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学びの機会を掴み取る

 今週末、私は新たなことに挑戦する。

 それが、『ファシリテートのいろは』を学ぶことである。

 このツイート、9月24日の午後11時35分に投稿されたそうだ。

 そして、なおやさんから、9月25日の午前7時55分、DMが届いたのだ。

フラットさん、おはようございます!
ツイートにいいねしていただき、ありがとうございます!

 つまり、私は8時間20分の間にツイートを見て、即決したのだ。「参加してみたい!」と。

 そして、その日の夕方、DMが届く。料金についてだ。この料金については、ここでは話さない。なぜなら、半永久的に文字として残るからである。

 そして、何よりも情報を発信するメリットは、何もないからである。

 わたしは、不明な点を質問し、3秒で決断した。「やろう」

 そして、昨日Twitterのグループチャットが作られた。わたしとなおやさんを入れて5名のグループ。このグループでコンサルを進めていくらしい。

 昨日、はじめてメンバーが挨拶をしたわけだが、見覚えのある人が多いこと。やっぱり、即断力のある人は活動量がハンパないな。と感じつつ……

 早速、グループコンサルの前にお話をということだったので、平日も土日も余裕あるかなぁと思っていたわたしは、その日の夜、話をしたいとお願いをした。

 オッケーもいただけたので、すぐに話をした。話したのは三つ。
・なぜ受けようと思ったのか
・4週間を通して何を得ていたいのか
・4週間後どんな姿になっていたいか

 それぞれの答えを触れながら、参加しようと思った理由について、書いていこうと思う。

 理由は2つある。
 一つ目。先日、わたしは本を買った。それらは、プロデューサーやコーチング、グローパルマネージャーといった、仕事術的な本であった。タイトル買いをしたので、その言葉がいまの自分の関心なのだと思う。
 二つ目。わたしには、ビジョンがある。『学びたい人と学びたい人がつながる世界の実現』というものだ。このビジョンを叶えるためには、ファシリテートが必要だと思うのだ。

 この二つ目の理由について、もうすこし深く考えてみようと思う。

 まず、ファシリテートとは何か?について考えてみる。似ているものといえば、司会だろう。この二つの違いから迫る。
 わたしのイメージとして、司会とファシリテートはこうだ。

司会…Aさんが話したことをまとめて、それに対してBさんがどう考えるかを話してもらう、またはその逆を行う際の中継役。
ファシリテーター…AさんとBさんが話し合い、うまく回っていかなくなった時のサポート役。

 極力、間には入らないという精神で関与していくのが、わたしの思う。ファシリテートである。

 次に、ビジョンについて考えてみる。
 「学びたい人と学びたい人がつながる」ということは、学習者同士がつながっている。ここには「教える」という言葉はない。
 例えば、ある人が授業を行う。これはいわゆる「教える」という行為だ。これにより、学習者は「学ぶ」ことができる。一方で、学習者が複数いた際、理解するかどうかはその人による。理解したかどうか?ということを、授業を行った人が知る。この「知る」という行為は、この方法では「○○さんには伝わらない」という学びを得ていると、わたしは考えている。

 だからこそ、わたしは「学びたい人と学びたい人がつながる」という言葉を用いている。

 このように書いてくると、気づいた方もいらっしゃるだろう。ファシリテートというものは、わたしのビジョンと重なるところがあるのだ。いずれ私の力を支えていくものとなりうるのだ。

 一言でいうなら、自己投資だ。
 一緒に学んでいく人が、もしかしたら違うかもしれない。本当に学んでいきたいことではないかもしれない。でも、いまの自分にとっては、未来を拓くものでしかないと感じるのだ。

 これから始まる、ファシリテートのいろはを通して、自信をもってファシリテートをできるようにしていきたいと思う。

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