンドに負けたくない」。
悠介 確かに確かに。そうだな、そこまでは他のバンドの動向をあんまり気にしてなかった気がする。自分らのことで手一杯だったんだけど、それ以降SNSとかで「このバンドって今どんなライブやってんだろう」みたいなのが気になりだしたのが、そこがきっかけっていうのもあるかもね。

——仲良くなるってことは意識するってことだし、意識するってことはやっぱりライバル的な感じにもなるし。

悠介 確かに大きいな。アキ亀とか最近あんまりやってないけども。

——今となってはアキ亀も、ちょっとイブスケと似たスタイルになってるし。

悠介 そう、変わったことやってるから、あのアキレスともやりたいけどね。

——最初の3~4年くらいで扉を開いて膨らんでいくフェーズがあって、そこからちょっとこう鍛錬のフェーズがあって。

桂介 武者修業だよ、そこからは。
悠介 長いけどな。

——そっからじゃあ今どういうフェーズかって言ったら、それを踏まえた上での。

悠介 そう、自分たち起点で、何かをやっていきたい。遅いけど、やっていかなきゃいけない時期だなって。
桂介 溜めに溜めたパワーをバーンって出すタイミングに差し掛かってるって感じがする。

——そう考えるとでも、必要な時間だったような気は。

悠介 自分たちでは無駄じゃないとは思ってて。イブスケにとって必要な時間が8年だったっていう感じで。
桂介 (笑)それはある。
悠介 いやあ、助けを求めねえからなんだよな(笑)。もっと上手い奴が早くできるんだよ。

——Flagmentで伺って回っていても、「ある程度しっかり企みがあって、野望があって」っていうアーティストと、「そういうのはないけどとりあえず続けていくよ」っていうアーティストと大きく分けられると思うんですけど、じゃあどっちかっつったらこっち(前者)ですね。

悠介 野望はあるけど、戦略的ではない気がする。
桂介 そうだね。絶対ダメじゃん(笑)。
悠介 (笑)戦略的にしようっていう意識はあるんだけど、少なくとも今までそこまで戦略的にやってきたかっていうと、そうでもないかな。
桂介 考えてはいるんだけど。
悠介 その都度その都度必死にやってるだけかなって気はする。
桂介 そんな感じはあるね。

悠介 ただ見え方は意識してるかなあ。プロモーションとかそういう意味では全然まだまだなんだけど、うちのやり方は。見え方は気にしてる、特に桂介がすげぇ気にしてて。
 これは笑い話なんだけど、「Wikipediaに悪評書かれたくない」っていうのが本当に活動始めてからずーっと言ってて。うちが売れてWikipediaの記事ができたときに、概要欄に炎上の話が載りたくないってすげぇ言ってんの。
桂介 それはね、もうないよ。
悠介 今もうない?
桂介 なんなら今は別に載ってもいいかなぐらいになって。2~3年くらい前まではそう思ってた。コロナくらいで変わったかも。
悠介 あー、なるほどね。

桂介 これに関しては悠も分かった上で言ってると思うんだけど、例えば……俺が女性問題で炎上するとか、犯罪みたいなのとかで載るんじゃなくて。
悠介 じゃないでしょ。うん。
桂介 俺らが思ってる美学から逸れたことをやりたくないよね、ってこと。
悠介 コスく見えること。
桂介 そうそう。

悠介 例えば「アイドルとコラボしました」みたいな……あっ。いや、それをコスくやってない人もいるけど(笑)。
桂介 (笑)。
悠介 何を言ってももう今、悪く聞こえちゃうけど……(笑)。
桂介 (笑)敵を作ってしまってるからあれなんだけど、まあそういうことよ。俺らは自分らが「このアイドルめっちゃかっこいいからコラボしたい!」と思ってコラボするのはいいけど、「ちょっと人気にあやかってコラボしたい」みたいなのは嫌だから。胸張って言えるならやるけど。

