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人は恋をする、何があっても #3

恋と愛は違うと思うのだ。個々人がその定義を自由に定義しているわけで、価値観は関係がない。関係があるとすれば倫理感と社会常識の二つだけである。倫理観と社会常識くらい、無責任なものはない。その人の社会的地位や資産の有無によって許されること、許されないことがいくらでも変移するからである。

個人的な見解を言えば、相手に責任を負う義務が発生するのが愛であり、相手に責任を負う義務がないのが恋だろう。恋愛なんて言葉は不適切である。なぜなら恋と愛は相反するものだからである。

妻を愛して彼女とは恋をする、といえば一番考えていることに近い。責任が発生した瞬間に恋は愛に代わる。だからと言って恋してる相手には誠意を尽くすことは絶対だ。

今、妻のことはとても愛している。妻がいなければ生きていけないだろう。しかし、お付き合いしている彼女とは恋に落ちている。彼女がいない人生は精彩を欠く味気のないものである。今、愛と恋が自分の中で共存しながらせめぎ合っている。どちらか、はない。どちらも、だ。どちらが欠けても人生が終わってしまうと信じている。しかし、この状態はいつまでも維持できないだろう、とも考えている。

男女の間は「1+1=2」になるわけではない。「1+1=3」「1+1=4」「1+1=-2」にもなる。それは個々人の価値観、また相対的な共有感情がそうなさしめるのであって、規則や審議は関係ない。はっきり言えば西洋のキリスト教的な倫理観に拘束されている現在の日本人は文化としての独自の価値観を喪失した、と思う。

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