人は下ネタを話す時になぜあんなに楽しそうにするのか(下ネタ注意)
なぜ下ネタが面白い=楽しいと感じるのか。
前回の記事は少し重い内容になってしまったので、今回はライトな内容にしようと思います。(ライトな話題か?)
例えば子供が「うんこ!」「ちんこ!」を嬉々として連呼する理由をインターネットで調べました。
そしたらこんな内容がありました。
例『子供が今、一番興味があることを言葉にしたがるのはごく当たり前のこと』
なるほど、確かに一番興味のあることを言葉にするのは自然だ。私は根っからのスケベ人間なのでわかる。四六時中そんな言葉を放ってられる。実際、週に10回は「ちんこ」と発言している。
例『「うんち」などの下品な単語は、社会生活ではタブー視されている言葉です。つまり、タブーに切り込むことで周りの人がどんな反応をするかを試しているのです』
なるほど、確かに社会生活で用いるには適さない単語だ。
その小さなタブーを越えた先や社会の目が届かない場所で放つ下ネタは背徳感がある。
だからそれは誰にも知られない飲み屋の片隅で繰り広げられる。
それはコソコソと悪口大会をするのや秘密を暴露しあうことと変わりないのではないか。
例『1人が言うと、もう1人も言う、それが次第に連呼となり、幼稚園のお友達同士で大盛り上がりということもよく聞きます。親にとっては止めてほしい言葉類ですが、子ども同士の連帯感につながっているのはたしかでしょう。俗にいう「悪ノリ」です』
なるほど、確かに前述した通り、タバコを憶えたての高校生達のように一緒に悪さするような、まさに「悪ノリ」環境下で連帯感は生まれやすいのかもしれない。
しかし我々は大人だ。ところ構わず下ネタを連発してはならない。TPOをわきまえなくてはならない。(ちなみに内面は幼稚園児はおろか赤ちゃんである)
例えば当たり前だが私は初対面の人間やまだ知り合って間もないフォーマルな関係の人物には下ネタは言わない。(いや、このnoteを見られてしまったら時すでに遅しなのだが)
女性に対してもそうで、よっぽど気の知れた仲の相手でないと「ちんこ」なんて言えない。
セクハラだ。
コンプライアンスを常に意識している。
(いやそれは女性に無理をさせている場合も大いにあるので以後確認をとってからにしよう)
また、下ネタが苦手な人がいればそのような発言は控える。相手を思いやる気持ちを持っているのだ。
もちろん「言っちゃいけない場所」で下ネタを投下するはずもない。
葬式の場で「はーぁ!ちんこ!」なんて言ったら逆に悲しみで気が触れたのかと思われる。
それを踏まえた上で私が下ネタを言う時はどんな時だろうか?
いつもの飲み屋のいつものカウンターのいつもの店主といつもの常連達が集まった時くらいだ。
簡単に言えば下ネタを話しても受け入れられる仲間がいる場所だけだ。
(まぁそんな店が何軒もあるから下ネタまみれになるわけだが)
要は、お互いが相手の懐にスッと入れて、
そしてお互いを認め合い、
社会生活における使っちゃいけない言葉を交わし合うことができる。
「何バカなこと言ってんだよ!ギャハハ!!」
なんて軽口を叩き合える。
性癖の共有、恥ずかしい部分の共有ができること。
我々大人の「下ネタ」それは相手の心に一歩踏み込んだコミュニケーションなのでは?
そうか、嬉しいのか。
下ネタを話す時の楽しさ、そこには「相手に受け入れてもらえる嬉しさ」が隠されているのだと思う。
だから初めて人と下ネタを交わせた時、その人とはもう友達なのだ、
いや「友だチンコ」なのだ。楽しいに決まってる。
もしかしたらかなり強引にこじつけた暴論だったかもしれません。
が、そういった側面もまたあるのではと一つ悟れた気がします。
最後のおぼっちゃまくんのちゃま語を言いたいがためにこの文章を書いたって思われたくないな。