たこ焼きとスイスと暇つぶし

思えばもう20年ほど前になりますが、私は当時船橋駅付近で路上演奏をしていました。
ちょうど船橋駅北口出口付近のちょっとした一角で毎週金曜日の夜に仲間達と集い、朝までたくさん演奏をしたものです。

そんな状況であったので、当時は駅周辺にいたホームレスの方々と話をする事がままありました。
その中の1人「ワサダ」と名乗る恐らく60代後半の男については大変印象深く、今でも船橋駅北口を通ると思い出す事があります。
本当は「浅田」なのか「早稲田」なのかは今となっては定かではありませんが、当時彼の名乗った「ワサダ」という名前で呼ばせてもらおうと思います。

「ワサダ」は決して路上ミュージシャンに対して友好的な男ではありませんでした。
然らずむしろ強い意志を持って敵対視している様な振る舞いでした。
毎週金曜日に路上ライブを行なっていた我々グループだけでなく、他の曜日/場所で演奏していた他のミュージシャンにも、演奏している最中に「うねにえらおおおえええええ」等と酩酊して言葉にならない怒声を浴びせ演奏を妨害します。
それも決まって立ち止まって演奏を聞いてくれている方が多い時に限って。
その度に口論になり、掴み合いになり、毎週の様に訪れる「ワサダタイム」はある種の恒例イベントとなっておりました。
夜に演奏していたので同じ北口付近で寝泊まりしている彼にとっては単純に安眠を妨害されている恨みもあるのでしょうが、鬼殺しのパックを差し入れると数時間は静かにしていてくれる事から考えてもあれは彼なりのコミュニケーションだったんだろうな、とも感じます。

ある冬の事です。
珍しく彼が我々の演奏を聴くともなく、やめろと騒ぐわけでもなく、絶妙な距離感で座っている日がありました。
その日はいつもの演奏メンバーに加えて、とある場所で知り合った女性ボーカリストが参加してくれた日でもありました。
彼女は年齢の割に60-70年代の昭和歌謡やオールディーズが好きな方で、その日も私の拙い伴奏で「見上げてごらん夜の星を」を歌ってくれました。
彼女の柔らかな歌声が船橋駅北口に響き渡ると幾人かが足を止め、その日の夜空に至適な歌唱であったと覚えています。
聴いてくれていた方が散り散りといなくなると「ワサダ」はゆっくりと近付いてきました。
いつもの日本語の単語とは程遠い唸り声を上げるでもなく、私のキーボードの前にゆっくり座ると力なくこう言います。

「たこ焼きが食べたい」

これには少し驚きました。
彼は我々に対して文句を言ったり威嚇することはあっても何かを要求する事はなかったからです。
当時いつも演奏していた船橋駅北口ロータリーではワンボックスカーの後部ドアを開けてたこ焼きを販売する車が止まっていました。
売れ残ったりした日には、終電が終わり人の流れがまばらになった後にいつも余ったたこ焼きをもらったものです。
ある意味ゲストという形で来て頂いていたボーカリスト様がいらっしゃった事もあり、このままワサダには大人しくしてもらう為に、私はそこのたこ焼きを買って渡しに行きました。
彼はたこ焼きを一口食べると「どぅあじ」みたいな呻き声を上げてゆっくりと食べ始めました。

珍しく酔っていなかった彼は黙ってたこ焼きを食べ、食べ終わるとまた黙って絶妙な距離を取って我々の演奏を聞くでもなく座っていました。
終電が近くなり人も疎らになった頃、我々は撤収作業を始めます。
するとワサダが徐に私に近付き、意味のある言語で話し掛けて来ました。

「俺はルモイから来た」

彼はそう言いました。
意味のある言葉でワサダ自身から話し掛けられる事は殆ど記憶になかったのでとても驚いたのを覚えています。

「ルモイであの歌を聞いていた」

ワサダは続けます。

「お前はたこ焼きを買ってくれたから話をする」

私は撤収の手を止めて、みんなから少し離れた場所で彼の真向かいで地面に座り話を聞くことにしました。
彼の言う「ルモイ」と言うのが一体どんな場所を差す名前なのかはその時はさっぱりわかりませんでしたが、その言葉の響きに惹かれて続きを促しました。

「ルモイは何もなかった。
みんなカズノコを獲ったり加工したりしていた。
俺はそういう一生が嫌でたまらず、中学を卒業してすぐ青森に出た。
青森でも同じ様に野菜やりんごの農家で働いた。
結婚もし子供も出来たが、女房に浮気をされて30過ぎでルモイへ帰った。
ルモイは何も変わっていなかったが、俺の居場所はなかった。
弟兄弟は2人とも所帯を持って立派になっていた。
対して俺は女房に逃げられたはぐれものとして地元でも煙たがられていた。
その時にあの歌を聞いたんだ」

