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山は人生の縮図。遺書の代わりに残した言葉たち。(2024.4.16)

2017年から2022年までの5年間、私はブログで趣味の登山に絡めて心の内を綴っていた。


2017年の5月、私は乳がんの宣告を受けた。
当時私はまだ30代で、ひとり娘は小学2年生だった。

8月末に腫瘍の摘出手術を受け、切り取られた体の一部は病理検査へと回された。
病理検査によって、実際のがんの大きさや周辺リンパ節への浸潤の有無、がん細胞のタイプや悪性度などすべてが明らかにされる。
その結果次第で、今後の治療方針(放射線治療、抗がん剤の投与、ホルモン療法など)が変わり、QOLが著しく低下する可能性があった。

検査の結果を待つひと月ほどの間は、がんの宣告をされた瞬間よりも、手術の日時決定の電話をじりじりと待つ日々よりも、つらいものだった。
私は抗がん剤によって「頭髪が抜けたり、極端に浮腫んだりするなど、外見が変わってしまうこと」「副作用のつらさや体力や免疫力の低下から、以前と同じように体を動かせなくなってしまうこと」を極度に恐れていた。
なにより抗がん剤を使う=思った以上に進行している、ということなので、否が応でも「死」について考えないわけにはいかない。
最後の審判を待つような日々を過ごしていた。

山ブログを書くことにしたのは、そんな時だった。
万が一私がこの世からいなくなった時、家族や親しい友人たちに、自分がどのように山と向き合ってきたか、つまり私の生き様を知ってもらうために、遺書のつもりでひっそりと執筆を始めた。

山歩きの最中に感じたこと、考えたことについて、愛する山の景色、鳥、花や虫といった美しい写真を添えながら、丁寧に文章を考えた。
それは言葉のひとつひとつに魂を込めていく作業だった。


乳がん発覚から4年後。
それまで腫瘍マーカーの値に不穏な動きがあったため、私は半年に一度CTを撮って経過を観察していた。
そのCTで今度は虫垂に腫瘍が見つかったのだ。
それはきわめて稀な病気で、厳密には癌ほどたちの悪い性質のものではなかったのだけど、国際的なガイドラインによればそれは大腸がんの一種ということだった。

粘液が溜まった虫垂は小さな水風船のように膨らんでいる状態だという。
もしそれが破裂すれば、腹腔内に飛び散った異形細胞たちを除去することは不可能で、それは完治ができない、つまり一気にステージ4に突入することになる。

更なる試練が私にのしかかった。
手術で綺麗に取りのぞけば大丈夫だから…と周囲は言う。
しかし、その保証なんてどこにも無いではないか。
手術までの2ヶ月の間にもし破裂したら?
もし腹腔鏡下でミスが起きたら?
私にはもう山しかすがるものがなかった。
ふたたび山へ戻り、憧れの鳥海山をスキーで滑ることだけを心の支えに、コロナ禍のゴールデンウィークの静かな病院で、とても苦しい数日を過ごした。


一方ブログ開設から数年が経つ間に、徐々に読者は増えていった。
いつも楽しみに読んでいると言ってくれる方がいた。
感動してもらい泣きをしたと言ってくれる方もいた。
自分が紡いだ言葉に、誰かの心を少しでも動かす力があるということが嬉しかった。

けれど、同時に書くことが苦痛に思うことも増えてきた。
健康を取り戻すにつれ、言葉に力が無くなっていくのを感じたし、また、読者に媚びている自分も感じていたからだ。


ある時突然ブログを閉鎖した。
過去は振り返らない性格なので、バックアップは取らなかった。
魂を込め続けた長い遺書は、一部たまたまメモ帳に残っていたもの以外、この世から消えてしまった。
もう当時の心の叫びを、私は振り返ることができない。


そのブログは「365日、山登り」というタイトルだった。
「人生は山登りだ」という持論がそこには込められている。

登って降りて、時には立ち止まり、道を間違え、悩んだり相談したり引き返したり別の道を探したりしながら、私たちはいくつものピークを乗り越えていく。
ゆっくり着実に歩む人もいれば、走って躓く人もいる。
歩いてきた道を振り返ることが好きな人もいれば、常に上を見据えている人もいる。

登頂して終わりではない。
次なる目標の山が遥か彼方には見えていて、そこへ向かって再び前進を始める。

皆で協力しながら頂を目指すこともあれば、孤独に霧の中を彷徨うこともある。
雨や吹雪や強風に、勇気を振り絞って立ち向かうこともあれば、あたたかな日差しとそよ風を全身に浴びて、自分を取り巻く自然のすべてに感謝することもあるだろう。

山登りとはまさに人生の縮図ではないだろうか。


今のところ私は健康だ。
遺書としてのブログはもう必要がなくなってしまった。
小2だった娘はもう中学3年生になり、もちろんブログの存在は知らない。
娘には、これまでの、そしてこれからの私の背中を見ていてくれれば、それで良いと思う。


メモ帳に残っていた文章の一部から、気に入っているものを抜粋して、締めくくりたいと思う。

これは、2度目の手術を間近に控えた私が、岩木山で素晴らしいフィルムクラストを滑った時に書き残した文章だ。

大黒沢を風になって滑り降りたあの時、体の奥底から大きな力が湧き上がってくるのを感じました。

山はそっと、でも力強く、私の背中を押してくれます。

今の私なら、スキーで大斜面を滑走するように、どんな逆風だって切り裂いて駆け抜けていけるような気がするのです。

2021.3.27


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