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【日記】岡本太郎美術館

今日は岡本太郎美術館に行った。
向ヶ丘遊園駅から、歩いていける距離のとても大きな公園のなかに美術館はあって、久々に木の幹に囲まれた道を歩いたり、見通し良く広がった緑と広い空の下で座っておしゃべりをしたりした。緑の中の2、3本の桜の木が、とても綺麗に咲いていて、ただただ綺麗だなと思う。

昨日もそとをぼちぼち散歩していて、川の左右にぶわぁと咲いている桜をみた。そちらの桜は、密度が高く植えられていて、川の左右から夥しいほどのうすい桃色が広がる壮観だったので、狂い咲きだねえ、と、その場にいた友人と話したけれど、今日観た桜は緑の中に居住まいよく収まっていたので、恐ろしいところのない桜だった。

常設展も企画展も見応えがあって、始終はしゃいで過ごした。
岡本太郎の作品は、観ていてただ、うお〜〜という気持ちになる。それを眺め、近寄ったり離れたり、いろんな方法で目の中に収めるというのが楽しく、目に楽しいものをただ眺めるということの喜びといったらないな、と思った。

ある用事で大阪に行き、ついでに太陽の塔を観たときの興奮を思い出す。写真などで見たことがあるものを実際に目にした時というのは、多かれ少なかれ、そのものが実在していて目の前にあるという事実自体にまず喜びを感じる。しかし、太陽の塔を観た時は、その喜びを上回る勢いで脳天から興奮が降りかかってくるような体験だったな、と思う。雪崩れるような興奮だった。

それとは別に、岡本太郎美術館に来て良かったなと思ったことがもう一つあった。それは、岡本太郎が日本のあちこちを旅していたという事実だ。
集めていた民芸品や、さまざまな場所で撮った写真が展示されていて、それがとても面白く感じた。

『花よりも花の如く』という、お能をテーマにとった作品の中で、主人公の能楽師は自分が次に舞う演目の舞台となっている土地や所縁のある土地を飛び回る。その様々な場に身を運ぶ行為は、物語を進めるため、主人公が作品を理解しその上で舞うためには、なくてはならないにものなっていて、そういう旅のあり方を面白いなと思ったばかりだった。

漫画を読みながらなんとなくけどってはいたのだけれど、美術館の展示をみながら、読んでみたいなと思う本や、観てみたいなと思う映画がたくさんあることと並列されるように、行ってみたいなと思う場はたくさん自分の中に存在しているということが明確にわかった、ような気がする。
自分の中に眠っている、あの場所に行ってみたい、という気持ちをゆっくり掘り起こして行きたい。

自分の内側の引力が強い時期と、自分の外側で他人とやり取りが取れる時期の微細な波があるのだけれど、ものすごく内側の引力がここ3〜4日で強くなっている感じがしている。あれやんなきゃな、これやんなきゃな、みたいなことが気付くと手からぽろぽろこぼれていて、自分の言葉を外に向けて翻訳するエネルギーとか、時間通りに体を動かすエネルギーの枯渇を感じているけれど、自分の引力にちょっと心地よさも感じていて、しばらくはむっと無口に内側からものを掬い上げる作業をしてもいいなぁという気分だしちょうどいいと思う。
いまおもいだしている分だと、恐山に行きたい。

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