人は恋をする、何があっても #19
神楽坂の駅に着いた。指定された出口であの女性(ひと)待っている。ワクワクするような、切ないような、久しく忘れていた異性を待つ、という心境。何十年も忘れていた心の機微。ぼーっとしていたらしい。
「矢野さん、矢野さん。お待たせしました。お待ちになりました?」
「いえ、それほどでも。ご招待ありがとうございます。」
「美味しいお店ですからわたしもたのしみなんですぅ」
ラトラスに着いた。コースは予約があるという。フレンチは難題がある。ワインの選定である。人のおごりで高い酒は頼めないが、そこそこのお酒は頼まなくてはならない。こればかりは女性にさせるわけにはいかないという不文律があると思っている。
お店に着くと食前酒やらいろいろと流儀があるのだ。ワインの選定だ。
「矢野さん、ワインは選んでください。予算は気になるけど、まあ、いいや。よろしくです」
ギャルソンは私にワインリストを手渡してきた。おっ、ここは結構いい品揃えだな。さすが高評価のお店だ。
「ワインはお任せしてもいいですか。お店がお持ちのものでそれほど高価ではなく今日のお料理に合うワインがいいです。ハウスワインがあればそれがいいです。一人5000円くらいまでで」
ギャルソンが去ったあと、すかさずあの女性は言った。
「矢野さん、慣れていますね。山猿と違ってホッとしました。山猿は知ったかぶりでワイン頼むから食事と合わないこと多いんですよ」
「旦那さんにはお考えがあるのでしょう。ワインなんてよく知らないからいつもこうしているんですよ。自慢なんかできませんよ。」
「そういうところがオトナですよね。すごいスマートです。ウフフ」
「若い時に海外駐在していた頃に上司に仕込まれたんですよ。接待費を抑えて店のメンツもつぶさず、接待するお客にも満足してもらえる方法だそうです。ハハハ」
食事も進み、会話も弾む。前のカミサンとも今のカミサンとも違って過ごす時間が心地よい。なんというかときめきつつも美味しいご飯を食べる幸せ。これは久しぶりの幸福、いや、口福だね。
会計も無事に支払っていただき、店を出た。
「矢野さん、また食事行きましょうよ。」
酔っているのかあの女性の目が泳いでいる。ここはイッパツ押し込めば落ちるかもしれないぞとささやくやつが耳元にいる。以前のケースもあるので油断はできない。ヤメヤメ!
「ええ。次回は私が考えますよ。リクエスト教えてくださいね」
「えっ、じゃあ、池袋でいい店教えてください。以前、有楽町線の地下鉄赤塚にお住まいだったんですよね」
「ハハハ。ロサ会館前の演歌とどろく焼肉屋になっちゃいますよ」
「それはそれで面白いかもしれないです。来週行きましょ」
「来週?仕事のスケジュール大丈夫なの?」
「行けるとき行かなきゃ。お願いしまーす」
「せっかちな人やな。じゃ、来週ね。グーグル先生にお伺い立てておきますよ」
「それはダメ。矢野さんデータベース、教えてくださいよぉ」
「ハイハイ。わかりましたー」
飯田橋まで歩いた。これはデートなのか?あの女性に好意を抱いている自分を意識した。
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