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瓢箪みたいに流れていたい

年が明ける度に、年越しへのワクワク感が薄くなっていった。そういう点ではziplocの技術には感心してしまう。ziplocほど鮮度を保つことのできる商品はないだろう。ぼくのワクワク感も入れておくべきだったな。

初詣に行かなかった。人生初かもしれない。言い訳をするなら、願ったことを三ヶ日すぎると忘れてしまうから。他の参拝者は願いを一年中覚えていられるのか気になってしまう。神様もハードワークだろう。次々に願いを言われる。自分だったらあまりの人の多さにキャパオーバーしてしまいそうだ。神様、ワンオペご苦労様です。

タイムカプセルを回収しに小学校へ行った。8年前の自分と母からの手紙と思い出の写真が3枚。12の君が描いた20のぼく。軌道がちょいとずれたかもしれないけど、今のぼくが20の僕なんだ。記憶のかなたで僕の味方の一人であり続けてほしい。母からの手紙も、今日、やっと目を通すことができた。母や父への感謝が足りない、全然足りていない。早く親孝行をしないといけない。何をどうすればいいんだろう...

手紙を読み終えると、再会のオンパレード。懐かしい顔が少しずつ変わっていた。正直、女子はわからない人が多かった。メイクやマスクで真実が隠されていた。今の姿が真実だとしても、僕がぎりぎり覚えている真実と違っていた。友達数人で学校を巡り、些細な出来事を振り返った。くだらない会話こそ、一番の思い出だった。

男3人で寿司を食べ、ボウリングや卓球をして楽しんだ。途中、気まずい場面もあったが、それも含めて楽しいと思えた。友達とはいえ、嫌いな部分は多少ある。嫌いな部分すらも受け入れられて一緒に過ごせることができる人を、僕にとっての親友なんだろうなと改めて意識した。

20の正月は、どの年よりも多く人と会った。幼馴染?から連絡が来て二人でカフェに行ったこと。「成人式来てないの?みんな会いたがってたよ」と噓のようなメッセージが、携帯と心を揺らしたこと。高校の同窓会で、楽しさよりつまらなさが上回ったこと。「お前ともっとしゃべりたかった」と言われて、高校の親友と同窓会翌日の昼に会ったのに、思ったよりも会話が弾まなかったこと。

楽しいのに楽しくない、ずっと薄っすら感じていたことだった。12の君からの「こっちのぼくは全然元気です」の“全然”が、いつしか打消しの方のニュアンスに変わっていったのかもしれない。

いつから他人に期待をしなくなったんだろう。12のぼくなら自分への言葉や行動に対して、素直に喜ぶことができていたのに。何かをあきらめて、何かを捨ててしまったから、今のぼくが20の僕になったのだと思う。このままの僕で、僕はこの世界を生きやすいと思えるのだろうか。


友達数人で小学校を冒険して些細な出来事を思い出していた時、僕の心は間違いなくワクワクでいっぱいだった。あの頃のワクワクを今の僕は持ち合わせていない。だから今年の目標を決めた。

ワクワク感をめいいっぱい抱きしめながら、素直に生きる。

あの頃のように何事にも全力で取り組み、無我夢中で自分の道をただひたすら駆け抜けていきたい。別に前向きじゃなくてもいいと思う。辛いことや悩むことがあっても、ワクワク感があればそれすらも楽しめるような気がする。どうやって逃げきろうかワクワクしていた小学校の鬼ごっこみたいに。

年を取ると時が過ぎるのが速く感じる現象を、ジャネーの法則というらしい。大人になるにつれて新しい経験が少なくなり、日々の生活に新鮮味がなくなるからだとか。だから色んなことに挑戦したいし、期待をしたいし、ワクワクしたい。

僕へのワクワク、他人へのワクワク、将来へのワクワクをかき集めてワックワクな1年に。今からでも神社へ駈け込んで、神様に今年の目標を聞いてもらおうかな。あまりに無邪気すぎるかもしれないけど、まあいいか!

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