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僕が尊敬する人、しない人。

たつろーです。
TwitterってInstagram以上に色々な人がいるなと思っていて、それを毎日感じておりますけれども。

自分は昔から「誰かに憧れる」「誰かを尊敬する」っていうことがあまりなかったんですよね。これは別に「自分が一番」って思っているわけではなくて、そういう尊敬とか憧れって計算で生まれないというか、自然偶発的に「この人かっこいい!」「この人すごい!」っておもうものなので、それが発生してないだけって感じです。

ただ、僕の中にも「尊敬するタイプ」っていうのはあるんです、今回はそれのお話。結論から言うと「何かを1から作って大きくした人」のことは、めちゃくちゃ尊敬してます。今までこの世界になかった、誰も見たことがなかったものを思いついて、形にして、しかもそれを多くの人に行き渡らせて、影響を与える。これができる人のことをめちゃくちゃ尊敬いるし、自分もそうなりたいなとつくづく思います。

スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツ、本田宗一郎、松下幸之助。この人達はみんな「まだ誰も見たことがないものを作った人」たちなんですよね。こういうことを成し遂げた人、実行中の人のことを、惜しげもなく尊敬しています。

逆にいうと、そういうわけでもなくただ1を100にする増幅作業だけをやっている人や、アイデアを出すわけでもなく工夫をするわけでもなく、変化を起こそうとしない人のことは、尊敬してないというよりは興味がない。関心がない。

そこでTwitterですよ。Twitterってほんとに色んな人がいるなとおもうんですけど、その中でも「何かを創ってるわけでも何かに影響を与えているわけでもないのに言葉や語気だけやたら強い人」が多いなっておもう。なんか、なんていうんやろうな、なんでなにもしてないのに口だけは達者なんだろうなって思ってしまう。

言葉をその人自体を表すと思っていて、今その人の存在の大きさ自体が、その言葉の意味の大きさに直結するんじゃないかなと。何かを成し遂げた人から出る言葉と、なにも成していない人から出る言葉に、重さの差が出てくることって当然だと思うんですよね。でもTwitterって自由に活字で発信できてしまうから、その人の存在のサイズに関わらず言葉が立ち上がる。これにどうしても違和感があるんですよね。

「なにも成していない人間に発言権はないのか!」みたいな声が聞こえてきそうですが、決してそうではない。そういう意味ではなくて、何を発言しても言葉に説得力と重みが無いよってことが言いたい。それが理解できていたら発言ってもっと慎重になると思う。というお話でした。


沖縄おいで~