わたしはあの時、サラリーマンになりたくなかったけど、就活しないことは悪いことだと思っていたからサラリーマンになった。
大学4年生の私はサラリーマンになりたくなかった。周りは就活を始めていたり公務員試験を受けるためにスクールに通い始めていたけど、なんでみんなそんなことをするんだろうと不思議な気持ちだった。
社会人になりたくないという気持ちは「ただの怠け者」のように思えて罪悪感もあったし、なぜわたしはそんな気持ちになるのかもわからなかった。
他に明確にやりたいこともないのに、「社会人になりたくない」のは許されないことだと思っていた。
とにかく、会社などで働くことが想像できなかったし、知らないおじさんに偉そうにされるのかと思うとなんだかテンションがあがらなかった。
もう20年以上前のことなので、その頃の常識といまは違うかもしれない。旅行会社やマスコミが人気だったし、わたしも憧れたけれど、たぶん毎日遅くまで働くんだろうな、土日も働くんだろうな、そんな生活は楽しいのかな、と敬遠する自分もいた。
高校に行く時も大学に行く時もあまり何も考えてこなかった。高校は成績順に行ける高校が決まっていたし、高校時代は、できるだけ偏差値の高い大学に行けばいいという風潮だったし、なにを学びたいかより、有名な大学かどうかで大学選びをしていたし、最終的に教育関連に興味があったのに、法学部のほうが響きがいいし、当時の担任に「つぶしがきく」と言われ、その意味も咀嚼しないまま、法学部を選んだ。
私は地方の国立大学の法学部を卒業した。
それをすごい!と言ってくれる人もいる。
卒業後は県や市の職員もしくは先生として働くか、民間企業で働くか、大学を卒業したらその二択しかないことに違和感があった。
働きたくない自分がダメ人間なのかと思ったが、働きたくないわけではないことはのちのちわかった。
大学院に行きたいと思ったが、ゼミの先生からは「就職できなくなるよ」と言われ、たしかに大学院に行く理由が、研究をしたいではなく、結論を先延ばしにしているだけと自分でもわかっていたので、その選択はしなかった。
わたしにも何をすれば良いかわからず、とにかくなんだか就職するということに意味を見出せず、じゃあどうしたらいいかとことん考えるべき!というところまで考えはいたらなかったし、私に何ができるのか何がしたいのか、こうなりたいという強い考えはなかったのはた確かだった。
だから、当時の大人たちは、みんな私の就職しないという選択を応援してくれなかったんだと思う。
したい!という気持ちがあれば誰がなんと言おうと突き進む力があると思うけど、ふんわりとサラリーマンになりたくないと思っていた。
二択しかないわけではなく二択しか知らなかった。地方ということもあり、県庁職員というステータスがあるように思えたが、どうしようもなくつまらなく見えてしまっていた。
上から目線で恥ずかしい。
周りの人たちのことは、よく言えば堅実で悪く言えば保守的に見えていたが、わたしはなにも結論を出せないまま、友人がうける会社の会社説明会を一緒に聞きに行って、なんとなく面接を受けて受かって、記念にテレビ局を受けてみて、準備もせず手応えもなく、やっぱり受かるわけないよねーと納得して、それ以外別の会社を真剣に模索するわけでもなく3/31を迎えた。
就職すると私は営業に配属され、それなりに言われたことを卒なくこなし、ガツガツもせず、仲良しの先輩と旅行に行ったり同期などと合コンに行ったり、スノボなどに行ったり、プライベートも充実していたと思う。
しかし、○台買いたいから、特別価格で見積をくださいと言われ、見積を作って上長にハンコをもらってFAXして、注文書が届いてもなんの感情もうまれず、過去最高の台数売り上げたよ!これはお祝いだね!と先輩が興奮していても、やはり何の感情も生まれず、先輩に合わせて、やったー!と言うのが精一杯だった。
フォーキャストを作っていても、別にワクワクもしないし、パワハラもセクハラもなく先輩とも同期とも仲良しで、地方にしては給料も悪くなかったと思う。有給も取りやすいし、海外出張にも行かせてもらった。
でも、なぜか、物足りなかった。
そんな自分は青い鳥症候群なのかなとも思った。
いま20年以上社会人をして、得たものもたくさんあるが、私はどこかで立ち止まり考えるべきだったとも思ってしまう。
強い思いみたいなものが私には足りなかった、そもそもないのかもしれない。
それが悪いわけでもないし、ほとんどがそういう人なのではとも思う一方で、モヤモヤしてるくせに何もしないできない自分を責めてしまうこともある。
一歩。
まだ答えが出ていない。
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