悠介 それが戦略だっていうのはわかってるけど、自分らの納得がないとってことだよね。
桂介 そう。そこがかなりでかい。何の活動においても、自分らが納得できないとやらないって決断することは多い気がしますね。というか、やっても結局「やっぱ違うね」ってなることの方が多い気がする。たとえやったとしても……試すのも大事だけどね。そういうことよ。Wikipediaに悪評が載らないようにって言うのは。
悠介 わかるよ、それはわかってる。てかそういうアーティストをお前が好きじゃないだけで。
桂介 (笑)そう。

悠介 いや、でも頑張ってんだよな、そういう人らも頑張ってんのはわかんだけど。
桂介 それはそういうやり方なだけで。まあでもね、俺らが言える立場になってからしか言えないから(笑)俺らより上の地位にいるってことは俺らより頑張ってるってことだからね。
悠介 そうなんですよ。

何やってもうちのカラーって多分どっかに感じてもらえるんだろうな

——見せ方の部分での話もけっこういっぱい伺えたのですが、曲作りとか制作方向での変化みたいなのってあったでしょうか。

桂介 ちょっとはあるかな。
悠介 ジャンル的な意味での変化はけっこうあるかも。
桂介 派手な曲が増えたみたいな?
悠介 うん。特に俺は、最初の方に作ってた曲は、やっぱその直前まで聴いてたいわゆるグランジとか、あとちょっと暗めの洋楽オルタナみたいな曲とか。あとはいわゆるブリットポップみたいなのとか、そういうのに影響を受けてるのが多くて。実際このバンドにもそういう曲を持ち込んでたんだけど、求められてるものが違ったりして、イブスケのカラーに合わせるならっていう意味で少し変えてる部分はある。
 ただ別にそれは「自分はあんまり好きじゃないけど頑張ってそういう曲を作ってる」とかじゃなくて、自分の好きな曲・ジャンルの範囲の中で、今まではこっち選んでたけど今はこっち選んでる、っていうだけの話なんだけど。
桂介 なるほどね。
悠介 そこはイブスケのフェーズにもよると思うけど。今後そういう暗い曲めっちゃやりたいシーズンがイブスケの中で来れば、その時はそっちを選ぶけど。「今はこっち」っていう感じ。

桂介 その話を聞くとそんなに根底違わないのかな。暗い曲も好きだからさ。
悠介 「暗い」のジャンルが違うんじゃないの。
桂介 確かに、乾いてるか湿ってるかの違い。
悠介 ニルヴァーナ絶対聴かないじゃん(笑)。
桂介 (笑)聴かない。苦手。
悠介 俺はニルヴァーナめっちゃ聴くから。
桂介 そうね、俺はもっとなんかドロッとした暗さが好き。V系通ってたから。あんまり暗い曲ないじゃないですか、うちって。でもそれって多分出してないだけで、自分らのストックにはめっちゃある。
悠介 レパートリーとしてはね。
桂介 今がそのフェーズじゃないだけで。だから曲作りをする上で、あんまり意識的に変わってる感じはしないな、曲調の部分では。

悠介 「出すかどうか」ってこと?
桂介 そうそうそう。例えば「ちょっと盛り上がってきたから盛り上がるような曲作ろうぜ」って感じよりは、「盛り上がるような引き出しの曲を持ってきただけ」みたいな。変えたっていうよりは、特に俺はなんですけどストックがけっこういっぱいあるんで、そこの中から「じゃあこの曲持ってこようね」みたいな感じで。「曲作り」は特に変わってない感じがする。
悠介 特にお前はそうだね、出してない曲もいっぱいあるから。いっぱい作った上で今回はこれ選んでるっていうだけで。作ってるジャンルの幅はめっちゃ多い。

桂介 唯一あれかも、『Tomorrow』だけは明確にウケを狙って……「ライブでみんなわーってなる曲が欲しいな」、で作った。ライブでやった時にこういうメロディだったり、みんなで歌うパートみたいなのがあったら楽しいだろうな、っていう。
悠介 だからそのぐらいからお客さんの反応を見て曲作り始めたってことじゃない?
桂介 でもデモ作る時は意識あんましてないんだよね。
悠介 ああ、そうなんだ。

