介護と相続と 21/09/25

ようやく今日は自分のコロナワクチン接種ができる日。なんとか順番が回ってきたなという感じしかない。副反応がどうとかそんなことはどうでもいい。自分のためだけではなく周囲の人のためにこそワクチン接種をすべきだろうとそれだけだ。すでに母は接種を終えて特段の副反応もなく、相変わらずなのを見ていると世の中は騒ぎすぎではなかろうかとさえ思う。接種を終えているから老人介護施設ではどこでも入居可だし利用可の状態になっていることの方が実は助かる点でもある。いずれ回ってくるだろうと思っていたのがようやくの今日なのだが、それが母の病院の日と重なってしまい、さらに自分の接骨院に行く日でもあって、なんとも午前中は目まぐるしく忙しい。もっとも怒涛も午前中をやり過ごせばすっかり暇な午後となるのだからおかしなものだ。母には今日が病院の日だとは言っていない。言ったところで覚えてなどいないしそこで面倒なやり取りをしている時間の方が勿体無い。動きが緩慢になってしまった母を急かして病院へ行かなければならないことの方が今から憂鬱だ。歳をとると流れる時間がゆっくりになるのかとにかくのろのろとしか動けずにいるのを見ると、仕方がないこととは言え腹が立ってくる。どうしてだろうか。仕方がないと分かっているのに。それはただ自分のことで精一杯であることの裏返しなのかもしれない、とまではわかるけれども。今朝は今朝で声をかけてから起きてくるまでだいぶ時間がかかっていたし、思い返してみれば本当に少しずつ行動が遅くなっているしできないことが増えてきている。廊下と合わせて認知症の症状として当たり前なのだろうが自分もいずれそうなるのだろうか。嫌だなとしか今は思えないがそれはどうやれば防げるのかまるっきり分からない。睡眠時間は少ないしアルコールの摂取量は増える一方だしストレスはすごいし最近は人間関係も駄目だし。脳や神経にとって少しもいいことがないな。そういう日が続いていることはどうやって改善していったらいいのか見当もつかない。母の面倒を見ることから解放されたくてようやく入居できる施設が見つかりそうなのはホッとしているところだけれども。その施設、月曜日の午後に見学する予定でいる。妹にも連絡して一緒に行くつもりだし、もっともそこでやっぱりやめますという選択肢はないので実際は見ても見なくても同じなような気がするけれど。事前に妹に見せることの方が重要なのかもしれない。彼女の精神の安定のためにも。それと問題は弟たちの方だが、もっとも何か言われたところでこれを逃すわけには行かない事情もあるしそこは強行突破しかなかろうなということか。

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