ワサダの言う“あの歌”が「見上げてごらん夜の星を」だと言う事に気付くのにそれほど時間はかかりませんでした。

「あの歌を聞いた時、大層馬鹿馬鹿しい歌だと思った。
“2人なら怖くないさ”なんて。
でもとても綺麗な曲だったから、よくラジオで聴いていた

あの曲が流行った年の冬に俺は東京へ出た。
東京では建設現場で働いていた。
その頃からか、子供から手紙で金を無心される様になった。
1人息子だったから、気の毒に思い稼ぎの半分以上は別れた女房に送金した。
息子もいつか東京で働くと言っていたが、いつまでたっても息子は来なかった。
その後も2度と会うこともなかった。
10年もすると俺は仕事で身体を壊して、建設元請けのヤクザ者の世話になった。
女にも金にも困らなくなった。
ルモイなんて地獄の中の監獄の様だと思った。
東京にはこんなに自由と金が溢れていて、人生の意味みたいなものを東京で感じていた。
55の時に警察に捕まった。
8年の実刑を受けて出所すると組はなくなっていて、そのまま浮浪者になった。
最初は新宿にいたが、浮浪者の中での規律や人間関係に耐え切れずに流れて船橋まで来た」

そこまで一気に話し終えたワサダはポケットからピースのシケモクを取り出して火をつけました。

「人生はさ、うまくいかない事の方が多くて、浮浪者になってから何度も死のうとしたけど怖くてできなくて、その時気付いたんだ。
これは“死ぬまでの暇つぶし”なんだって。
金があったって、なくたって、どうせ死ぬんだし、死ぬまでにどうやって面白おかしく生きるかってだけの話だ。
ちゃんと勤めに出て所帯を持って息子を立派に育ててジジイになって面倒を見てもらったってどうせ死ぬ。
刑務所に行った前科者で身寄りもなく、家もなく冷たい地面の上で凍死したって同じことだろ。
冷たい地面の上より、家があって部屋の中で布団に入ってる事が面白いんならそうしたらいいだけなんだよな」

身の上話から始まり、そこまで長く話し掛けられた事にも驚きましたが、私自身はワサダの言う“暇つぶし”という意味について深く考え込んでしまいました。
落伍者の戯言だと片付けられない、ある種の定点からの真理の一種であると感じました。
その日はワサダの話だけを一方的に聞き、撤収が終わるとそのまま帰宅しました。

その後、ひと月もしない間に彼が亡くなると、船橋駅北口はとても寂しく感じる様になりました。
亡くなった事は例のたこ焼き屋から聞いたのですが、彼が凍死だったのか、病死だったのか、自殺だったのかはわかりませんでした。
私は最後に会った時の彼の言葉を思い出します。
「これは“死ぬまでの暇つぶし”なんだって」

生きていると望むとか望まざるとかに関わらず、誰かの強烈な哲学に納得させられる瞬間があると思います。
ワサダが“暇つぶし”を納得する形で達成して死んでいったのかは彼本人にしかわかりませんが、あのタイミングで私に話し掛けて来たのは、誰かに自分を記憶して貰いたかったのだろう、とその時感じました。
(そしてそれはかなり効果的に作用し、今でも私はあの夜のことをかなり覚えています)

私もまた“暇つぶし”を続けています。
流行らない店で満足に給与も貰えず、結婚なんて夢のまた夢です。
でも素晴らしい才能に触れたり、それを手伝ったり、それに共感してくれる人を集めて披露したり、音楽で自分の人生を彩っている人たちが集まれる場所を維持管理しています。
多分、これは私の“暇つぶし”に他なりません。

幸いにして私はまだ冷たい地面の上で眠らなくて済んでいますが、きっとその様な状態になった時に私の“暇つぶし”と同時に人生も終了となるのだと感じています。

話が変わりますが、世界には安楽死(消極的安楽死を含)を許容する国が数カ国あるそうです。
そして安楽死の先進国であるスイスでは外国人の受け入れを行っています。
費用はおよそ200万円、かなり高額と感じます。
「取り除けない継続的な苦痛を伴う方」へ提供されているサービスになりますが、暇つぶし完了には適用されないのでしょうか。
自分の暇つぶしが満足の行く所まで達成された時、世界への無駄な二酸化炭素排出を止めるための料金としてもう少し安価であって欲しいと願ってやみません。

私は誰に誇れることもありませんが、同時に攻撃される謂れはありません。
粛々と“暇つぶし”を行っているだけで、その内容が気に食わないという理由で誰かの悪意に晒されたりするのはかなり納得が行きません。
私の“暇つぶし”にタダ乗りするのは一向に構いませんが、乗っかっておいて悪意を持って返す連中には閉口します。
「社会の中で生きる事とは」であるとか「人間は1人では生きていけない」とか、そんな当たり前の話題をさも真理が如く振り翳して自分の悪意の転嫁をする連中に関わらずに生きていたいです。
タダ乗りしておいて、巻き込んでおいて「飽きたから」という理由で悪意で返したり跳梁する連中にも関わらずに生きていたいです。

大層な事は望んでいないつもりです。
私は私の思う理想形の“暇つぶし”に賛同してくれる人が側に1人でもいてくれたら、と願っています。






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