桂介 例えば「こういうお客さんが最近多いからこういう曲調にしよう」みたいな作り方はしてないんだよね。自分が曲作ってて「あっ、最近なんか明るい感じのフロアが多いから、そこに合う明るい曲やろう」みたいな感じで。作る時に意識して変えたというか、ライブの影響を受けて作った曲は『Tomorrow』だけかもしれない。
悠介 なるほどな。
桂介 他は自分の中にあったものを作ってるだけで。だからあんま変わった感はないかも。意識はしてるかもしれんけど。だから意識しないで変わってはいるかも、逆に。

——強いて言えば、『Tomorrow』が何が違うかって言ったら、「その背景になってるキャンパスがイブスケである」っていうこと?

桂介 ああ、ニュアンスとしてはそんな感じかもしれない。曲作る時は、自分が好きな曲をただ作る感じに近いんですけど、『Tomorrow』はイブスケとして作った感じかも。
 悠は、自分の最近作ってる曲は?
悠介 今作ってる曲とかは一応イブスケの今のカラーを意識してはいるかなあ。意識しちゃってるなあ、悪いか良いかはわからんけど。というか、意識しないと作れないんだよね、自分の中の手札だけで作っちゃうと、やっぱ暗い曲になっちゃう(笑)。

桂介 不思議だよね。あんま暗い曲聴いてるイメージないんだけどね。
悠介 なんか昔のTHE BACK HORNみたいな曲になっちゃうんだよ。ギタースキルはあるかも。
桂介 ああ、そういう曲しか弾けないから作っちゃう。
悠介 「下手くそだからグランジ好き」みたいなのあるじゃん(笑)そういう部分はちょっとあるかも。ただやっぱりそういう曲になっちゃいがちだから、それを補正する意味でイブスケのフィルターを入れてるのはある。

 あともう一つ意識してるのが、桂介の曲って曲全体がキャッチーなんだよね。楽器から作るから、ギターのメロがもうキャッチーだったりするのよ。逆にこっちはメロディか、もしくは歌詞に一箇所でもキャッチーな部分があればいいかなっていうので作ってる。そこはすげえ意識してる。

——面白い。

悠介 だから、『思い通り』っていう、「そうじゃないな そうじゃないな」ってサビで歌ってる曲があるんだけど、それとかは目論見どおりにいったなって思う。思った以上ではあったけどね(笑)思った以上の反響ではあったけど。どっか一箇所でもキャッチーであれば、逆にそれ以外は削ぎ落としてる感じはする。

桂介 曲作るプラットフォームがさ、兄貴は弾き語りで俺はリフから作る。兄貴はメロと歌から、どっちかっていうとシンガーソングライターみたいな作り方なわけじゃん。歌詞とかメロディのイメージがあって。こっちはプロデューサー・編曲家みたいな感じの作り方してて、メロディはほぼ最初からない……その点でも『Tomorrow』は違うかもしれない。『Tomorrow』はメロディから作ったんですよ。

——へえ〜!

桂介 あれだけはメロディから作ってる。
悠介 だからキャッチーなんだ。
桂介 あれ以外の曲はDTMでギターを弾いて「こういうフレーズかっこいいな」って広げて。メロディない状態のオケが完全に完成してから、鼻歌でメロディつけて、最後に歌詞乗せるって感じなんで。
悠介 ギターのリフがキャッチーだもんね。特にさ、お客さんがさ鼻歌で歌う時もさ、『HAZE』とかはさ「♪〜」ってお客さんがリフで歌ってくれるけど、『Tomorrow』は「トゥモロ〜」って、歌で返ってくるから。
桂介 そこはキャッチーな部分が違うから。そうだね、それはあるわ。

