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ふと東京を離れたくなる理由

しばらく東京で生活していると、ふとした瞬間に東京から離れたくなる。今回も特に計画していたわけではないタイミングで思い立ち、

「個人的なことで恐縮なのですが…山を見ないと心が弱ってしまうので…1週間ほど実家からリモートで仕事します」

と、冗談半分、本音半分、ぼそぼそと上司に言いながら東京を出てきた。

東京の近所との距離感の近さなのか、それとも街を歩く人の雰囲気の違いなのか、何が理由かはわからないけれど、じわじわと自分の世界が騒がしくなってくる。

そして、東京から離れた時にハッとする。そうだった、ここだけが世界じゃなかったんだ、って。

(実家の裏の里山を見ながらぼーっとするのが好き)

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二拠点生活、ワーケーション、地方移住といったキーワード。そこで語られることは、自然の豊かさや人の良さに触れられるなど、確かにその通りだなと思う。私は数ヶ月に一度は地元に戻っているけれど、単に自然が好きだから、ゆっくりしたいから、なのか?なんとなくそれだけじゃない気がする。ずっとそういった言葉に違和感があって考えてきたし、今もまだもやもやとする。

父に買い物を頼まれてワークマンに行ってきた。自由がきいてフットワークが軽い20代の娘がそばにいるのだから、実家にいるとなにかと雑事を頼まれる。作業着で有名なあのワークマン。ちなみに車は作業車の代表スズキ・エブリイで🚐。

ワークマンは見るからに業務用の雰囲気で、田舎の個人商店のような絶妙なやる気のなさがある。それがいい。ここは、農作業や大工、DIYなどの「作業」をする人のためのお店なので、無理に売ろうとしなくても人は来ていた。

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(ワークマンのことを少し調べたら、頑張りすぎない脱力系経営を心がけてるとのことだった。)

私も近々ペンキ塗りや山に行く予定があるし、なるべく現場にいる生活がしたいしなあと、ついついズボンと速乾性のTシャツ、デニムのエプロンを買ってしまった。形から入るタイプなので俄然やる気が出た。早く作業したい。

東京で「作業」と言ってイメージするのは、間違いなくワークマンの世界観ではない。Googleで「渋谷 作業」と検索すれば、wi-fiと電源が使えるカフェの情報が出てくるし、パソコンを使って、書類をつくったり、情報を整理したり、メールの返信をしたり、カフェでの作業風景が浮かぶ。

一方で、土を触ったり、物を運んだり、掃除をしたり、ニスを塗ったり、修繕したりみたいなことも作業と呼ぶはずなのだけど、それらはどうやら遠くに忘れられている。

無駄なく、シンプルに、必要なことだけを、できるだけ早いスピードで。それらが求められるような東京での生活に対して、庭の草むしりや掃除、片付け、修理、など実家で半強制的にやらされるどうでもいいような雑事は、意外にも生活をしている感覚が持てて良い。

きっと私は、生活の中で必要な、だけど遠くに忘れ去られているような、そんな「作業」に触れたくなって、一時的に東京を離れたくなるのだと思う。美しい自然やゆったりした空気に触れるだけでなく、生活をつくっていくために必要な「作業」や「雑事」を積極的にやりたいお金は発生しないけれど、ちゃんとはたらいている気がしてなんだか気分がいい。はたらく=お金を稼ぐこと、ではないよなあ、と改めて思う。

自分の体を動かし、それが直接的に生活をつくっていると感じられること。ここで「作業」と呼んでいるものは、どちらかというと「営み」みたいな意味に近いのかもしれない。自分の存在がなにかにダイレクトにつながっていると思える瞬間が嬉しい。

東京にいても、違う街にいても、たぶん場所はどこでもいいのだけど、自分のやっていることが直接生活につながっていると感じられるような時間。そんな「作業」的時間をもっと増やしたいなあと思います。

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