flagship FUNABASHI

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願いよかなへいつの日か そうなるように生きていけ ③

朝から降り続いていた雨はようやく上がっていた。 まだ道は湿っていて、通りを走る車の音にタイヤが水を弾くサーッとした音が混じっていた。 街全体が湿気に包まれたそんな夜だった。 「コーヒーを頂いてたよ。でもこのインスタントの銘柄は美味しくないね。君も飲むかい?ああ、さっき帰り道でコーヒー飲んだんだっけ」 <神様>と名乗ったその男は自分の部屋の様に俺をもてなし、どこに何があるか把握している動きでコーヒーを淹れていた。 神がいかに全能であろうと俺の家の台所に置いてある物の配置まで把

    • 願いよかなへいつの日か そうなるように生きていけ ②

      <悪魔>との最初の接触から一週間、テレビも終わってしまった日曜の深夜にまたしても来訪者があった。 ちょうどトイレから帰ってきたタイミングで、手を前に組み部屋の隅っこに静かに立っていた。 最早説明は不要だが<天使>と名乗る日本人?女性であった。 その名に恥じぬ、若く美しい天使だった。 年齢は20代前半、肩まで伸びた美しい黒髪と、透明感を伴った肌の白さ、少し潤んだ大きな瞳。 きっと街で歩いているのを見掛けたらまともな男なら誰でも振り返るだろう。 恥ずかしながら得体の知れない彼女

      • 願いよかなへいつの日か そうなるように生きていけ ①

        もしあなたが「怠惰で堕落した人間」とGoogleの検索画面に入力して検索候補のトップに俺の名前が挙がっていても何ら不思議はない。 自分が如何に全てに対して無精で何も為し得なかったかを説明すればきっと来週までかかるだろう。 数年前に愛する人を失い、定職にも就かず、横着な生活を繰り返した結果、借金はみるみるかさみ今や住んでいるアパートを追い出される寸前の31歳。 「どうしようもない」であるとか「終わっている」と、それとは直接言われなくても少ない身の回りの知人に揶揄され、自分でも

        • たこ焼きとスイスと暇つぶし

          思えばもう20年ほど前になりますが、私は当時船橋駅付近で路上演奏をしていました。 ちょうど船橋駅北口出口付近のちょっとした一角で毎週金曜日の夜に仲間達と集い、朝までたくさん演奏をしたものです。 そんな状況であったので、当時は駅周辺にいたホームレスの方々と話をする事がままありました。 その中の1人「ワサダ」と名乗る恐らく60代後半の男については大変印象深く、今でも船橋駅北口を通ると思い出す事があります。 本当は「浅田」なのか「早稲田」なのかは今となっては定かではありませんが、

          エキストラ - KAN (Coverd by AYaMI)

          https://youtu.be/x3cpodHpwNE この動画/音源は一昨年2021年から昨年2022年にかけて制作されました。 下記は長文となりますのでお時間ある方のみお目通しいただけますと嬉しいです。 --- これはまだ弊店が現在の名前でなかった16年前、高校生時分からライブに出演してくれていた「AYaMI」というピアノ弾き語りアーティストがいらっしゃいました。 彼女の演奏する自作の曲、ライブパフォーマンスはある種の潔癖さを備えた素晴らしいものでした。 長きに

          エキストラ - KAN (Coverd by AYaMI)

          2009.06.21(Sun)以前の菊地さんへ

          菊地さん、あれから色んな事があったよ。 お店の名前は変わったし、当時を知る人は殆ど出入りしないし、マイルドセブンはもうない。 いっつもAlanちゃんは天才だ、天才だ、と褒めてくれたけど、あれから14年経っても何も成せてないよ 結婚だってしてないし、お金もない 秀一さんは近くでミュージックバーみたいなのやってて時折すれ違うとき挨拶するよ 菊地さんが毎週末飲み歩いてたあの路地は綺麗な飲み屋だらけで週末になると若い人たちがたくさんいるよ(双葉さんはもう営業してないみたい) 去年

          2009.06.21(Sun)以前の菊地さんへ