——そんなふうにフックの大きさとか場所が違っても、全体で見たらちゃんとやっぱイブスケになってるのが。

悠介 上手いこと噛み合ってる感じはしてるね。

桂介 『Butterfly』ってあるじゃないですか。一時期俺はあの曲めっちゃ嫌いで。

——ええ〜。

悠介 ちょっとふざけて作った曲なんだよ、あれ。
桂介 バンドでやるつもりなくて。元々たまたま俺が「ちょっと暇だったから面白い曲作ろう」っていうパートに自分でなってて、兄貴がユーロビートめっちゃ好きだったから、「じゃあこういうのをちょっと一回実験的に作ってみようかな」と思って作って、兄貴に「こんなの作ってみたら面白くない?」って言って、「すごいねー」、で終わってた。
悠介 内輪でワイワイやってただけなの。その前後にはなんかすげえシンフォニックメタルみたいな曲とか(笑)ネタ曲がいっぱいあったの。
桂介 「引き出しを増やすためにちょっと面白いことやろう」みたいな遊びだったんだけど、でもその中でも『Butterfly』はキャッチーだったから、「一回ライブでやってみっか」で出したんだよ。そしたらウケちゃって……。

 別にそういう曲も好きだし、作ってるし、やるのは楽しいんだけど、「面白バンド」みたいになっちゃうのが嫌だなって。それこそさっきのWikipediaの話と一緒で、面白バンド枠って自分の美学と違うから。「『Butterfly』をやるバンド」みたいに思われたらやだなって一時期ずっと思ってた。

 さっきの話に繋がるんだけど、クロール(渋谷CRAWL)に出始めてから、ヒロシさん(現・同店店長)に「俺『Butterfly』嫌いなんすよ」みたいな話をしたことがあって。「色々こういう曲もあったりとかして、俺らはこういうのをやりたいんすよね」みたいなこととかを話してるうちに、ヒロシさんから「いや、でもイブスケがやってる曲って多分、聴いてる側はどんな曲やっててもイブスケっぽさ感じてるから、そんなに『Butterfly』だけどうこうって意識しなくてもいいと思うよ」って。「あれもイブスケの曲の一つとして受け入れられてる気がするよ」って言われて。「ああ、じゃあまあやってもいいか」ぐらいの心の変化はあって。

 そっから、何やってもうちのカラーって多分どっかに感じてもらえるんだろうなっていう自信を持って曲を出すようには、なった気がしますね。

——うん、それは本当その通りだと思う。

桂介 やっぱね、自分らじゃわかんねえことあるよね。聴いてる側からはさ、やっぱ感じ方違うんだろうなって。


——「これ訊きたいな」と思ってたことはだんだん訊けてきました。

悠介 よかったよかった。何も提供できなかったらどうしようかと(笑)。

——いやいやいや(笑)。逆に「これ喋りたかったんだけどまだ喋ってないわ」みたいなことがあれば。

桂介 いくらでも喋りたい感はあるけど(笑)喋るのは好きだから。こういうインタビューって、ほぼ初めてだし。自分のこと話すの好きなんで(笑)喋りたがりなんで、いくらでも喋れるけど。なんか言いたいこととかあるかな……。
悠介 俺はもうそんな感じかな。あとは雑談になっちゃうからね(笑)。
桂介 雑談しか残されてないかもしれない(笑)取材という面ではそのくらいかな。
悠介 そうだね、THE EVESCAPEについては、とりあえずは語り尽くしました。

——わかりました。ありがとうございました!

二人 ありがとうございました!

THE EVESCAPE(ザ・イブスケープ)
兄弟ツインボーカル&ギターバンド。2016年8月結成。「ロックスター」の信念を土台に、多彩にジャンルを織り交ぜながら独自のエンターテインメントを追求。フロアとの一体感に富んだステージングも特色。

村上桂介(むらかみ・けいすけ)
1997年1月15日生まれ。福島県出身。
村上悠介(むらかみ・ゆうすけ)
1993年10月10日生まれ。福島県出身。

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Flagment - インタビューマガジン
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